ボヘミア王国英雄伝説【アレシュ編・序章第一話】アレシュ、ボヘミアに帰還す
西暦2024年8月。
アレシュ・ブジェシュショフスキー・リーズンブルクは、故郷であるチェコの東ボヘミア地方・ジェルノフの町に降り立っていた。
自身の名について「シュが多い。発音しずらい。」と毎回口をとがらせながらぼやいているそのおっさん青年はどう見ても日本人の顔つきをしており、右肩にはナップザック、背中にはリュックサックを背負い、それらにぎっしりと3泊分の荷物を詰め込み、首からタオルをかけて汗を拭いているといういで立ちであった。それは遠路はるばる日本からやってきた生粋の日本人であり、このたび、ゆえあってチェコ旅行に来たのである。
彼の「日本人として」の名前は研究太郎という。
ごく普通の日本人的な名前だ。
両親ともに昭和生まれの日本人で、アレシュなどというハイカラな名前をつけるセンスは持ち合わせていない。
ではなぜアレシュという名なのか。太郎が2つの名を持つのには、実はちょっとした理由があった。
太郎が3歳の頃、母親に対し「ぼく、ほんとうのおとうさんとおかあさんのところにかえりたい」というショッキングなセリフを言ったことがあった。
いわゆる「幼少期における前世退行」というもので、稀に前世の記憶を持ち、それを語りだす幼児がいるというアレである。
太郎はそのとき、前世の記憶を断片的に思い出していた。
まだ自我の意識が未発達だったため、自身の記憶と前世の記憶が混同し、「自分にはこの家とは別の場所に両親がいる」という妄想状態に陥ったと推測できる。
それがこのセリフの発信源となっていたのだろう。
さて、結論を先に述べると、そのときの太郎の前世の名前こそが「アレシュ・ブジェシュショフスキー・リーズンブルク」なのであった。しかし3歳の太郎はそんなことは知る由もなく、次の日にはもう「ほんとうのおうち」の話や「ほんとうのおかあさん」などのことは忘れ、太郎としての日常の生活にもどっていたのであった。
太郎が前世の名前に再び出会うには、もう少し時間を早送りする必要がある。
という訳で30数年後。
すっかり大人になった研究太郎は、部屋に篭りパソコンに齧り付いていた。そして、そこに映し出された古いヨーロッパ貴族の家系図を眺めているのだった。
なにをどう転んだのか、太郎は中世ヨーロッパの歴史について研究するアマチュア研究者となっていた。
研究対象となる国は、神聖ローマ帝国領ボヘミア王国。
時代は15世紀。
フス戦争と呼ばれる戦乱について太郎は熱心に調査を進めており、その調査の中で、ボヘミア王国の地方貴族である「リーズンブルク家」の家系図を見つけたという流れとなる。
ついに見つけた!と、太郎は疲労感の混じった歓喜の表情で、その家系図を眺めていた。
そこに書いてある名前に、太郎は懐かしさを覚えていたのだ。
Aleš Vřešťovský z Rýzmburka
アレシュ・ブジェシュショフスキー・ズ・リーズンブルク
というのが、チェコ語でのアレシュの綴りだ。これが太郎の前世の名前である。
チェコ語独特の「ハーチェク」という記号がふんだんに使われた、贅沢な名前だ。しかし発音がとにかく難しかった。
東北訛りの強い太郎にとっては、前世の名を呼ぶたびにひょっとこのような顔をせねばならず、ミドルネームを省いて「アレシュ・リーズンブルク」と言うことが多くなっている。
家系図にはアレシュを含む数代の一族名が描かれていた。アレシュの両親や親戚たちの名前が、年代順にズラリと書き連ねられている。
しかし喜びも束の間、太郎の表情はすぐにシュンとなってしまった。
当時の貴族家にはありがちの事なのだが、名前の被りが酷かったのだ。
「おじいさんアレシュ。父アレシュ。息子アレシュ。兄アレシュ。孫アレシュ。ふざけんな」
リーズンブルク家は、とにかくアレシュまみれだった。
識別するために、「大アレシュ」とか「小アレシュ」などの書き分けがされていることもあるが、孫アレシュに至っては、二人いるうちの兄も弟も「アレシュ」という表記しかない。
家系図の作者のやる気の糸が切れたのだろう、と、太郎は思う事にした。
リーズンブルク家はかなり古くまで家系をさかのぼることができ、本家から分かれた支族もいくつか存在する。
その支族の中で、アレシュの伯父・伯母にあたる夫婦の名を見つけたとき、太郎は直感的に「あれ?この人たちがアレシュの本当の両親じゃないか?」との思いが頭をよぎった。
理由も根拠もなかったのだが、そのひらめきは事実であったことが、すぐに証明される。
家系図に付属して、チェコ語での説明文があったのだ。
それによると、
「リーズンブルク家にアレシュという男子が生まれたが、ブジェシュショフ支族の同じ名を持つ叔父夫婦には子供がなかったため、アレシュが養子になった」
とのことだった。
「うわ、直感当たってたじゃん」
と、当てた本人もドン引きするほどにあっさりと真実を掴み取ってしまったということだ。
この頃の太郎は、すでに自分の前世がアレシュであるということを自覚している。太郎はアレシュの両親とその居住地を特定し、その地へ実際に行ってみようと計画を立てていたのだ。
この家系図は、アレシュの両親や家族について調べるために探し当てたものであった。
付属の説明文によれば、養子に出されたアレシュはブジェシュショフの町で青年期を過ごしていたが、27歳のときに生家のリーズンブルク城に呼び戻されたという。
リーズンブルク城の城主、つまりアレシュの実父が危篤となり、アレシュに財産を継承するために再度養子縁組をしたのであった。
