大空を眺めた。雲ひとつなかった。月光の中を仰向きに寝ころんでいると、空はたいそう深く見える。 2020/06/10
暑すぎる。朝走ってきたのだけど、1時間コースを完走できず、40分でリタイア。もっと早い時間か、夜じゃないともう無理かもしれない。仕事は相変わらずで時間はあっという間に過ぎる。
『ハックルベリー・フィンの冒険』がイマイチ夢中になれず、だらだら読んで、だらだらと読み終わった。
僕は流木のあいだに入りこみ、カヌーの底に寝転んでカヌーを漂うがままにまかせた。僕は横になり、ゆっくり休みながら煙車をふかし、大空を眺めた。雲ひとつなかった。月光の中を仰向きに寝ころんでいると、空はたいそう深く見える。
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』P.55
静かな夜に雲ひとつない星空を眺めながら川を下っていくこのシーンはなんとも気持ちが良さそうでいい。ちなみに静かだったなんてことは言わずに、人の声がよく聞こえるという言い方で静かであることを表現するのだけど、さすが副詞をとことん使わずに書く作家(『数字が明かす小説の秘密』)だなぁ、などと思う。それと、トム・ソーヤだと思っていたら、トム・ソーヤーだった。ごめん、ソーヤー。
ハックは逃亡する黒人奴隷と一緒に川を下っていくのだけど、途中自称王様と公爵という詐欺師二人と行動を共にする。
この嘘吐きどもが王様でも公爵でもなくて、軽蔑すべき詐欺師であり、山師であることを、僕はまもなく知った。しかし、僕はそのことを一言も言わず、顔にも出さず自分の胸の中におさめておいた。それが一ばんよいやり方なのだ。そうしておけば喧嘩もおこらないし、厄介なことにもならないから。奴らが自分たちを王様だの、公爵だのと僕らに呼ばせたいなら、それが家族の平和を維持するかぎり、僕は反対しなかった。また、ジムに話してもなん の役に立たないので、ジムにも黙っていた。僕はおやじからなに一つおそわらなかったとはいえ、この種の者たちと一緒に暮して行くのに一ばんよい方法は、彼らの気のすむようにさせておくという、このことだけはおそわった。
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』P.192
ソーヤーと決定的に違うのは、ハックが完全にアウトローで、知識ではなく経験にもとづく野生の感と、自らの良心に従って生きているところ。ソーヤーは本作でもまた本に書いてあっただのということをなぞろうとする人物として、『トム・ソーヤーの冒険』よりもさらに戯画的に描かれている気がする。
ホッファーの『波止場日記』を少し読んで寝た。そういえば、今日は食材の買い出しに行ったついでに、バラを半ダース買った。昨日のホッファーの影響。満足。
トルストイの義妹の回想録を今読んでいる。一八六九年のヤースナヤボリヤーナからの逃亡旅行の際にトルストイは突然おさえようもない死の恐怖におそわれた。彼女によれば、トルストイがもっとも恐れたのは路傍や見知らぬ人の家での死であった。彼はできるだけ早く妻と子供たちの許に戻りたがった。なにやら真実味がない。親類や愛する人々の許で死ぬ方が本当に容易なのだろうか。人間は一人で死ぬのだ。家を離れたモンテーニュの感情と比較せよ。
エリック・ホッファー『波止場日記』P.118
自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。