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毎日聴く曲でその日のコンディションがわかる
高校生の時から、ほぼ毎朝必ず聴いている曲がある。
oasisのwhateverだ。
小学生の頃、SONY VaioのCMで流れていたこともあってか、漫画『BECK』が大流行した中学生時代、御多分に漏れず洋楽にハマった折、真っ先に聴くようになった曲だ。
さて、この曲の特徴はなんと言っても
「さわやか」で「飽きがこない」ことだ。
oasisのギャラガー兄弟は、バチクソ口が悪い癖に奏でるメロディがあまりに美しいから困る。
初めは、先輩に借りたCDをMDに焼いて、ウォークマンで聞いていたのだが、ある時僕たち中学生を驚かせる画期的な商品が登場した。
iPod miniである。
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iPodの存在はなんとなく知っていたが、ガジェット好きな大人が持っている程度の認識だった。高額だし、中学生の僕たちが持てるような品物ではなかった。
だがこいつはちょっと背伸びすれば買える。
実家が太い同級生が誕生日に買ってもらったという噂が広まると、そいつは一躍学年のヒーローとなった。(調子に乗って学校に持ってきて速攻没収されてた。ざまあみやがれ!)
その1年後、iPodを手にすることとなる。
iPod nanoが発売され、誰でも比較的容易に、安価に買うことができるようになったので、地元の高校に行けなくて遠く離れたド底辺高校に進学せざるを得なくなり親元を離れる僕のために、親が中学卒業の記念日と買ってくれたのである。動機が切なすぎやしないかい?
かくして僕はiPodを手に入れたのだが、当時は今のようなストリーミングサービスが無かった(少なくとも僕は知らなかった)ので、CDのデータを、iTunesをインストールしたPCに読み込ませて、それをiPodに入れるという方法だった。容量も少ないので、僕は実家のTSUTAYAで厳選したアルバムを借り、片っ端から親のPCに放り込んだ。
大好きな曲がたくさん詰まったiPodをポケットに入れて、僕は地元を離れたのである。
さて、親元を離れてド底辺高校に入学した僕を待っていたのは、全国から問題児が集まる寮での生活だった。
上下関係も厳しく、喫煙率が脅威の80%超え(僕調べ)の高校だったために、先輩からタバコを買いに行かされる毎日。ミスったらボコられる、生意気したらボコられる、先輩の機嫌が悪いと特に理由もなくボコられる。そんな日常で僕はしっかりとメンタルを病み、2段ベッドの布団に包まりながら、iPodから流れる音楽の世界に逃げ込むことでなんとか時間をやり過ごしていた。
朝も早く、5時半に起床しなければならない。
毎日が憂鬱な朝である。
そんな自分を励ますために、朝起きたら必ず最初に聞いていた曲がWhateverである。
I'm free to be whatever I
俺はどうあろうと自由だ
Whatever I choose and I'll sing the blues if I want
何を選ぼにも自由だし、歌い時にはブルースだって歌うさ
I'm free to say whatever I
俺がどんな事を言うかも自由だ
Whatever I like if it's wrong or right, it's alright
何が好きかも自由だし、それが間違っていようと、正しかろうと、問題ないさ
リアム・ギャラガーが僕の当時の心情を歌い上げてくれていた。
何一つ自由のない監獄のような寮生活で、この歌を聴いている早朝の部屋だけは確実に自由だった。
本当に、この曲がなければやってられなかった。
辛い事だらけの高校生活を、oasisが救ってくれた。
3年間毎朝聴いていたもんだから、もはや歯磨きやトイレと一緒で、当たり前のルーティンになっていた朝oasis。
高校を卒業して大学に進学してからも、朝起きるとまず枕元のイヤホンを耳にねじ込んで、Whateverを流してから、もぞもぞと起床する。
iPodがいつしかiPhoneになっても、海外に行っても。
就職しても、結婚しても。
子供が生まれても、そして今でも。
ひどい二日酔いや寝坊した朝でもない限り、およそ20年、朝一番にWhateverを聴くと言う習慣は変わっていない。今これを書いていて僕自身がびっくりしている。こんなに長かったのかよ。
毎日同じ曲を聴く。そんな僕はいつしかあることに気づく。
その日のコンディションによって、Whateverのテンポが違って聴こえるのだ。
「なんか今日、テンポ遅いな」感じた日は、なんとなく気持ちもゆったりしていて、比較的余裕を持って物事に取り組める。大学でバスケットをしていた時、このテンポが遅い日だったため、周りが止まって見えたことがある。
ゾーンに入っていたに違いない。
(ゾーンに入っても実力がないので普通に4得点とかだった)
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逆に「テンポが早いな」と感じた日は、やはり自分自身も慌ただしいと言うか、何かがあるわけじゃないのに焦るような気分になる。実際、こういう日は時間が経つのも早く感じるので、気づいたら時間が経っていて、遅刻しそうになり慌てて出かける、なんてことがある。こういう日は、仕事でも失敗しがちだ。
なんのエビデンスもないが、実感としてはこれは心拍数が関係しているんではないかと思う。
いずれにせよこの習慣がその日の体調やメンタルを測るバロメーターとなっているのだ。
なんとなく嫌な予定があったり、タスクが重なっている時はWhateverが早く感じがちで、休日や、予定がないときはゆっくり感じる。
ストレスフルの高校生時代や、社会人時代はかなりの頻度でWhateverが早く感じられた。
逆に、ワーホリで海外に行っていた時期や、比較的自由だった大学生の頃は、Whateverが早く感じられたことがあまりない。
家業を継いだ今は、時期によってストレスがかかる時とそうでないとき、タスクが重なっている時とそうでない時がバラバラなので、曲のテンポの遅速は一日をどう過ごすかの参考になる。朝一番のコンディションを自覚することで、少し早く家を出ようとか、焦らず運転しよう、今日はじっくり事務仕事をしようなど、今日一日中どう動くか、最適な手段を取ることができる。
何度か言及しているが僕は発達障害者なので、こうして自分のコンディションを測って行動することは、認知療法的にも極めて重要なのである。
高校生の時、僕を救ってくれたoasisが、今なお僕の生活を助けて続けてくれている。
今日もリアムは、僕の人生で気持ちよさそうに歌う。
気持ちの良い朝。今日は少しだけゆったりとしたテンポのこの曲が、僕の背中を押してくれる。
Here in my mind
You know you might find
Something that you
You thought you once knew
But now it's all gone
And you know it's no fun
Yeah I know it's no fun
Oh I know it's no fun
俺の心の中に
お前は見つけたかもしれない
かつて失くしたつもりの何かを
でももうそれは戻らないんだ
それに楽しいもんじゃないだろ?
俺だって分かってる
あぁ もう過ぎたことなんだ
おわり