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教育的関係における内面形成に関する一提案 〜ガート・ビースタの「中断の教育学」を手がかりに〜

はじめに
一章 「知育と徳育」の分離に関する議論
 一節 堀尾輝久による議論
   近代教育原則と教育の私事性
 二節 「知育徳育二分法」批判
   1 下司晶による批判
   2 森田尚人による批判
 三節 教師による暴力性
   排除の再生産装置としての学校
二章 教育的関係における内面形成への提案
 一節 ガートビースタの「中断の教育学」
三章 考察 〜倫理としての教育学〜
おわりに

はじめに

2018年(平成30年)に小学校で「特別の教科 道徳」が始まった。これは教育再生実行会議(2013)の提言を受けてのものであった。そして、この会議こそが「美しい国」と「憲法改正」を掲げる右派思想の安倍晋三首相(当時)の諮問機関であることから「戦前の全体主義国家への回帰ではないか」と左派や教育界がざわついたのも記憶に新しい。

では、どうして左派や教育界がそのようにざわついてしまうのであろうか。その心性を作ったのが戦後教育学であり、その理論的主柱であった堀尾輝久である。堀尾はその主著『現代教育の思想と構造』(1971)において、コンドルセを引用しつつ、知育と徳育は分けて考えられるべきであり、国家による公教育は、徳育という内面形成には関わるべきではないという考えなどを「国民の教育権論」として提案をしており、それが上記の心性を生み出すようなパラダイムになっていると教育哲学者の下司晶は述べる(下司 2016 p226)。つまり、道徳の教科化に対して違和感を抱いてしまう人たちは、今だに戦後教育学の提示したパラダイムの中で生きていることになる。

一方で、アカデミックな世界において戦後教育学の評価は「ほとんど価値の失った教育学」とも言われている(神代くましろ 2021 p6)。神代はそれについて、戦後教育学は、東西冷戦構造や保革対立という当時の現実政治の中で、「革新派に明確にコミットした」という点を挙げつつ、日本や世界における政治情勢が大きく変化した現在は、その理論の影響力は大きく減じていると判断する。

このように、その影響力は強く残っているものの、「価値の失った教育学」と評されるように、その評価が分かれる戦後教育学について検討することはあながち無意味ではないだろう。そして、本論考では、その議論が多岐にわたる戦後教育学という大風呂敷に対して、上記の「道徳の教科化」などでも懸念されていた、戦後教育学の「国民の教育権論」における「知育徳育二分論」を手がかりにして、現代の教育課題に応えうるような教育的関係における「内面形成」論を提示したいと思う。

しかし、ポストモダンを経て、フーコーの規律権力論などの隆盛から、教育的関係における暴力性が明るみに出されている中で、子どもの内面形成について教育学から積極的な提言などできるものであろうか。教育とはある種の「価値づけ・方向づけ」であり、そこには多分に教師の恣意性が入り込む。それを「子どものため」などの善意で塗り固めたところで、その暴力性は依然として残るだろう。

このような課題に対して、「教えること」の復権を目論み、「脱構築的な方法」で提案するのが教育哲学者ガート・ビースタによる「中断の教育学」である。ビースタは教育的関係における子どもの主体化に焦点を当てて研究をしているが、それは「ある種の価値」へ向かって子どもを伸ばしていくような啓蒙思想以降のお馴染みの教育観とは異なる。ビースタは主体化の過程を「予測不可能」で「計算不能」と言ってのける。そこでの議論は、教育的関係における不可避とも思える暴力性を「弱める」可能性を示唆する。

最後の3章においては、それまでの議論を整理しつつ、堀尾の議論とビースタの議論の接合を試みる。そして、それらを「倫理」という言葉で形容してみようと思う。
近代という大きな物語が失われ、「規範欠如の教育学(広田 2007)」と言われている中で、教育学は教育実践にどのような提案をすることができるのかを考えていきたい。

一章 「知育と徳育」の分離に関する議論

戦後教育学における堀尾輝久が掲げた「知育徳育の二分論」は、今だに多くの人のパラダイムであり続けている。まずは、その内容の概略を追ってみることにしよう。

一節 堀尾輝久による議論
近代教育原則と教育の私事性

堀尾輝久の主著である『現代教育の思想と構造』(1971)は、「その発表当時からすでに話題になり注目された」論文であり、「この書は、わがくに教育学会における最近のもっとも注目すべき労作の一つ」だとされている(鈴木 1973)。また、近年でも「本書は、現代教育学説史において、公教育の歴史構造を解明した書として、子どもの権利の歴史的構造を提起した書として、戦後教育学を日本国憲法・教育基本法から擁護するにしろ、ポストモダン・新自由主義から批判するにしろ、教育学研究における不動の位置を占めてきた」(宮盛 2022)と言われていることからも、現代でも検討の価値が十分にあることがわかる。

 堀尾の仕事を始めとする戦後教育学については、現代に「「戦後教育学」なるものの可能性を、いま改めて明らかにする」と述べる神代の整理も参照したい(神代 2021)。まえがきでも記したとおり、戦後教育学は戦後の保革対立の中で「明確に革新派にコミットし」たため、「日本の政治や社会の変化を受けるかたちで、影響力を大きく減じてきた」と総括される。しかし、これは裏返せば、それ以前には強い影響力を保持していたことが伺える。神代はその理由を、「戦後日本の革新勢力の主要な担い手の一つ」であった「日本教職員組合(日教組)」と「民間教育研究所団体」との繋がりにみる。日教組は「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンと共に展開した平和運動と、教育研究集会(教研集会)において教育現場への強い影響力を持っていた。そして、その運動は、「コア・カリキュラム連盟」「数学教育協議会」「教育科学研究会」などの「民間教育研究団体」へと波及していき「日本の戦後教育、あるいは日本の戦後民主主義のあり様の一端を形作ったと言っても、過言ではない」とされる。

