ボヘミア王国英雄伝説【アレシュ編・序章第二話】
najdi mě 〜私を見つけてください
リーズンブルク城跡にあるホテルの名は、「ホテルリーズンブルク」。そのまんまである。
チェコでも知る人しか知らないホテルで、宿泊施設というより、結婚式場としての需要が多いという。
中世と近世のイメージを損なわないよう、白と自然木の色を基調とした簡素なデザインの建物となっている。コテージと言ったほうがイメージしやすいだろうか。
広い中庭や、ホテル周りの散歩道もある。夏の花々もよく手入れされており、ラベンダーがちょっとした群生を成し、芝生の緑とのコントラストを描き出している。ホテルの裏手には馬の放牧地もあるようで、数頭の馬のいななきが時折聞こえ、のどかな雰囲気を醸し出していた。
ホテルの周りを覆うのは何の木であろうか。木肌が白いので、森ではあっても圧迫するような感じはしなかった。
その木々のこずえを縫うように、たくさんのツバメが飛び交っている。
そのさえずりと、夕暮れの森を静かに揺らす風の音が何ともいえない情緒を奏でていた。
つまり、リーズンブルク城址はとても素敵な場所なのであった。
ホテルに到着した太郎とマグダレナさんは、チェックインを済ませ、各部屋に案内された。
軽くシャワーを浴びて身支度を新たにした後、中庭のテーブルで夕食をいただく。
マグダレナさんと太郎は向かい合って座り、それぞれに好みのメニューをオーダーし、一口ちょうだい、などと言いながら食事を楽しんでいた。
「ところで、太郎さんは、いつごろ右手にお怪我をされたのですか?」
マグダレナさんが太郎に尋ねる。
これまでの道中で太郎とマグダレナさんはすっかり打ち解け、互いの身の上話をするようにもなっていた。
その中で、太郎は数年前に負った怪我の後遺症のために、右手が不自由であることをマグダレナさんに軽く教えていたのだった。
「かれこれ7年前になりますかね。けっこう大きな怪我でしたが、なんとかここまで回復しました。けれど、まだ動きが良くなくて、たまに箸やスプーンを落としてしまうこともあるんですよ。」
太郎は7年前に、作業中の機械に巻き込まれて右手の親指付近を激しく損傷したのだった。
2度の手術を経て指は元の形にもどったのだが、後遺症による握力低下と、それにともなう激しい痛みに苛まれるようになっていた。
不思議なことに、その痛みというのは怪我をした患部が痛むというものではなかった。
太郎には生まれついてのアザが右の二の腕にあり、激しい痛みはどうやらそのアザが中心となって広がっているようなのだ。
右手の怪我をする以前はそんな痛みなどなかったのに、なぜ今になってこのアザが痛むようになったのかと、太郎は不思議に思っていた。
そんなことを説明する太郎に対して、マグダレナさんは神妙な顔をしてさらに言葉を続ける。
「私の夫も、おなじなのです。じつは数年前、夫は右手の親指に大きな怪我をしました。なので、太郎さんのお怪我の話をきいておどろきました。どうして、こんな偶然のようなことが起こるんでしょう。不思議です。」
マグダレナさんは既婚者である。
その旦那さんも、なんと太郎と同じように右手の親指に怪我を負ったというのである。
たまたま通訳を担当した旅行者が、夫と同じような怪我をしているだなんて。そんな偶然があるだろうか。
「そうだったんですか!?そりゃあおどろきですね。旦那さんは大変だったでしょう。今はもう回復されたんですか?」
はい、夫は元気に仕事に復帰しています、とマグダレナさんは答えた。
不思議な縁を感じながら、太郎は無意識のうちに右の二の腕をさすっていた。
そもそも太郎が前世などというものに興味を抱いたのは、このアザの痛みが発端となっていた。
数年前のある日、相変わらず痛みの酷い右腕をさすりながら、太郎はある考えを持っていた。
気分転換がてらに、前世占いなるものを受けてみようと思い立ったのだ。
太郎は、この怪我を自分の不注意のせいではなく、前世で悪い事をした報いなのだと思うことにしようと考えたのである。前世に責任転嫁することで、少しは気晴らしになるだろうとの期待を込めて。
その経緯を、もう少し詳しく話そう。
それは2019年の秋のことだった。
既に怪我をしてから2年が経過していたが、後遺症による痛みは全く回復の見込みがなかった。
主治医も、怪我自体を治しはするが、後遺症までは面倒見きれぬと言ってさじを投げた。
かと言って、他の様々なペインクリニックに通ってみるものの、原因となるものが特定できないために効果的な治療もなく、気休めの痛み止めを処方されるにとどまっていた。
しかし痛み止めも効かない程の痛みが続くことも多く、太郎はそれを少しでも癒すために、整体やアロママッサージなどにも通うようになっていた。
特に、綺麗なお姉さんのいるお店を太郎は好んだ。
そのアロママッサージ店にて、太郎は「前世占い」なるものの存在をお姉さんから聞いた。
