書籍紹介『やわらかい自我のつぼみ』
『やわらかい自我のつぼみ(白石 正久)』という本の紹介です。
みんなのねがいWeb全国障害者問題研究会より目次を引用します。
プロローグ 発達という長い旅路をともに歩む同伴者として …3
第1章 発達をはぐくむ目と心 … 9
◆子どもの権利条約 … 10
◆発達保障のねがいをもって … 11
発達とは何か/「この子らを世の光に」
◆発達のしくみの理解 … 15
発達の質的転換期/量的拡大から質的転換へ/発達の原動力としての内的矛盾/
可逆操作とは何か/発達要求とは何か/「二分的な評価」や一面性を脱却する/
普遍性と個別性を結びつけて
◆3歳になるまでの発達と「1歳半の発達の質的転換期」 … 25
乳児期前半の大きな発達段階(階層)/乳児期後半の大きな発達段階(階層)/
1歳半の発達の質的転換期/2歳 その矛盾に満ちた発達
第2章 やわらかい自我のつぼみ
―3歳までの感情、自我、対人関係の発達 …65
◆子どもの思いを受けとめる … 66
子どもの心へのまなざし/発達の危機と矛盾
◆自我の誕生するまで … 68
「人を求めてやまない心」/思い通りにならない手とからだ/人見知りに潜む心/
生後10か月ころ、人指し指が立ち上がり、「自分」が生まれる/揺れ動く心と「だだこね」/
自我の芽生えと「○○ではない□□だ」/自我の誕生から拡大へ/
「大きい自分になりたい」2歳児
◆こんなとき、どう考えたらよいのでしょう … 86
人見知りが強い/「だだこね」への対応/〈わがまま〉になってしまう…/
噛みつく子ども/保護者同士のトラブル/若い保育士とのコミュニケーション/
テレビやゲームは制限すべき?
第3章 発達に障害のある子どもたちの「閉じた対」を解き放つ … 99
◆「夜明け前の子どもたち」と「閉じた対」 … 101
「ナベちゃん」を縛る紐/「ひとりのねがい」を「みんなのねがい」に
◆1969年、近江学園生活第1班の実践 … 106
指導の「ていねいさ」を問う/発達の基礎成分と集団のなかで発揮される「○○ではない□□だ」/
発達の主人公とは/子どもを「かわいい」と思えるとき/子どもに本物の自己決定を
◆「閉じた対」と子どもの発達 … 116
要求を広い世界に開く/「閉じた対」をつくりやすい2つのこと/
子どもにも大人にも精神の自由を/子どもと大人の心がキラキラ輝く職場の自由を
第4章 1歳半の子どもの発達診断
―保育・教育や健診などで発達をみるしごとのために …123
◆「発達の検査」の課題 … 125
「発達スクリーニング」などで用いられる課題/飛躍しつつある発達の力をみるための課題
◆1次元可逆操作の獲得の過程の特徴 … 135
「発達スクリーニング」で用いられる課題によるステージの区分/
1次元可逆操作の獲得の過程を検討する
◆自立した思考をもちはじめる1歳半の質的転換期 … 138
◆発達の障害を視野に入れた指導の課題 … 146
エピローグ 人と人との間で創り出す発達的自己肯定感 …………………………… 149
ファインダーのなかで演じる子どもたち/「二分的な評価」をのりこえて/
「嫌だよな、先生も嫌だよ」/はたらきかけるものがはたらきかけられる/子どもは自分を2度肯定する
この本は乳幼児期の発達を勉強している時期に職場の先輩からお借りしたのが最初の出会いでした。当時の僕は、障がいのある子たち、とりわけ重度とされる子たちとの関わりや支援のために発達の道筋を知っておく必要があると考えていました。
この本に溢れている白石先生の温かい言葉とそのあきらめることのない熱意に敬意の念を抱きます。それと同時に、今の自分の在り方を確認するために度々読み返してもいます。
今も乳幼児期の発達の道筋を知っておくことはとても大事なことだと思っていますが、同時に、発達の道筋という地図ばかり眺めて肝心の子どもたちのありのままを忘れてしまう危険性も忘れてはならないと思います。
