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復職から2ヶ月経っての学びと、会社はレールは敷いてくれない話


(前回はこれ)


8月下旬に3回出社できたものの、9月一週目に夏休暇(後半)があり、
実家に帰る機会ができた。結果、これが2度目の不登校につながった。笑

お盆ぶりでスパンも短く台風と丸かぶりで大したことはできなかった。しかし問題は帰省中ではなく「帰省した後、一人暮らしに戻った瞬間」

大学一年の頃を思い出した。
休暇から戻ると、反動で非常に大きなさみしさ、虚無に襲われるあの数日。思い出しました。
私は2年生まで寮だった。でもみんな帰省日がバラバラだったり、寮の子が戻れば必ず遊べるとは限らなくて…
長野出身の子が「うちは長野から(東京に)戻った後が一番きついからその数日にめっちゃバイトのシフトを入れるようにした」と言っていて、なるほど、と思ったのを覚えている。
まさにその状況で、会社には行く気がしない、友達は仕事している、本当にさみしさで発狂しそうだった。

今後もメンタルのために月1回は帰省する予定なので①帰省後には何かしらの予定を入れることを意識する!

会社にはまた行けなくなり再び不登校。主治医は「拠点を実家にしてのフルリモート」を会社に打診して、と言ってきたが、そもそも自分がもう実家に居られないと思って出てきたので断った。
あと、「記者という仕事にフルリモート」は矛盾していて成立しがたい…とツッコミたかった。主治医が真剣に改善策を考えているのはわかるのだが、マスコミはリモートしてたらちゃうんや…。
今は仕方なく、なりたくはないけど幽霊部員になってる。これをフルリモート成立と言わないでくれ…。


その代わりに、ちょうど私が復帰できそうな、私なりのステップを思いついた。②「出社にこだわらず、電話で完結する”電話取材”モノを会社から私に振ってもらうこと」


6,7年に同じ本社で半年休職し、フル記者に戻るのに1年かかった、面識のない先輩にチャットし、話したいと申し出た。もう取材だ。
翌日すぐ、2時間テレビ通話でいろんなことを教えてくれた。
上司のメンツは同じで、先輩の在職時から役職がそれぞれ一段階出世している状態なので、出てくる名前、その人とのエピソードが聞けてとても助かった。「この人は実はこんな性格」だとか「こういう話はこっち側の上司にしてたよ」とか…。
その先輩との話のメモを見返して、自分の「ちょうど良い負荷とやりがいのあるステップ」はどこだろうと考えた。
頭を整理した結果、電話取材ができれば!上り調子になるにはここだ、ここを通してもらわない。これしかない、と、案が浮かんだ。

今週、この先輩が「この上司に言ったほうがきっと実現性が高い」と勧めてくれた上司とサシで話す予定。

私、考えた。がんばった。産業医に「話してない間にそんなに自分から考え動いて、新しい案まで思いついていたんだね。感動する。その上司に、彼女はたくさん考えてあなたに話すことに至りました、と根回ししておく」と褒められた。私の持ち前の性格が一つ、活きた。

プライベートに関しては本当に歴史的に散々でズタズタだった。
以前のnoteに書いた通り、向こうからぐいぐい好意的だった男性たちが毎週末裏切ってきて、正直、プライベートのせいでまた鬱状態とかなったら恥ずかしくて…主治医にも言い出せん…とトンネルに押し込まれた気分だった。
アプリはもう消した。

主治医とのやりとりについては省略するが、やはり頼り切ることは良くない。自分のことを見つめ、会社の特性を見つめ、youtubeの↓

東京で精神科医をしている、益田先生の動画を参考にして、総合的に自分の状況を考えるようになった。
完璧主義からも片足脱してきていると思う。
自分の小さなことを褒めたり、「今日は今日のことしか考えん」「好きなものは食べる」「眠いなら昼寝しまくる」など、自分を甘やかすこともかなりできてきた。
このチャンネルは実家で休職している時に見つけ、定期的に見ている。ここからもたくさんのヒント、考え方の偏り、人間とは、心理とは、あらゆることが学べた。私には非常に大きかった。

10月、私にそれなりの仕事を振ってくれて、「あー記事が載った」という経験を得られるか、自分でも期待半分、不安半分である。
が、9月の間に考えたことが進歩につながると信じて上司との面談に挑むのみ。仕事を振ってくれないので自分なりの模索とメンタル維持に集中した9月だった。

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