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人生観がお変わりあそばしましてよ、(・∀・)の話

問題です。

私が想像もしなかった未来というのは、どんなものだったでしょうか?

①芸能人と付き合った

②宇宙人に拉致されて脳にチップを埋め込まれた

③オカマバーのママになった。うっふん

④その他

では、ヒントとなる小噺をいたしましょう。


私がお若い頃、人生は一枚のキャンバスのようだと思っていました。

まだ希望に満ちていた私は、この白いキャンバスにどんな素敵な絵を描こうかと夢見ていたのです。

しかし歳を重ねるにつれ、人生のキャンバスに色をつけるのは、なにも自分発の絵の具だけではないというのを思い知らされるのでした。

それは例えば、他者が好き勝手にペンキをぶちまけたり、あるいは自然災害などの抗えないもののために暗い色で塗りつぶされたりといったものです。


そんなふうに暗く汚く塗りつぶされたキャンバスを見て、自分の人生が台無しにされたと感じたこともありました。
気持ちを切り替えて新しい絵の具で上書きしようとしても、「理想通りの絵にはもはや程遠いな」と、嘆きの気持ちが拭えず苦しんだりもしました。

よっぽど強い気持ちで色を塗らないと、すぐに背面の暗い色に吸収されてしまうのです。
それは「無理を重ねる」という行為
に他なりませんでした。
それはもはや創造のための人生ではなく、過去を修正するための人生とも言えるでしょう。

それにより心身を病んだのも、今では納得できます。
(筆者は20代半ば頃にパニック障害を発症しております)

そしてボロボロになりながらもある程度修正が済むと、今度はまた他者からペンキをかけられるのが怖くなって人との交流を断つようになります。
他者と関わることがトラウマとなり、孤独を選ぶようになったのでした。



というのが、私のお若い頃(けっこう最近まで)の人生観だったのだと思います。

そして、44歳になった現在の人生観は、20代や30代の頃とはまるで違っているということにも気づきます。


現時点での私は、「人生はレイヤーだわ」と思うようになっているのでございます。

レイヤーというのは、パソコンなどで絵を描くときに、用途に合わせたスクリーンを何枚も重ねるという技法のことです。

一枚の絵を、何層にも分割しているイメージですね。

レイヤーのイメージ図

このレイヤーというのは便利なもので、必要な部分だけを表示することもできるし、重ねる順番を変えることもできます。

なので、レイヤーの中に嫌な色ができてしまったとしても、そのレイヤーを非表示にすることもできるし、重ねる順番を変えて見えなくすることもできるのです。
レイヤーイコール「人生の場面ごとの記憶」、と言い換えることもできるでしょう。

そもそもこの考え方では、用途に合わせてその時に意識するレイヤーを変える事ができるので、記憶の整理にも便利です。

意識のレイヤー分けができるようになると、いろいろと考え方や生き方が楽になるというのを感じます。

例えば一枚絵の価値観・人生観のときは、他者から嫌な色を塗られたときは「◯◯された!」という被害者意識しか起きませんでした。
さらにその修正さえうまく行かないことがほとんどで、それにあたふたしている自分にさえイライラしてしまうという悪循環に陥ります。


ところがレイヤーの思考になると、「汚れたレイヤーは無視して、新しいレイヤーを作ってそこにまた好きな絵を描こう♪」という気持ちになれます。

たとえ他者から嫌な色を塗られたとしても、その編集の権利は自分にありますので、気持ちは全然違います。心にゆとりが持てるようになります。


心にゆとりが持てると、今まで自分に嫌なことをした人のことも許せる(気にしなくなる)ようになるので、生きる事がとても楽になります。

再度一枚絵の価値観に話を戻しますと、一枚絵の価値観でいるときはキャンバスが1つしかないので、思い出を振り返るたびに「自分の人生の汚点」を常に見ることになります。
その汚点が他者から浴びせられた色であるならば、それを見るたび新たな恨みの心が沸いてきてしまいます。

そうなってくると、それはもはや過去の出来事ではなく、現在進行形でその人から「毎日傷つけられている」ということになるのでございます。


それはとても辛いことです。
私もそんなふうに傷つきまくった時期があり、世の中に対して不満と妬みと恨みの気持ちしか持てなくなるような日をたくさん過ごしました。


それが変わったのはいつだろう?

