見出し画像

めがね旦那の自分語り

つらつらと自身の歴史を振り返ります

僕を知る上で必要な情報は

・学生時代を子どもの主体性を認めるオルタナティブ教育の学校で過ごした

・大学も学生の主体性を大きく認めてくれる学科で学んだ

・この中で人と違う価値観が醸成された

新任から数年間、単学級の学校で働いていた。これは想像以上に過酷であった。

そもそも僕自身が公立学校に通った記憶が無く、さらに単学級なので隣のクラスは別の学年。新任の僕への指導体制もほぼなく、一人で多くの教育活動を行った。

新任で林間学習のすべてを一人でしたのは、今考えてもすごい。

だから働いて3年目には何不自由なく働くことができていた。

そう考えると適切な指導体制だったのかもしれないが、自分で試行錯誤を繰り返して身につけたという自負もある。

そのときに意識したのは「これはどういう効果があって行われている活動なのか」を保護者に聞かれたときに答えられるのかどうか。

一つのエピソードがある
新任で受け持ったクラスの学級活動の時間。

前年度の先生は学級活動でクラス遊びをしていた。だから僕も同じようにしていた。

懇談の時、ある保護者から「クラス遊びはなんのためにしているのですか?」と聞かれて焦った。
前任のベテラン先生がしていたからとは言えなかった。

「すべての教育活動には意味がある。子どもや保護者に説明できるように考えよう」

しかしこれは本当に大変だった。

2歳児が「なんで空は青いの?なんで水は冷たいの?なんで?」となるようなもの。

それくらい学校には「なんで?」がわからない活動が多かった。
納得できないものはやらないようにした。

同時に様々な研修会に参加するようにした。

僕には無い「一般的な教師の感覚が欲しかった」からだ。

一般的な感覚と自分の持つ異質な感覚との融合。

僕は「公立学校で通用する教師」になりたかった。

「我を通しすぎて周りと調和の取れない先生」にはなりたくなかった。
それは少しずつ実を結んでいった。

前年度に「荒れた学年」を引き継いで受け持つことが増えた。

単学級なので荒れは厄介である。クラス替えがないので荒れがそのまま引き継がれる。変わるのは教師だけ。まさに腕の見せ所である。

「荒れた学級」を立て直し続けた。
自分のスタイルに自信が付いた。
だが、ずっと引っかかってたことがあった

それは、クラスを「集団」としてまとめることができても「個人」では見れていないのではないかということである。

もちろん個人への指導が無ければ集団は成り立たない。
しかし、やはり「個人」よりも「クラス運営」に意識が向いている。
「子どもを育ててる」よりも「クラスを育ててる」感覚。

それが良い悪いの話ではない。
しかし、もっと「個人」を見たい。

クラス運営ではすべてをカバーできなかった子どもの「些細に見える躓き」を支援したい。

意識は特別支援教育に向いていた。
だが特別支援は希望してもなれなかった。

「担任至上主義」の校長の下では担任以外の選択肢は用意されてなかった。

転機は転勤。
異動先の学校には意欲ある若手が多く担任希望が多かった。

逆に特別支援への希望が少ないという状況。
僕の希望はアッサリ通った。
晴れて支援担任になれた。

しかし、ここからが大変。
僕の担当の児童は11人いた。
特別な支援が必要な児童が11人である。
「個人」への支援なんて夢物語だった。

一つの授業時間に3人は支援しないと間に合わない。
教室間を走り回って支援した。

周りの子が30分かかる活動を10分程度の支援でなんとかしなければならない。

苦しみにも似た状況の中で支援の方策を練り続けた。

意識したのは「この授業の目的は何」を考える。
その視点で見ると多くの余計な活動が見えた。

一番の学びは「保護者支援」という視点。
「連絡ノート」に毎日の子どもの様子を書く。家庭には家庭の様子を書いてもらう。

特別支援の保護者はみんな不安だ。
だから必ず子どものよくできたことを伝え続けた。
嘘は絶対に書かない。
記者のように子どもを観察した。
休み時間には探偵のように物陰から観察した。

子どもを「個人」で見られることは幸せだった。
やらせなくても良い活動がたくさん見えた。

例えば作文。
マインドマップで題材を考えて
構成を考えて
下書きをして
清書をする

そんなにエネルギーをかけられないので
清書から始めてみる。
意外にスラスラ書ける。
「ゴールを揃える」ことを意識した

特別支援教育側から学校にある様々な教育活動を見ると「余計な活動」が目につく。

その「余計な活動」によって支援の子どもたちは疲弊していき「本質的な活動」ができずに自信を失っていく。

そして「特別支援は特別支援だけのものではない」と考える。
この考えはすべての子どもに広げられるはずである。

こうして生まれたのが「めがね旦那」である。

「実践をせずに批判ばっかりするな」とはよく言われるが、むしろ実践の中から生まれた批判である。
それを保護者向けに
しかも140字で伝えようとすると
僕はあのように書く。

まだまだ話せることはあるが
息子の昼寝が終わりそうなので
続きはまた今度。