20 years - NY
20年の節目に思い出の記録。
ニューヨークに行ったことのあるのは一度だけ。
FM802のクリスマス電リク(注:電話リクエスト)スペシャルで好きなアーティストの方の特番があって、クリスマスディナーを同僚たちと楽しんで少し酔っ払い気味で帰宅した後に好きな曲を電話でリクエスト。
オペレーターのお姉さんに「プレゼントは何がいいですか?」と聞かれ、何が選べるのか聞くと、テレカ(注:テレフォンカード)から始まり一番上はニューヨーク旅行とのこと。
じゃあニューヨーク旅行で!
クリスマスソング特集が楽しくて、翌日早番で早く寝ないといけないのに最後まで聞いてしまった。
番組の最後に当選者発表の時間、大好きな聞き慣れたアーティストの方の声で、
「ニューヨーク旅行に当選されたのは…
〇〇○市の〇〇○さん!おめでとうございます!」
一瞬思考停止。
聞き慣れた地名、聞き慣れすぎた名前、憧れの方の声で…
私の名前が呼ばれている!
パニック!
クリスマス・イブの深夜にこの興奮状態に電話を出来るのは…弟くらい。笑
常に冷静な弟もいつものような落ち着きの中に驚いた様子を交えつつ姉のクリスマス騒ぎにつきあってくれた。
年が明けて3月末、初めてのニューヨーク旅行に出発。
3泊ホテル付きペアでご招待、とのことだったので学生時代から仲良しの同僚が同行者。
自分たちで2泊分追加して5泊7日一週間に日程を延ばして。
ニューヨークでは一度行ってみたかった国連、美術館、自由の女神などを短い時間でぐんぐんとまわっていく。
当時ニューヨークには私達が入社してすぐの頃に訓練を担当してくださった教官の方が赴任されていたので連絡をとって待ち合わせ。
イエローキャブをかっこよくつかまえて慣れた様子で英語でやりとりする先生の姿に私達うっとり〜
連れて行って下さったのはWorld Trade Centre。
国連と同じく入り口で空港のようなセキュリティーエリアがあってさすがニューヨーク、しっかりしてるね〜と話しながらはぐれないように先生に続く。
高い上の上の階のレストラン。
窓の外にはきらめくマンハッタンの夜景。
雑誌でしか見たことのないようなステーキ。
心優しくスマートなレストランの方々。
映画のワンシーンに迷い込んだような夢のような世界。
旅友の同僚はなぜか無表情で口数が少ない。
はしゃいでいる私はいつもに増して喋りまくり。
帰りついたホテルのエレベーターでやっと旅友が大きく深呼吸して
「あぁ〜かっこよかったぁ〜♡♡♡と」
憧れの教官と再会出来たのに緊張しすぎてかたまってしまっていたみたいです。笑
初めての私達のニューヨーク旅行は張り切って朝から食べたスモークサーモンのベーグルで気持ちが悪くなって美術館でトイレを探し回ったり、靴下をベッドメイキングの人にシーツと一緒に持っていかれて、ビル風に雪が交じる中を靴下を探して高級デパートをはしごして探し回ったり…
テレビや雑誌で見る有名人や周りの友達から聞いていた旅のお話からは程遠いながらも思い出に残る一週間。
マンハッタンは本当に人種のるつぼで多国籍。
正直誰が本当にニューヨーカーなのか見分けがつかず、旅の後半にはまるで本物のニューヨーカーのように颯爽と横断歩道を渡る旅友が頼もしく素敵に見えて、写真好きの私は街の風景よりも彼女が街に溶け込んでいく姿を数多く写すようになっていました。
時は流れ2001年。
その日は遅番で夜10時までの勤務。
寮へ向かうバスが到着する直前に友人から携帯電話へメッセージ。
「ニューヨーク、すごいことになってるね」
自分の部屋に戻りテレビを見ると高層ビルの映像。
その後はテレビにはりつけ。
ニューヨークで撮った写真を集めたアルバムを引っ張り出しては
あったよね、あったよね、と確認する。
確かに海を隔てた向こうに力強くそびえ立つ2つのビルの姿があった。
そのビルを見つめる私の後ろ姿。
ちゃんとあそこに居たんだよね、と何度も確認する。
その後のストーリーはいろんな場所で多く報道され語られている通り。
夜のニュース番組では見覚えのある顔が。
その日私が担当したホノルル行きの便がアメリカの空域閉鎖でAir Turn backとなり、数時間前にブリーフィングでお話したばかりのキャプテンが空港で記者の方のインタビューを受けている姿でした。
夢のような思い出の世界、自分が先程まで働いていた世界、テレビの中の信じがたい映像、今起こっている出来事が距離や時間を超えてしっかりと繋がっている現実を目の前にして、ただその流れを目で追うことしか出来なかった。
911以降、空の世界はすっかり変わってしまった。
それ以前はプライベートの旅行でもキャプテンやRepさんにご挨拶するとお願いしなくてもコックピットへご挨拶に行けるように手配してくれることがほとんどだった。
それは関係者のみではなく、修学旅行生などでも小さなグループに分けて飛行中のコックピットを見学できるように乗員さんが仕切ってくれることはよくあった。
マニアだった先輩は乗った飛行機のキャプテンにサインをもらって集めるのが趣味だった。
911以前は当たり前にあったお気遣い、ご配慮、が911以降は安全上の問題により職務違反などとして報道されることとなった。
常識はどんどん変わる。
それをはっきりと感じるあの一日の出来事。
20年という月日が流れ、私達は今もその新しい常識の中でそれなりに楽しみを見つけながら過ごしている。
ニュージーランドという一番心落ち着く国に留学し、世界各国からの留学生や移民の方々と接してみて、人は人種や出身国に関わらず本当にいろんな人がいる、ということがわかった。
日本人同士だからといって気が合うとは限らないし、これまで全然接したことのない国や宗教の人でも学生時代にアサインメントで頭を悩ませて一緒に涙を流したり、時には助けられたり、逆に討論したり。
本当にいろんな出来事があって、自分の経験から得られることに勝る判断基準はない、ということを知った。
心を尽くせばわかり合える相手もいるし、根本的に生き方もものの考え方も違う人もいる。
そういう人とも同じ時間や空間を前向きに過ごしていく術を学んだような気がする。
本当に合わない、とか、こりゃだめだ、とか思ったらそこから離れることもひとつの方法だということも。
世界は広い。
たった一日のある人々の行いで世界は変わってしまったように見えるけど、それ以前の思い出が消えることはないし、それまでの生きてきた時間やその時々で正しいと思って過ごしていた日々は思い出の中で変わることはない。
ここ数年のテーマが…
会える時に会える人に会いに行こう。
一緒に過ごせる今という時間をとにかく楽しもう、というもの。
ニュージーランドにもデルタ株が押し寄せ今もまたロックダウン中。
次にまた自由を取り戻せるのはいつだろう?
でもこの20年の間に私達は工夫をして新しいルールの中でも楽しい過ごし方を見つけて過ごしてくることが出来た。
あの楽しかった1週間のニューヨークの旅の思い出は今も変わらず私の歴史の一つとして一緒に今も生きている。
あの日、命を落とされた方の分も、あの場所に足を運んだ一人としてしっかりと前を向いて、時々ちゃんと思い出したりしながら1日1日を大切に生きていこう、そんなふうに思う20年の振り返りでした。
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