戦後教育学の論者たちは、アカデミックな世界に留まらず、これらの教育現場の運動に積極的にコミットして理論面で牽引していくことになり、その中で「国民の教育権論」や「内的・外的事項区分論」や「発達論」といった「戦後教育学の代表的理論を立ち上げ、多くの賛同者と、そして多くの批判者を得」た、と神代は整理する。

では、堀尾はその主著でどのような論を展開しているのであろうか。堀尾は西欧近代の教育史を概観しつつ「近代の教育原則」を打ち出している。その要点は「人権思想の系コロラリーとしての子ども権利の確認」と「近代における人間と公民の範疇的区別に対応して、教育の目的は、公民の育成ではなく、とりわけ人間の形成に置かれた」という点、さらに「教育(人間の内面形成)」と「知育」を区別し、前者の「教育」を「国家権力の干渉してはならない「私事」とされた」ということである(堀尾 1971 p8、9)。

堀尾のこの原則はコンドルセの公教育論に依拠している。堀尾によれば、コンドルセは「公教育の限定論」も展開しており、公教育が子どもの内面形成を引き受けることは「良心の権利」に反し、「親の自然権を犯すことになる」ことから、その内容は「知育に限定される」べきであるという。内面形成は、「すぐれて私的(家庭的)問題である(教育の私事性)」(堀尾 1971 p13、14)。

しかし、その原則も、近代から現代へと時代を経るごと変質していくことになる。現代では、「教育の私事性」は否定され、国家は「道徳の教師」として、内面形成の指導者として現れることになる。(堀尾 1971 p145)。

以上が、堀尾による「国民の教育権論」における「知育徳育の二分論」であり、現代でも多くの人が採用しているであろう思考形式である。

はじめにでも述べたとおり、「道徳の教科化」というトピックが話題になるという点だけで見ても、このパラダイムが現在も生きていることはわかる。なお、下司晶は上記の点を含めつつ、他にも堀尾による現代への影響を以下の3点にまとめている(下司 2016)

① 国家と国民を対置させ、前者を悪、後者を善とする二元的図式。国家による国民統制は批判され、国民の自己統治こそが理想とされる。

② 知育と徳育、教育と訓育を二分し、国家による教育は前者に限定されるべきであるとする点。

③ 教育の自律を主張し、それが政治・経済体制に従属してはならないとする点。

 次に、その堀尾の論の問題点を指摘した論を検討する。そうすることで、この思考形式をさらに発展して、現代の「教育的関係における内面形成」という教育課題に応える論を導くことができるはずである。

二節 「知育徳育二分法」批判

 ここまでは堀尾輝久による戦後教育学の考えが、現代の教育を語る上でのパラダイムであり続けていることを確認してきた。では、これらの考えは、現代でも通用可能なのだろうか。それについてはさまざまな視点で限界が語られることになる。本節ではそのいくつかを概観していきたい。

1 下司晶による批判

 下司は、戦後教育学が内包するナイーブな二分法の限界を指摘している(下司 2016)。まず、そもそもとして、下司は堀尾の「知育徳育」が依拠するコンドルセ解釈の誤りを、コンドルセに関する先行研究から指摘する(p235)。さらに、下司は、実は堀尾自身も「知育徳育の二分法」が成し得ないことを述べている点も言及する。堀尾のその部分を以下に引用しよう。

教育と教授とを区別して、読み・書きのような知識や生活技術を教えるのを「教授」といって、公教育の固有の内容とし、道徳や内面性の形成を「教育」として、それを個人と家庭に委ねようとする思想がある。しかし、この古典的な区別も、現在の困難を決して軽くはしない。心理学の明らかにしているところからみても、教育と教授の区別は現実には成立しない。知識や技術の学習が内面的な人間の変化の外で行われる過程にとどまることはできないし、道徳的形成と知識の学習とは切り離しがたく結びついている。(堀尾 1971 p412、413)

※ただしこの文章は、堀尾と勝田守一との共著論文「国民教育における「中立性」の問題」の中のものであり、当該箇所が堀尾だけの意見かどうかは明白ではない。

 下司は、上記も踏まえつつ、「実際、知育と徳育の厳密な線引きは不可能」と述べる。なぜなら、それらは「明確に峻別が可能な二つの実体」ではなく、「ある事態を解釈によっていずれかに位置づけているに過ぎない」からである、と付け加える。

2 森田尚人による批判

 森田も、下司と同様に、「教育という概念を知育と訓育に二分する慣習」に対して留保をつけている(森田 2013 p86)。堀尾が依拠したコンドルセにしろ、その議論が成り立つということは、知育と訓育の二元論が想定されていたのだろうが、その二元論自体の妥当性は等閑に付されていたのではないだろうか、ということである。