たぶん「右手の怪我をした瞬間」がそうだったのではないかと思います。

今から7年前の2017年に、私は利き手の親指に重症を負ってしまいました。
パニック障害の作用もあったと思うのですが、焦りと不注意が重なり、親指を切断寸前になるほどの大怪我をしてしまったのです。

手術によって指も繋がり、現在は一応、通常の生活を送れるぐらいに回復しております。
ですが後遺症で握力が弱くなり、激しい痛みとともに右手の自由が利かなくなって、箸やペンですら持てなくなるという厳しい症状が現在も続いております。

そのため、怪我をしたあともたくさん心を病むことはあったのですが、それ以前の病み方とは明らかに違うものを私は感じていました。

それは、腹の底に「絶対に幸せになってやる!」という強ーーーい意思が宿ったということです。

以前noteの記事にも書いたと思うんですが、私はそのとき、「人生は素潜りだ」と感じたんです。

海底に近づくほど、視界は暗くなるし水圧も高くなるし、息も苦しくなります。
普通はその状態をただの苦しみだとしか感じなかったのですが、怪我をしたときの私は、「今のこの苦しみは、海底に沈んでいる宝物を掴み取るためのダイビングをしている証拠だ!こんなに辛く苦しい目に遭うということは、宝物は近いに違いない!」という希望を燃やしたのです。

宝物があるかどうかなんて関係ない。
宝物がどんな形なのかさえ分からない。

けれど、

「絶対あるんだ、掴むんだ!」と決めたことが私の転機だった

と思うのです。


そして本当に掴んでしまったのです。

それは今まで想像もしていなかったもので、それまで触れたこともないようなものでした。

自分の性格や才能や生い立ちなども、全く関係ないものでした。

それは、「フス戦争の研究」という、超マニアックな歴史の研究と、それにともなう「自身の前世探求」というものでした。

※そのいきさつについては「私の前世探求記」という記事にまとめてありますので、もし興味のある方はご覧になってみて下さい。


これまでの人生で、「これなら少しは他の人より優れているかも?」と思える才能や可能性の片鱗はいくつかありましたが、私が掴み取ったのはそんなものではありませんでした。
だって、それはもはや「他人と比べる」という次元のものでもないし、他者からの評価が気にならないものだったんですもの。

※フス戦争の研究者は日本には数えるほどしかいませんし、前世などという検証不可能なものに関しては完全に自己満足の世界の話ですもんね(笑)。


さて、ところで。
他者より勝りたい、他人の評価を得たいという欲求は誰にでもあるものですが、それは苦しみの原因になりやすいものだと思いませんか?

考えてもごらんなさい。

いっとき何かでちやほやされた経験があったとしても、「そのちやほやがいつまで続くか、いつ終わるか」というのに怯えて過ごすのがどんなに辛いことか。

いっときちやほやしてくれた人が、今は別の人をちやほやしているという姿が、どんなに残酷なものか。

それらを恐れるあまり、「飽きられたくない、見捨てられたくない」という思いに支配され、「創造性や向上のための人生ではなく、プライドや人気の維持のための人生」になってしまったのでは、幸福な人生とは言えないでしょう。


私の今の人生観は、「そういうのをどうにかしよう」という視点とは無縁のものとなっています。
むしろ、探求や研究で得た面白い知識をみんなと共有したい、という気持ちが大きくなっています。そこで共感してくれる人がいれば御の字。
評価されなくても、「だよねー。フス戦争なんて超マイナーな歴史だしw」と、評価されない理由を私が一番納得しているものですから、評価されないのが当たり前だと思ってノーダメージでいられます。
そしてなにより、研究を面白いと感じる自分の心が、他者の評価に左右されることがないというのが嬉しいですね。

とにかく、歴史を研究したり、それをスピリチュアルなツールを使って読み解いていくというのはとても面白いものなのです!

一方で、歴史研究以外のことに目を向けると、当たり前のように嫌なことはあるし、嫌な人のことで悩むこともあります。
だけど、熱中できるものとの出会いによって、嫌な事について悩んだり考えたりすることに大きな時間を費やすことはなくなりました。

それらの悩みは「考えてもどうしようもないこと」だと思えるようになったし、解決しようとすれば「相手や社会構造を変えるほかない」ので、相手(もしくは世間)と戦争状態にならざるを得ません。それは人生の色を著しく暗転させてしまいます。

たった一人の嫌な人がいる、もしくは社会に不満を持つというだけで、人生の色が真っ暗になるなんて、コスパが悪いにも程があります。しかも、解決策を考えると余計にドツボにはまり、もっと苦しくなります。

なので、「気にしなくなる」ことが一番の救済となるんじゃないかな、と私は思うようになりました。


さてさて、今回のテーマは#想像もしていなかった未来
というものですが、数年前や、ひょっとすると去年の自分からも想像できない未来を、今の私は生きています。

それはですね、

前世の人物を特定して、その生家も特定して、そこに実際に旅行してきた


のです(゜∀゜)

すごいでしょ。


つーことで、冒頭の答えは④でした。


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