見出し画像

「その日を摘め」毎日はかけがえのない日だと知る言葉

私の大好きな作家の伊坂幸太郎さん著、『死神の浮力』にて、出てくる言葉。古代ローマ時代の詩人ホラティウスの詩に出てくる言葉だそうです。

ラテン語はCarpe diemという。句の全体は「Carpe diem quam minimum credula postero」、つまり「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」である。詩全体では、神々がどのような死を我々にいつ与えるかは知ることは出来ず、知ろうと苦しむよりも、どのような死でも受け容れるほうがよりよいこと、短い人生の中の未来に希望を求めるよりもその日その日を有効に使い楽しむほうが賢明であること、が歌われている。
Wikipediaより

この言葉に触れたとき「なんて日だ!」ならぬ、なんて素敵な表現なんだと感動したのを覚えています。

毎日を花に例え、それを摘んで我々は生きているという表現が美しく、そして意味深で深いなぁ、とうっとり。

そして、花に喩えると日々を摘むように過ごす大切さがよく分かる。

ときに毎日の繰り返しと表現されるように、毎日が平凡であればあるほど、日々は繰り返しているように感じられます。でも、実際には毎日は昨日とは違う1日がスタートして、それぞれが個々の違う1日であるということだったのか、ということに私は気付きました。

先日、この言葉に通じる言葉を還暦を迎える大先輩からいただきました。それは、過去はどれだけのお金を積んでも買うことができなない。そう言われ、それほどまでにこの毎日に価値があることをまた思い知りました。

ては一時も無駄にせず、有意義にすごそう!と気張って特別なことをしよう、となるパターン、それも選択だし、それも正解なのだと思います。

でも私の場合は毎日が違うことを知る、ここにより大きな学びを得ました。朝ご飯を食べ、通勤し、同じデスクに座り同じ同僚たちと過ごしている”変わらない”毎日が実は違う1日1日なんだと、そう思うと毎日の所作に変化が現れました。

まずは言葉に気をつけるようになりました。そして食べ物の味なんかもより細かく気にするようになり、結果1日を振り返るようになりました。

一方で若い時の後悔の念も出てきました。なんであの時もっと勉強しなかったのだろう!と。若い時の自分を悔やむばかりです。たまに大学の卒論が自分一人だけ進んでおらず、卒業できないという恐怖心に襲われる夢をみます。

しかし、そこからまたこの言葉から発想の転換を得ます。そうか、もう戻れないなら、悔やんでも仕方がない。今からできることをやる、これしかないんだなと。結果前向きになれましたし、落ち込んでもリカバリーが早くできるようになったかなと思います。

カルぺ・ディエム、私はこの言葉に出会い、最初は感動したものの若かりし頃、無駄に過ごしてしまった自分を後悔する負の側面に触れつつも、結果過去を悔やむ無意味をしり、今から変えていくことの大切さを知るきっかけになりました。今日もこの瞬間をかけがえのない1日を大事に摘んでいきたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集