 森田は、「instruction(知育)」の語源であるラテン語が、出航の準備のための「装備」として用いられてきたことから、「人生の大海原に出立する若者に、その途上で出会うことがらに対してあらかじめ準備させる」ことであると述べる。そして、それは「知識の伝達」として考えられがちな「知育」の意味を大きくはみ出している。そう考えると、現在の「知育」はわが国独自の概念である「学力」に近いことになる、と森田は述べる。

 さらに、この思考は「education(訓育)」の捉え直しも迫ることになる。現在、educationはdiscipline(規律訓練)からははっきりと区別されるものとして考えられている。つまり訓育は、堀尾が述べるような「教化」ではなく、森田によれば「道徳の意味を人生そのものの場面に拡大して、そこで自らの行為を対人・社会関係のなかで自覚的、反省的に対象化する能力の形成を意味することになる」。

 森田は、近代的理性における「知育にかかわることがらに限定して理解する認識論的傾向」について警鐘を鳴らし、近代的理性の問いなおしを、道徳的行為の探究と結びつけていくことの必要性を述べる。

 ここまでは、堀尾輝久による「知育徳育二分論」とその批判を見てきた。そこで明らかにされたことは、このような二分法それ自体が近代的理性という機制に制限されているということであった。教育という営みは、二つの実体に切り分けて論じられるほど簡単な営みではない。まずはそのことを受け止めることなしに、現代の教育課題を論じることは困難であろう。

 次の節では、知育と徳育の二分論の安易さについて教育社会学の知見を援用して考察していきたい。そこでは、学校という空間における教師のもつ暴力性が明らかになるだろう。そして、そこでは仮に知育に限定していたとしても、子どもの内面形成に大きな影響を与える教師の姿も描かれるはずである。

三節 教師の暴力性

 本節では、教育社会学者である西田芳正の議論を参照しつつ、学校という空間における教師の暴力性について考察していきたい。そこでは、平等化装置として期待されていたはずの学校教育が、実は階層的地位の再生産装置として機能していたという現実が明らかにされている。それはつまり、「不利な状況に置かれた子どもたちが排除される場として学校を捉え、特に排除に関わる主体として」の教師の存在である。(西田 2012 第6章)。

排除の再生産装置としての学校

 西田は、その著書『排除する社会・排除に抗する学校』の第6章において、欧米の学校教育における階層格差の再生産論の研究を参照しつつ、「上層の子どもを成功に導き、下層の子の成功を阻害する、再生産の担い手として」の教師に注目する。

 まず、西田はアメリカの社会学者ベッカーの「クライアント問題」を援用する。「クライアント問題」とは、人間相手の仕事における、対象となるクライアント(子ども)が、業務の遂行(教授活動)に支障をきたす場合に、業務を遂行する者(教師)が直面する困難である。そして、教師のほとんどが大卒の中流家庭出身であることを考慮するならば、教室にいる下層(「社会経済状況(SES)」的な意味で)の子どもの振る舞いは受け入れがたく、「理解できないばかりか不快感さえ抱かせるもの」となり、「下層の文化特性を理解し適切に対処できないこと」が「不平等の永続化」をもたらす、とベッカーは指摘する。

 上記ベッカーの研究における教師は「階級による文化特性の違いに受け身で対応する存在」として描かれていた。だが、西田は、より積極的に不平等の再生産に関与する姿の教師を描き出すためリストの研究も参照する。

 リストの研究は、幼稚園教師の「グループ分け」に注目する。これにおいて、「成功する」グループに分けられるかどうかは、子どものIQなどのデータではなく、「中産階級出身の成功者である教師」が「自らの階級において望ましいとされる特性をもつ子ども」を「成功する」グループに分けるのであった。そして、「劣った」グループに分けられた子どもたちには「座っていなさい」などの統制的な指導が主となる。結果として、「成功する」グループの子どもの成績は伸び、「劣った」グループの子どもは授業に参加しなくなる。さらに、そうした姿を教師は「のろまでやる気がない」とみなして、さらなる統制を加えるという悪循環が生まれる。

西田はこのような欧米の研究が、階層の再生産の現実に関心が向けられ始めた時期(1950年〜1970年ごろ)のものであるが、それらの知見は近年の研究でも確認できると述べる[1]

 西田は、日本における上記研究の知見が現れている近年の研究として、近藤郁夫の研究を挙げている。近藤によれば、「子どもを捉える教師の視点」は「子どもが『きまり』を守れるか否か」という視点と、「子どもが学習能力があるか、学習意欲があるか否か」という視点の2点に集約される、という。さらに、クラス内で教師である自分と「ウマが合う-合わない」子どものグループ分けと、「子どもの基本的生活態度がよいか悪いか」という評価がほぼ対応していることも報告されている。これらは、まさにベッカーのクライアント問題であり、さらに西田は、リストにおける教師のグループ分けも、「教室における負担軽減」を意図したものではないかと推測する。

 西田はこれらの欧米や日本の研究を参照しつつ、「排除の主体としての教師」を以下のように導きだす。つまり、「貧困・生活不安定層の子どもたちに必要なサポートを提供せず、教室場面で疎外的な経験を強い、早期に学校から離れて行くことを放置する、あるいは押し出す存在としての教師」である。しかし、西田はこれを「個々の教師が個別に抱く意識」ではなく、「構造的背景から生み出されている」という点を強調する。つまり、「多数の子どもたちからなる教室や授業場面の秩序を維持し、学習を成立させなければならないという教師の職業役割」が、中流出身の教師に「下層の子どもたち」を疎ましく思わせてしまうということである。

