「その日を摘め」毎日はかけがえのない日だと知る言葉
私の大好きな作家の伊坂幸太郎さん著、『死神の浮力』にて、出てくる言葉。古代ローマ時代の詩人ホラティウスの詩に出てくる言葉だそうです。
この言葉に触れたとき「なんて日だ!」ならぬ、なんて素敵な表現なんだと感動したのを覚えています。
毎日を花に例え、それを摘んで我々は生きているという表現が美しく、そして意味深で深いなぁ、とうっとり。
そして、花に喩えると日々を摘むように過ごす大切さがよく分かる。
ときに毎日の繰り返しと表現されるように、毎日が平凡であればあるほど、日々は繰り返しているように感じられます。でも、実際には毎日は昨日とは違う1日がスタートして、それぞれが個々の違う1日であるということだったのか、ということに私は気付きました。
先日、この言葉に通じる言葉を還暦を迎える大先輩からいただきました。それは、過去はどれだけのお金を積んでも買うことができなない。そう言われ、それほどまでにこの毎日に価値があることをまた思い知りました。
ては一時も無駄にせず、有意義にすごそう!と気張って特別なことをしよう、となるパターン、それも選択だし、それも正解なのだと思います。
でも私の場合は毎日が違うことを知る、ここにより大きな学びを得ました。朝ご飯を食べ、通勤し、同じデスクに座り同じ同僚たちと過ごしている”変わらない”毎日が実は違う1日1日なんだと、そう思うと毎日の所作に変化が現れました。
まずは言葉に気をつけるようになりました。そして食べ物の味なんかもより細かく気にするようになり、結果1日を振り返るようになりました。
一方で若い時の後悔の念も出てきました。なんであの時もっと勉強しなかったのだろう!と。若い時の自分を悔やむばかりです。たまに大学の卒論が自分一人だけ進んでおらず、卒業できないという恐怖心に襲われる夢をみます。
しかし、そこからまたこの言葉から発想の転換を得ます。そうか、もう戻れないなら、悔やんでも仕方がない。今からできることをやる、これしかないんだなと。結果前向きになれましたし、落ち込んでもリカバリーが早くできるようになったかなと思います。
カルぺ・ディエム、私はこの言葉に出会い、最初は感動したものの若かりし頃、無駄に過ごしてしまった自分を後悔する負の側面に触れつつも、結果過去を悔やむ無意味をしり、今から変えていくことの大切さを知るきっかけになりました。今日もこの瞬間をかけがえのない1日を大事に摘んでいきたいと思います。