「へぇー、そんなのがあるのね。面白そう。僕もやってもらおうかな」
後日、太郎はインターネットで近場の占い館を調べ、実際に前世を見てもらうことにした。
そしてその前世占いがきっかけとなり、太郎は自身の前世の人物像や、その生まれ育った土地を特定するための研究を始めることになったという流れになる。
初めは気晴らしのつもりで受けた占いであったが、それをもとに前世の時代の歴史を調べ始めてみるとなかなか面白く、いつの間にかその探究を始めてから5年の月日が流れていた。
5年目を迎えた太郎は、ついに前世で暮らした町と城の名を突き止め、今こうしてその城跡を訪れるに至ったのである。
それは太郎にとって感慨深いものであった。
旅の興奮のせいなのか、右腕の痛みはない。しかし、ときどきアザの部分がヒクヒクと脈打つのを、太郎は感じていた。右腕をさすりながら、「本当に来てしまったのだな」という、自分でもまだ信じられないような不思議な気分に浸っていた。
「そのアザはね、私が生前に受けた一番大きな怪我の跡なのだよ。ふふふ、600年経ってもまだ治りきってないね。」
太郎には聞こえない声が、リーズンブルク城跡の中庭に響く。当然、マグダレナさんにも聞こえていない。
「私の存在をアピールするときが来たから、痛みの記憶を復活させたのだよ。太郎には申し訳ないけど。」
その声の主は、アレシュ・リーズンブルクその人であった。
アレシュは太郎のかたわらに立ち、腕組みしながら「アザ」についての解説をしている。
故郷に来たことにより前世の魂が存在感を増し、太郎の身体から抜け出して自由を得たようだ。
「しかし、マグダレナさんは美人だなぁ。
旦那さんの怪我の理由も、私は知っている。けどまだ太郎には教えないよ。太郎が自分でその答えにたどり着くのが大事なのだ。
マグダレナさんの前世は私の親戚のお姉さんで、旦那さんとは前世でも夫婦だった。そして、旦那さんは私の戦友だった、という事実は、まだ太郎にも読者にも内緒なのだ。」
聞こえないのをいいことに、アレシュはべらべらと独り言を続けている。てか、読者にバラすでない。
さらに、これは独り言ではないようだ。
驚くべきことに、その場にはアレシュだけでなく大勢の幽霊が集まっており、太郎とマグダレナさんの会話に聞き耳をたてているのだった。
その会話の合間に、アレシュが他の聴衆に対して解説を挟んでいるという形になる。
これらの幽霊たちはチェコ土着の幽霊も居るし、日本から研究太郎に取り憑いてチェコ旅行に同行してきた物好きな幽霊も居た。
しかしいずれもアレシュと生前に関わりのあった者たちで、アレシュの600年ぶりの帰郷を共に祝おうと集まった仲間たちである。
聴衆の輪から少し離れたところで、わんわん泣き散らしている幽霊も居る。
質素だが上品なドレスを着た、ブロンドの髪が美しい女の人の幽霊だ。
それはマグダレナさんの前世であり、アレシュの親戚のお姉さんであった。名をレジーナという。
マグダレナさんは自覚していないが、彼女もまた前世のゆかりの地に来たことになる。そして、このリーズンブルクの不思議な霊力により、レジーナの魂も当時の姿に戻ることができ、マグダレナさんの身体を離れて自由を得ていた。
レジーナは、城の侍女たちの霊に囲まれていた。
「姫さま、大役を果たされて何よりでございます。よくぞアレシュ殿をここまで導いてくださいました。」
アレシュや太郎をこの地にエスコートしたことを賞賛し、ねぎらっているようだ。
レジーナも感極まって、おいおいと泣いている。
リーズンブルクに来るまでの道中、アレシュとレジーナは互いの存在は感じていたものの、まだそれぞれの身体から抜け出ることができなかったため、会話も干渉もできなかった。
太郎とマグダレナさんがリーズンブルク城跡の土を踏んだことにより、アレシュもレジーナも、そして太郎に憑いてきた霊たちも、15世紀の頃の姿を取り戻して自由に跳ね回ることができるようになったというわけである。
ちなみに、彼らは生前の好きな年代の姿を取ることができた。
アレシュとレジーナは、20代の若々しい姿をしていた。
「レジーナ姉さん、相変わらずお美しいです。ふっふっふ。やっと帰って来れましたね。」
アレシュがレジーナに声をかける。
「あれじゅー!あいだがっだよーーーー!」
レジーナは顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、アレシュに駆け寄る。
その姿を見て、侍女の霊たちも目頭を押さえる。
この600年という歳月のなか、観光で城跡に訪れる人はあったものの、前世の魂に会うという目的のためにこの地を訪れてくれた人などは皆無だった。
それがまさか、まさか日本という遠い国から、私たちの存在を確信して会いに来てくれるなんて!
そこに集まった霊たちはみな、その思いで太郎を囲んで感涙に咽び泣いていた。
第二話 了