 これは、戦後教育学のパラダイムである「知育徳育二分論」の根底さえも覆す。というのも、いくら学校教育が知育に限定して指導することによって、子どもの「内面形成」である徳育に干渉しないからと言って、そもそも知育の段階で、教師の振る舞いが子どもたちの階層によって異なるのであり、それが子どもの内面形成に影響を与えないはずがない。西田による教育社会学からの知見は、その点を明らかにしてくれたといえよう。

 さて、こうして、戦後教育学における「知育徳育二分論」というのは、その根拠が薄弱なことが明らかになった。しかし、繰り返すが、この二分論は我々の中に深く刻まれたパラダイムとなっていることは否定できない。そして、教育社会学の知見から、学校教育における教師と子どもの教育的関係が、教師の職業役割によって規定された意識によって、例え、その教育が知育に限定されていたとしても、子どもたちに暴力的に作用していることも明らかになった。では、そんな閉塞感の中で、我々は、学校教育における教育的関係をどのように考えていけばいいのであろうか。次章ではその可能性を考察したい。

二章 教育的関係における主体化の可能性

 教育的関係というのは暴力的である。それはポストモダンの他者論を経た、現代教育学では常識になっている。教育は無条件に「よきもの」であると信じられていた啓蒙の時代には、このような考えは受け入れ難いものであっただろうが、現代の「いじめ」「不登校」「学級崩壊」という教育課題を前にすれば、教育は「よきもの」であるということが、近代の幻想であったことはすぐにわかる。

戦後教育学は「国民VS国家」という二分法を採用していたが、現代の教育課題においては「国民」の中の「子ども」「教師」「保護者」「学校」がそれぞれに対立しており、安易な二分法では事態に近づくことさえできない(下司 2016)。

 さて、そんな暴力的な要素を含む教育的関係において、教師には一体何ができるのであろうか。教育はある種の「価値づけ」「方向づけ」と見做されている。例えば、教育学者の広田照幸は、これまでは「教育=よきもの」という前提で教育に関する議論がなされてきたことを踏まえて、教育を「もっとドライな意味あいで定義」するという立場から、「教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである」という定義を与えている(広田 2009 p9)。なるほど、確かにこの定義には、必要以上に教育者の価値判断は含まれていない一方で、イリイチの反教育学のように「脱学校」という極端な反応でもない、教育社会学者らしい「ドライな」ものである。しかし、やはりこの定義にも「意図的」という言葉が入っている以上、「教育」という営みには、(主に)教育者側の「恣意」が入り込む余地がある。いや、もうそれは仕方のないことではないか、とも思う。しかし、その「意図」や「恣意」によって「知育と徳育は分けられる」という議論や、「教育的関係における教師の暴力性」は生まれてきたのではないか。

この教育のもつ袋小路のような悪循環に対して「脱構築的」な視点から教育を考える視座を与えてくれるのが、教育哲学者のガート・ビースタによる「中断の教育学」である(ビースタ 2016 p111、112)。これは「主体化に焦点をあて」た考えであり、ビースタはその著書の中で繰り返し「主体化」の大切さを主張する。ビースタは、主体化について「私は、教育と呼ぶからには、主体化があらゆる教育の本質的な構成要素であるべきだという立場を取る」と述べている。そしてこの「主体化」こそ、教育者の「意図」や「恣意」をすり抜けて達成される可能性がある教育的価値なのである。以下では、この「中断の教育学」と「主体化」について考察する中で、教師の意図や恣意を脱構築する教育の新しい形を考えていきたい。

一節 ガート・ビースタの「中断の教育学」

 ビースタの先行研究については、いくつか挙げることができる。ビースタのシティズンシップ教育批判を援用して、体育科における「できない身体」「動かない身体」を他者性として引き受けていくことを提案する研究(日向 2023)や、ビースタがレヴィナスから触発されたとする「中断の教育学」における「中断」の解釈が、レヴィナスの解釈と異なっているのではないかと批判的に検討する研究(安喰 2022)、そして、ビースタの「中断の教育学」を用いて、教育関係における「主体化」に関する理論的研究を進める本多泰之がいる(本多 2022)。本多はビースタの研究について、「ビースタは、ジャック・デリダの「脱構築(deconstruction)」、ハンナ・アレントの「活動(action)」、エマニュエル・レヴィナスの「他者(other)」などの概念を再構築した独自の教育理論を用いて、「教える」ことの意味を再考している。そこで用いられている概念が「中断の教育学」である。」とまとめている。

 本節では、これらの先行研究を踏まえ、ビースタの用いる「中断の教育学」における「主体化」という教育的関係における子どもの「内面形成」が、いかにして教師の意図や恣意を脱構築して行くことができるのかを考察していく[2]

1 ビースタのヒューマニズム批判

 『学習を超えて』での第二章において、ビースタは「ヒューマニズム批判」を行っている。ビースタによれば、近代の啓蒙主義以降、人間の人間性は「我思う」という「認識する主体」を始点や根拠とした伝統によって支えられてきたという。それはカントの啓蒙の定義である「自身の理性を行使することによる、人間の未成年状態からの解放」という理性的自律のことであり、この「意識の哲学」という伝統に対して挑戦したのが、フーコーであり、ハイデガーでありレヴィナスなのである。