発達とは新しいことができるようになるだけではなく、その前段階として行ったり来たりの葛藤と矛盾の「ずれ」の段階があることや、言動などのタテの発達だけでなく、周囲との関わりなど精神的なヨコへの発達広がりもあること、その発達の道筋の中で矛盾に直面する子どもたちの思いを受け止めることの大切さをこの本から学びました。もちろん子どもたちはひとりでに変わる訳でなく、そこには周囲の環境やモノ、人との関わり、「人を求めてやまない心」があります。
また本で解説されているように子どもたちの変化や世界の広がりにはそれぞれに背景や理由があります。単に発達の段階や行動の変化だけでなく、その大元である子どもたちの認知や気持ちの変化を知っておくことはとても大切なことです。
また近江学園での発達に障がいのある子どもたちへの実践の話を読むと、自分自身も子どもたちをできる・できないの視点だけで見ていないか、指導者からの上意下達の一方向的関係になっていないか、子どもたちを抑制して「閉じた対」に追いやっていないかと、自身の支援の在り方を振り返ります。
プロローグにあるように、僕自身も子どもたちの長い旅路の伴走者の一人であるように、子どもたちが一歩を踏み出すためのなにかでありたいと思います。それと同時に「今自分はどうなのか」と白石先生の真摯な言葉は問いかけます。その問いかけによって、子どもたちには彼らの発達への願いがあることを見失っていないかと、僕は自分の在り方を見直すことができるのです。
最後にみんなのねがいWeb全国障害者問題研究会より白石先生の言葉を引用します。
子どもは、精神を解き放つ広い空間と、自然のなかの豊かな素材にはたらきかけて、自由に「○○ではない□□だ」という可逆操作のリハーサルをくりかえし、それを心に刻印していきます。そこに活動の主体であり、かつ、しなやかな自己調整の可能性をもった自我が誕生していきます。しかし一方で子どもは、自分の活動経験を大切にし、あるいはそこで学習した結果に固着し、他者からの要求に対して、容易には活動のしかたを変更しようとはしません。そのような矛盾に満ちた発達の過程が、1歳半の質的転換期なのです。
障害のある子どもたちは、精神の解放にかかわる豊かな環境が保障されず、制限された環境への適応や一方的な大人からの要求に従属することが求められたりするのです。その結果として、自らの狭い世界に追いやられ、そのなかでの可逆操作の発揮に閉塞していきます。私はこれを「閉じた対」と呼びました。
大切なのは、子どもがキラキラ輝く心をもって外界にはたらきかけ、自らの可逆操作を豊かにしようとする姿を、感動をもって受けとめられる大人のまなざしだと思います。そして、その大人のまなざしを規定する職場・地域・社会での精神の自由が問われているのではないでしょうか。
拙著『発達の扉・上下巻』(かもがわ出版)は、発行からすでに十数年が経過しましたが、いまだに多くの新しい読者を得ているそうです。時の経過を埋めるべく、本書には前著を補筆する役割をもたせました。そして新しい事項の解説のために、写真を撮影しなおしました。
そして私は、本書を身近な職場の学生や卒業生たちの顔を思い浮かべ、語りかけるような気持ちで書きました。若い世代の顔には、希望があります。子どものキラキラ輝く心を守り育てようとする発達保障の実践と運動は、いまだ道なかばですが、いろいろな地域に一粒の種子が蒔かれ、粘り強く、かつ献身的な、新しい生命力をもったとりくみが始まっています。本書が、その輪のなかで読まれるならばうれしいことです。
(自著を語る=自我の誕生と受けとめる大人のまなざし/白石正久より)
子どものキラキラ輝く心を守り育てようとする発達保障の実践と運動を担う一人として、これからもこの本を読み返すのでしょう。
表紙の画像はAmazon.co.jpより引用しました。