アレシュにとっては20数年ぶりの帰郷であり、血の繋がった家族との再会となった。
リーズンブルク城は、東ボヘミアの山間部にある「ジェルノフ」という町を城下町とし、山の奥深くの渓谷沿いにたたずむ要塞であった。
切り立った崖と深い森に囲まれた、難攻不落の要塞であった。
が、山の中にあるためとにかく交通の便が悪く、通商路や近隣の都市からも遠く離れており、つまりは辺鄙な場所に建っている城である。
はっきり言ってしまえば、軍略的価値がほとんどない要塞なのであった。
アレシュは生前の1417年にこの地へ帰郷し、死後生まれ変わって2024年、再びの帰還を果たしたのである。
さて、話を現在に戻す。
日本人の顔をしたアレシュは、通訳のマグダレナさんと共に目的地である「リーズンブルク城」を目指して歩いていた。
前世がボヘミア人であるとは言え、アレシュの肉体は今は日本人であるし、顔の筋肉も日本語の発音に適した形に整っている。当然ボヘミア時代の言語も忘却してしまっているため、チェコの旅行には現地通訳を手配する必要があった。
マグダレナさんはチェコ生まれのチェコ人女性で、太郎が問い合わせた旅行プラン会社から派遣された通訳ガイドである。20代の、はつらつとしたチェコ美人である。
プラハの空港まで迎えに来てもらい、それからずっとマグダレナさんのガイドのお世話になってジェルノフまで到達することができた。
のだが、彼女のいわく
「どうしてこの行き先を選んだのですか?」
当然の質問である。
通常、日本からチェコに来る旅行者は、首都のプラハなどの観光名所を巡ることがほとんどである。
しかし空港に降り立つや否や、観光地をすっ飛ばして東進し、山の中のさびれた城跡を目指すという旅行プランなど、今まで聞いたことがないという。
しかも男女の二人旅である。
人気のない山中に連れ込んで乱暴する、という可能性だってないわけではない。
自身の安全のためにも、マグダレナさんは太郎の旅の目的を把握する権利があった。
「えーと、チェコの歴史に興味がありまして」
太郎はざっくりとした言葉で説明する。ちなみにマグダレナさんは日本に住んでいたこともあり、日本語はペラペラだ。
「どうしてチェコの歴史に興味を持たれたんですか?」
マグダレナさんの質問は続く。
「宗教改革を勉強していたら、ヤンフスという人物の存在を知りまして。それを詳しく調べたら、チェコで起きたフス戦争というものに出会いまして」
まさか前世でここに住んでたからです、とは言えない。
「フス戦争に興味を持つのは分かりますが、どうしてプラハよりもリーズンブルク城に行こうとするんですか?」
はぐらかそうとしたが、結局もとの質問に戻ってきてしまった。
こうなれば隠し立ては無用、と、太郎は腹をくくり、自身の前世探究がこの旅の目的である旨と、前世での両親に会いに行くためにリーズンブルク城に向かうのだというのをマグダレナさんに説明するのだった。
マグダレナさんは一瞬の間を置いたかと思うと、頬を紅潮させて言った。
「すてきです!面白いです!そんなことを言う人に、初めて会いました!」
太郎はそう言われてホッとした。
前世や生まれ変わりという概念は日本やアジアではポピュラーな思想だが、キリスト教圏ではタブー視される可能性もあった。
もしマグダレナさんが敬虔なキリスト教徒であったら、太郎の行いは神への冒涜と捉えられ、旅の随伴を断られてしまうかもしれない。そうでなくとも、彼女の信仰心に傷をつけてしまうかもしれない。
そんな事を考えると、どうしても前世について言及するのはためらわれたのであるが、マグダレナさんの真っ直ぐな眼差しと、本質を突くような質問の前にはごまかしがきかなかったのである。
太郎の告白を聞いて、マグダレナさんはそれを好意的に受け止めてくれたようだった。
「私もスピリチュアルが好きです。生まれ変わりというのはあまり分かりませんが、太郎さんがそう感じて、実際に行動しているのは素晴らしいことだと思います。
本気じゃなかったら、初めての旅行でこのようなプランは立てないですよね。
……ところで、太郎さんの荷物、少なすぎませんか?」
太郎はキャリーケースなど持たない。
3日分の着替えと最低限のアメニティのみを詰めた2つのバッグのみを持参し、「ちょっと隣町まで行ってきます」とでも言うような装備で日本からチェコまで渡って来た奇妙な日本人の姿に、マグダレナさんは改めて感嘆の声を上げるのだった。
それは、不安が解け、マグダレナさんの目に光が灯った瞬間でもあった。
「私も頑張ります!アレシュさんを、ぜひご両親に会わせてあげたいです!」
北海道と同緯度であるこのジェルノフ地方は、本来は夏でも涼しい気候であるはずであったが、その日の気温は摂氏30度。二人は汗だくになりながら、しかし目的地が近づくにつれて、溢れんばかりの笑顔を見合わせ、アレシュの帰郷の旅を楽しんでいた。
リーズンブルク城。
14世紀に建造され、リーズンブルク家の居城となる。
岩山をくり抜いた地下室や、当時の城壁の一部が現存している。
敷地の近くにはリゾートホテルが建ち、城の景観に溶け込んだ素晴らしい空間を演出している。
太郎とマグダレナさんは、このホテルに一泊するのだ。
もちろん、部屋は別。
道路の標識が、「ここはリーズンブルク」と示している。
太郎は背伸びをしながら、この山と空をぐるりと眺め回して、心の中でこう言った。
『父さん、母さん、アレシュは帰ってきましたよ。
600年ぶりに!』
第一話 了