ビースタによれば、フーコーは「人間の終焉」という言葉を、人間一般ではなくて、「特定の主体」に向けているという。この主体とは「特定の時代に特定の環境下で展開された主体であり、付け加えるなら、特定の目的のための主体」である。これを近代の産物である「理性的主体」だと想定してしまうのは、早合点である。ビースタによれば、フーコーの戦略は「より総体的な戦略」であり、つまり、新しい主体像を描いたとしても、それさえいつかは終わることになる。だから、私たちの問いはより「基本的な問い」である「人間とは何か」という問いに向かわざるを得なくなる、ということである。

このフーコーの批判は、ハイデガーやレヴィナスの仕事と響き合うと、ビースタは考える。ハイデガーもヒューマニズムに対して「形而上学的」であることを指摘し、レヴィナスも「ヒューマニズムが十分に人間的でない」と述べた上で、「ヒューマニズムがただ個人的な主体を、一般的な人間の本質の例証としてしか考えていない」という問題点を提起している。

ビースタは、これらの主張を踏まえて、ナンシーの議論を参照する。ナンシーは「だれとは何か」という「本質への問い」ではなく、「だれとはだれか」という「同一性の問い」へ向かう必要性を主張する。

ここまでの議論をまとめると、近代啓蒙主義以降の理性的主体という「人間の本質」を想定したヒューマニズムは乗り越えられなくてはならないということである。ヒューマニズムの問題点は、「それが「人間性(humanness)」のひとつの基準、つまり人間であるとは何を意味するのかの基準を想定するということ、そしてそうすることによってこの基準についていかないもしくはついていけない人々を排除するということ」(ビースタ 2010 p117)である[3]

 では、そのような「基準」のない、言い換えれば「排除」のない教育というのはどのように実現可能なのだろうか。ビースタは、我々が生きる「理性的共同体」とは「他なる」共同体の議論を参照しながら、教育的関係における「応答」の意味を掘り下げて行くことになる。

2 応答可能性の言語(理性的共同体と「他なる」共同体)

 ビースタは『学習とは何か』の第3章において、リンギスの共同体の議論を取り上げている。リンギスによれば、我々が生きている共同体は「理性的共同体」であり、そこでは「話される内容が「理性的」であるかぎり、だれが話しているかはまったく問題にならない」という。それはつまり、この共同体においては「重要なのは、何が語られるかである。たとえば、医師、獣医、電気技師などに期待されるのは、それぞれが代表する共同体の理性的言説に備わる規則や原理にしたがっての発話」であり、当然、それらは「代替可能な存在者」となる。

 さらに、ビースタはバウマンの議論を参照して、この理性的共同体はその外側に「見知らぬ人」を生み出し、彼(女)らに特徴的な処置を施してきたという。それは「同化」と「排除」である。同化は、「見知らぬ人を飲み込み、自分たちの組織と区別できないものに変形することで、見知らぬ人を無害化する」ことであり、排除は、「見知らぬ人を体外に吐き出し、秩序正しい世界の外側へ追放し、内側の人間とのいかなる交流も禁止する」ことである[4]。こうして、理性的共同体は「強い共同体」として見知らぬ人との接点を欠いてしまう。この問題をバウマンは「主体とは何を意味するのか」という問いに結びつけて引き受けている。つまり、見知らぬ人を線引きして、他者として抑圧し続けるのではなくて、「人間が共存する機会は、見知らぬ人の権利をどうするかにかかっている。それは、国家であれ、部族であれ、だれがだれを見知らぬ人と決める資格をもつのかといった問いへの答えにかかっているのではない」と。これは、理性的共同体のあり方の限界を示唆しており、「ポストモダンにおける解放の可能性」を「全員が互いに見知らぬ人同士であるような共同体」に見出している。

 リンギスは、上記のようなバウマンの共同体のあり方を、理性的共同体とは区別して「何も共有していない人たちの共同体」と呼んでいる。この共同体では「いかなる発話が可能なのか」という「声をめぐる問い」が想起されることになる。この答えとしてリンギスは二つの極限的コミュニケーションの事例を考察している。一つが「死の淵に立っている人とともにいる情況」であり、もう一つが「親と子」の「最初のコミュニケーション」である。いずれも、理性的共同体における理性的な「発話」は通用しない。そこでは「あなたが何(what)を言うかはほとんど重要ではなく、あなたが何かを言うこと(that)それ自体、あなたが話すということ(that)それ自体が決定的に大切である」というのである。

 繰り返すが、理性的共同体での発話は「代替可能」である。一方で、「何も共有していない人たちの共同体」での発話は、代替不可能であり、そこでのみ私は「他のだれでもない私自身になる」のである。

 上記議論を引き受けて、ビースタは、「応答可能性の言語」というアイデアを提出することになる。これは、その発話の「内容」を問わない。なぜなら、その答えはどこにも用意されていないだから。重要なのは「私たちが相手に応答すること」であり、それは「私たちの応答可能性/責任を担う」ことである。そして、当然ながら、この応答は「他者にかんする知識に基づいているのではない」し、「何に対して責任を負うことになるのをまず知る必要があって、そのようにしてはじめてその責任を担うことを決心できる」ものでもない。言い換えれば、これは「計算されるものではない」し「根本的な意味で根拠を欠いており、同じく根本的な意味で限界なきものである」ということになる。つまり、デリダの言葉を借りて端的に言えば、これは「テクノロジー」ではなく「倫理」であり「プログラム」ではなく「政治」なのである。

 このようにビースタは、教育の本質的構成要素である主体化の可能性である応答可能性を「計算不能」と言ってのける。さらに、これは「かならずしも快適な経験ではない」。他なるものや異質なものに自分を顕わにすることは「苦しみや痛みをともなうかもしれない」。しかし、ビースタは、応答可能性こそが「私たちを唯一的に、ある意味で、人間的にする」と述べる。

 ここまでの、ビースタの議論から明らかになったことは、ヒューマニズムによる「人間の本質」という問題設定が排除を生み出してしまう構造と、そこに挑戦するための「応答可能性の言語」ということであった。しかし、これはまったく簡単なことではない。「他なる」共同体においては、理性的共同体のような「発話」形式が定められていない。そこでの教師は「教師らしい振る舞い」という「代替可能」な「声」は求められていない。私が私として応答する、という極めて倫理的で実践的で実存的なものである。この困難さを、ビースタはさらにアレントを引用しつつ議論を深めていく。

3 活動の苦難

 ビースタは『学習を超えて』の第4章において、これまでの議論にあった困難さを、さらに分析していくことになる。その導き手となるのが、ハンナ・アレントである。

彼女は、人間の「活動的生(vita activa)」が西洋哲学の始まり以来、「観想的生」に追い払われてきたとして、それを本来のあるべき場所に復帰させようとしている。アレントの活動的生の活動性は3つであり、その内容をまとめると以下の表のようになる。

この「活動(action)」には、常に「他者」が想定されており、それをアレントは端的に「私たちの行為の唯一の主人であり続けることの不可能性」と表現したり、「孤立させられることは活動する力を奪われることである」と主張することで、その性質を強調している。そして、「他者」が関わるという点において、この「活動」の「純粋さ」は常に挫折させられ、妨害を受けることになる。だから、この「活動の苦難」に対して、プラトン以来の政治哲学は「始める人が彼の始めたことの完全な支配者であり続けるということを護持するために理論的基礎と実践的方法を発見しようと試みてきた」とアレントは考えている。そこで失われてしまったのが、「なんであれ、彼が始めたこと」を成し遂げることができるのは、他者の援助によってのみである、という洞察なのだと。

ビースタは以上のアレントの議論を引き受けつつ、それを以下のように解釈する。つまり、「私たちが他者とともに在ることを困難にしているものが、同時に私たちが他者とともに在ることを可能にしている」という脱構築的な理解である。そして、私たちは、その困難な「活動」を計算可能な「仕事」にしてしまいたい誘惑をもっており、そうなってしまえば、その活動性の容態は「技術論的なもの」に変わってしまうだろう、ということである[5]

ビースタの議論は、終始一貫している。それは「主体化」という内面形成の営みの「計算不能性、予測不能性」である。そこには「他者」というファクターが関係しており、そうである以上、この営みには見通しを持つことはできない。しかし、そこに抗おうとしてきたのがプラトン以来の私たちであり、それはアレントの「活動」を、「仕事」という技術論的な営みとして理解したい衝動を抑えることができない。結果として、「教育目的」や「望ましい人間像」を想定し、教育の営みを操作可能だと錯覚してしまったことへの警鐘をビースタは鳴らしているように思える。

三章 考察 倫理としての教育学

ここまでの議論を振り返ってみよう。本稿は、堀尾輝久による戦後教育学における「国民の教育権論」が残した「知育徳育二分論」という現代でも生きるパラダイムを批判的に考察しつつ、教育的関係における子どもの内面形成に関する脱構築的な提案をビースタの「中断の教育学」に依拠して考えてみた。そこで明らかになったことは、子どもの主体化という内面形成を計画することの困難さと、その困難さこそが、まさに教育を教育たらしめている条件であるという脱構築的な考察である。教育的関係はどこまで行っても暴力的にならざるを得ないが、そこに無自覚であれば「技術論的な何か」になってしまい、そこから逃げてしまえば「教育の放棄」になってしまう。ビースタが正しく述べている通り、その困難さを「引き受ける」ことで、主体化の条件は「繰り返し達成され」続けるものになるのであろう。

さて、では「国民の教育権論」はすでに用済みの学問なのだろうか。それは早計であるとするのが、杉浦である(神代 2021 第1章)。杉浦は「今日における国家と教育の関係」として、2006年の教育基本法改正による「あるべき国民像」の規定、「行政主導による教育の「スタンダード化」」による「教育の画一化と硬直化」の進行、2018年の「特別の教科道徳」など「国民の思想や価値観に対して、国家権力による介入や統制が強まっている」と現状を整理する。

これは、かつて堀尾が「現代資本主義国家は、学校教育を含む巨大なマス・コミによる民衆の操作を通して、真理からの疎外による政治的文盲の大量生産と、〈大衆文化〉による感情的搾取を媒介として、経済的、実質的搾取の継続と、体制の維持が可能となる」(堀尾 1971  p143)と指摘していたことを想起させる。

杉浦は以上を踏まえ、下司による国民の教育権論を「極めてナイーブな二元論的発想」とした批判自体こそ、国家と国民における権利の緊張関係を「等閑視するものとして批判されなくてはならない」と述べ、「国民の教育権論」の発展的継承を目指されるべきことと宣言します。

では、堀尾の「国民の教育権論」をビースタの「中断の教育学」によって止揚する手がかりはどこにあるのだろうか。堀尾はその主著の中で、自身の「国民の教育権論」の今後の展望を、「子どもの発達について科学と教材における科学的真実と芸術的価値をその教育内容構成上の準則とすることによってはじめて、それは既存の社会の適応の理論ではなく、人間のゆたかな可能性の解放と、社会の進歩の原理になりうるといえよう」としている(p255強調は筆者による)。この堀尾の言明を、ビースタの問題意識に接続してみたい。

まず、ビースタは「発達」という概念について、その後の使用には慎重であるべきとしている。その理由として「私は、発達(development)という表現も慎重に避けているが、これは、主体性の出現は、発達が存在の領域に位置づけられていないかぎり、発達の観点から理解されるべきではない、と考えるからである」(ビースタ 2013=2021 p23)としている。

発達という言葉は、ビースタからすれば「認識論」の範疇を出ない言葉である。子育てをしていれば、何度も出会うことになる表現として「定型発達」という言葉があるが、この世界のどこにも「定型発達」児はいない。どの子も唯一的な発達をしていて、その大まかな傾向としての「定型発達」はあるだろうが、それを担うべき子どもはいないという意味で、これは実存的な表現ではないのである(「十分にヒューマニズム的ではない」)。

上記のように、ビースタは人間の主体化の「いかに」について開かれている態度を崩さない。そういう意味で、教育者による「わざ」に着目した論考もある(ビースタ 2013=2021 第7章)。ここでビースタは「教育は技法(art)か科学か」という問いにおいては、「技法」を支持し、教育者の「思慮深い」「判断」という「実践的知恵」について考察する。

堀尾の生きた時代背景を踏まれば、彼が「科学的真実」に信頼を置いたことも仕方のないことではあるが、一方で、彼が「芸術的価値」という人間の「わざ」にも同様の注意を払っていたことは注目に値する。堀尾もビースタと同様に、教育を「既存の社会の適応の理論」(ビースタはこれを「社会化」という学校の機能と考えている)とだけは考えておらず、「人間の豊かな可能性の解放」(これは「主体化」であろう)と捉えているのは、ビースタと通底する。

堀尾は「子どもの権利」を常に念頭においていた。そういう意味で、堀尾の「国民の教育権論」とビースタの「中断の教育学」が目指す点に大きな相違はない。ビースタも、教育における「すべての可能性を排除しない」という点では一切の妥協がない。ビースタは主体の現れという内面形成については以下のように強調している。

私は何が、そして誰が出現するのかについて判断する必要性を強調する。私の唯一のポイントは、この判断は出現する出来事の後に行われるべきであって前にではない、ということだ。当然、これにはリスクが伴うが、ここでの問題は、このリスクをなくすべきかどうかではない。そうではなくて問題は、新たなヒトラーや新たなポルポトが存在するようになることを防ぐために、新たなマザー・テレサや新たなキング牧師や新たなネルソン・マンデラが出現する可能性を我々が同様に失うべきかどうかということだ。それは分かりきったことである-そしてまたもちろん凄まじく複雑でもある。(ビースタ 2010=2016 p120 強調はビースタ)

このビースタの「可能性を排除しない」というスタンスを、私は「倫理」と呼びたいと思う。それは、伊藤亜紗が「ある種の創造性を秘めている」と表現する倫理である(伊藤 2020)。伊藤は倫理を道徳と区別する。伊藤は、倫理学者の古田哲也の議論を参照しつつ、「道徳=普遍」「倫理=個別」として、道徳が「「すべき」が問答無用の「できる」を含意」するとし、倫理には「「すべき」とは別に「できるかどうか」という審級があ」ると考える。ここで倫理には「迷い」や「悩み」が生じることになる。伊藤は「人は悩み、迷うなかで、二者択一のように見えていた状況」にも「実は別のさまざまな選択肢がありうること」に気づき、「杓子定規に「〜すべし」と命ずる道徳の示す価値を相対化することができる」と述べる。この倫理の性質を伊藤は「価値について考え抜くこと」とも表現するが、これこそまさにビースタが再三主張する「可能性について開かれた態度」そのものであろう。我々は、計算し尽くしたところでマザー・テレサは生み出せないのだ。

おわりに

 戦後教育学の価値の見直しを考える神代は、「現代日本の教育現実」を以下のように捉える。

 アクティブラーニングや資質・能力、探究活動、GIGAスクール構想、個別最適化された教育など矢継ぎ早に提示される新しい教育のビジョン、小学校英語、道徳の「特別の教科」化、プログラミング教育、高校の新教科「公共」の設置などの教育課程改革、小中一貫や高大接続など学校教育体系の大幅な改革-そういった、いささか性急とも思われる改革は、枚挙にいとまがありません。そしてそのような状況に「適応」するため、現在の学校現場では、「学校スタンダード」「授業スタンダード」と呼ばれる教育の一律的な「型」が定められる例が多く見られます。また、いわゆる「実践的」な授業テクニックを伝える教師向けの書籍は、陸続として途絶えることがありません。(神代 2021 p7)

 学校現場にいた者として「適応」という言葉の現実感に打ちのめされる。そうだ、まさしく現場には「お上の指示」や「社会の風潮」への「適応」が求められているのだ。それは「消費者のニーズを満たす供給者」とでも形容できるそれである。教師はもう、教育的関係を「子どもとの関係」として捉えることはできないところにまで来ている。だからこそ、そんな今だからこそ、改めて「教育的関係における倫理」について考えてみたくなったのだろう。

この問題意識は、堀尾輝久をはじめとする戦後教育学論者や、現代のビースタとも共通する。ビースタは、その著書の中で「教えることにふさわしい場所を教育に与えるということが私のたちの目的」(ビースタ 2013=2021 p77)と述べる。教育の個人主義的な「学習化」に対して、「教えること」の復権を目論むビースタの仕事は、子どもの権利を第一に考えた堀尾らの理念の陸続となっているだろう。

最後に本論考の課題と、今後の展望を描いておきたい。まず課題は、当然のことながらビースタの「中断の教育学」の深化である。ビースタの議論には、主体化の可能性を排除しないための理論的な考察がいくつもある。今回は、その表面的な考察に留まってしまったことは否めない。

次に今後の展望である。私は最後に触れた「倫理」という言葉に関心がある。それは、「〜すべし」という目的や当為の言葉ではく、「〜すべからざる」という言葉の持つ「自由さ」である。後者は「行動の否定」であるようで、実は「否定された行動以外は自由」という側面があるように思える。教育実践の豊かさは、特定の行動の推奨ではなく、特定の行動の否定の先にあるのではないかという仮説をより深めていきたい。

参考文献リスト

堀尾輝久(1971)『現代教育の思想と構造』岩波書店
堀尾輝久(1989)『教育入門』岩波書店
堀尾輝久(1994)『日本の教育』東京大学出版会
鈴木祥蔵(1973)「書評 堀尾輝久著 『現代教育の思想と構造』」日本教育学会『教育学研究』第40巻第2号
宮盛邦友(2022)「堀尾輝久 読解『現代教育の思想と構造」日本教育学会 『教育学研究』第89巻第4号
神代健彦編(2021)『民主主義の育てかた 現代の理論としての戦後教育学』かもがわ出版
下司晶(2016)『教育思想のポストモダン 戦後教育学を超えて』勁草書房
広田照幸(2009)『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店
森田尚人(2013)「近代日本教育学史の構想 思想史方法論における個人的総括」近代教育フォーラムNo.22
西田芳正(2012)『排除する社会・排除に抗する学校』大阪大学出版会 第6章
ガート・ビースタ(2006=2021)『学習を超えて 人間て未来へのデモクラティックな教育』東京大学出版会
ガート・ビースタ(2010=2016)『よい教育とはなにか 倫理・政治・民主主義』現代書館
ガート・ビースタ(2013=2021)『教育の美しい危うさ』東京大学出版会
日向悠太(2023)「体育におけるシティズンシップ教育の構築に向けた批判的検討:ガート・ビースタのシティズンシップ教育批判を通じて」体育スポーツ哲学研究vol.45
安喰勇平(2022)『レヴィナスと教育学 他者をめぐる教育学の語りを問い直す』春風社
伊藤亜紗(2020)『手の倫理』講談社選書メチエ
文部科学省(2013)「学習指導要領の変遷-改訂の基本方針(資質・能力関連)」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/095/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/01/29/1330122_03.pdf (2024年11月27日閲覧)


[1] 西田は、どうして欧米の、しかも半世紀以上も前の研究を引用しているかについては「欧米と比べ、日本では階層や不平等問題と学校教育の関連を扱う研究は少なく、教師を再生産の担い手として見なす研究もほとんど見られない」(p186)と述べるが、これは先述した下司晶による戦後教育学のパラダイムが影響しているのではないかと、筆者は考える。つまり、日本では戦後教育学の理念が長い間、支配的であったため、そこで採用されている「国民VS国家」という二項対立構造では、「不平等再生産の主体としての教師」という姿は想定されるはずもなかったのではないだろうか。各論者が指摘している通り、戦後教育学の安易な二分法による理念は現実の教育課題を説明できないばかりか、このような形でも、学会の研究を方向づけていたのではないだろうか。

[2] ビースタは自身の「中断の教育学」を、『学習を超えて(2006=2021)』、『良い教育とはなにか(2010=2016)』、『教育の美しい危うさ(2013=2021)』の三部作として論じているが、本節ではその中でもビースタの問題意識が色濃く反映されているマニフェスト的な著作である『学習を超えて』での議論を中心に取り上げていく。

[3] なお、これは近代ヨーロッパ特有の話ではない。本邦においても、学習指導要領には「自ら考え正しく判断できる力をもつ児童生徒の育成(1977〜78年改訂)」、「豊かな心をもち、たくましく生きる人間(1989年改訂)」、「自ら学び、自ら考える力の育成(1998年〜1999年改訂)」などの「ひとつの基準」が10年ごとに改訂されていることがわかる(文部科学省 2013)。

[4] これは、学校現場の問題として捉えるなら「社会化(同化)」と「不登校(排除)」ではないだろうか。入学したての一年生を同化するための「社会化」としては「じっと座っていなさい」「話すときは手を挙げてから」「先生の言うことは聞く」などであり、そこに馴染めない子どもは、どこかの段階で「不登校(排除)」となる。

[5] ビースタはこのような議論を踏まえつつ、第5章において建築と教育の連関を論じる。そこでは、建築家の「設計」が、まさに「侵犯」されたときにこそ「出来事」は生じるのであり、そこは「世界的空間」という主体の生成の可能性が残された空間であり、これは「技術論的方法として理解可能な何か」ではない、と強調する。