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人は皆、心の中に蒐集(収集)癖を持っている、たぶん。

 しばらく慌ただしい日々を送っていたのだけど、夜な夜なとみさわ昭仁『無限の本棚』を読んでいた。本の話かと思いきや、そうではなくて、自らが体験してきたコレクション、すなわち蒐集(しゅうしゅう、収集と同じ意味だけど本書ではこちらの表記でまいります)の世界に関するエピソードを語りながら、蒐集って一体何なんだろう?という本質に迫る話がめちゃんこ面白い。

 もちろん個人差はあるのだけど、何かと集めたり揃えたりしたくなる性分が人にはある、と思っている。まぁ少なくとも自分にも多少はある。

 思い起こせばビックリマンシールから始まり、トランスフォーマーのおもちゃ、牛乳瓶の蓋、ガン消し、カードダス、メンコ、といった類のものが幼稚園から小学生の時は流行っていた。子供の頃のコレクションは周囲の友達とのブームに寄るところも大きくて、皆集めるから、自分も集める的な行動で、蒐集癖育成のための初等教育みたいなもんだと思われる。

 自分のことを振り返るとその後、中学生でMagic The Gathering(以下:MTG)というアメリカのトレーディングカードゲームにハマった。英語の比較級も最上級もMTGで覚えたのは懐かしい思い出。代々木のホビージャパンのお店に通ったり、Yellow Submarineっていうカードゲームに強い専門店に行ったりしてちょぼちょぼ買ってた。当時は情報もあんまりなかったから、アメリカのMTGの雑誌とか買って読んでたな、そういえば。読んでたというか眺めていたというか。(書くことで思い出すことってあるんだな、懐かしい。)

 で、向こうの雑誌見てると、アメリカのカードゲーム屋さんの広告が載ってるのよ、巻末に。で、そこに書いてある値段見ると日本の半額以下だってことを知ってしまったのです。まぁ、中学生なんてお金ないじゃない?まともにやってたら到底トレーディングカードなんて集められるわけもない。だから安く大量に手に入れるには、ってんで本屋さんで個人輸入のやり方っていう本買ってきて、そこにあるテンプレの文章を見よう見まねでアメリカにFAXしてお金送ってみたら、ある日、本当にアメリカから荷物が届いたんだな、これが。

 これはすこぶる面白いぞ、と。だって日本の半額以下で仕入れて、8掛けくらいで売れば、買った人も安く買えて嬉しいし、僕の手元にも3割くらい残るじゃない?みんなハッピーじゃない?というわけで一緒にハマっていた友人とサイト作って、個人輸入で仕入れるMTGの通販始めたら結構売れたな。後々大学生になって、経済学で言うところの裁定取引ってやつだったんだと知るわけなのだが、内外の価格差のある商品は右から左に動かすだけで儲かる。

 でもまぁ、裁定取引なんて模倣困難性がほぼ、ない。だからMTGの人気が上がれば上がるほど、競合が出てきて価格競争に突入。3年もすると手間がかかる割に儲けが少ないし、自分自身もMTGに飽きてきたのもあって廃業。でもお客さんはついてたし、MTGの個人輸入販売のサイトとしては日本初くらいの速さとそれなりの規模感だったから今度は競合の店紹介する広告バナー月5000円で売ります、とかやってたな。それもすぐめんどくさくなってやめちゃったけど。

 そんな自分が大人になって、再び通販のビジネスをすることになるとは、縁が深いというか、なんというか、人生何が起きるかわからないものであるよ。

 閑話休題。蒐集に関してに話を戻すと、『無限の本棚』では、自らの蒐集の歴史を振り返りながら、コレクターには2つのタイプがいるという結論に達している。蒐集癖の根本には物欲と整理欲の2つの欲求が混在していて、どちらがより濃厚かでタイプが決まる。著者本人は散々モノを集めた末にたどり着いた結論が整理欲の方だったみたい。要するにコレクションのチェックリストを作って抜け漏れを埋めていく行為自体が楽しいタイプ。

 結局コレクションの本質は集めて、整理して、分類する、ことだと思うのよね。それってすごく雑誌編集っぽい作業。誰も価値を見出していないものも集めて、整理して、分類しだすと、途端に面白くなる。それはつまりコレクションの対象は無限の可能性があるってことでもある。

 例えば本書で紹介されているのは顔ハメ看板のコレクションの世界。顔ハメっていう言葉自体初めて知ったんだけど、観光地によくある顔の部分がくり抜いてあって、そこに自分の顔ハメて記念撮影するやつあるじゃない?あれのこと。その顔ハメで実際に写真を撮るコレクションをしている人がいて、本出している話とかめっちゃおもろい。おもろいから一通り探して買ってしまった。

 有名なのはこの塩谷さんという方で、自らサイトで公開していたコレクションが話題になって今や旅行会社と組んだコンテンツとかまで展開してる顔ハメ界のスター。こんなん読んでたらとりあえず今度顔ハメ看板見たら僕もハメてみよう、という気持ちになってくるから不思議。でもね、蒐集の本質が詰まったいい事例だと思うのよね、これ。みんな知ってるけど、見向きもされていない顔ハメをひたすら集めて、整理分類することで新しい世界が生まれてる。

 それと、顔ハメ看板のコレクションは、看板自体を所有するコレクションではない、というのもポイント。そこで顔をハメるという体験と、写真(今じゃ写真もデジタルデータ)のコレクションであって物質的なコレクションではないから蒐集は物質と離れた形でも成立し得るいい例だ。

 少し話は飛ぶんだけど、集めるっていう工程においてリスト化できるものはすべからくコレクションの対象になるってことを考えていたら、結局人生そのものが何がしかのコレクション性を孕んでいるんだなとも思いだした。

 あれ読みたい、食べたい、行きたい、やってみたい、そんな欲求が集まって人生が構成されてる訳だけど、人生も体験のコレクションなんだよなぁ、と。そう考えると、自分の蒐集してきたものとか、これからしたいものが何なのか、を自覚しようとする試みはとても有意義なのかも? 整理して、分類してみると、思わぬ価値が出たりする? というよりそこに自覚的であった方が人生が楽しくなるかもしれない。

 人生もまたコレクションであるならば、結局自分が楽しいことが一番大切なのよね、とも思う。コレクターって他人から理解されなくてもめっちゃ楽しそうじゃない? あぁいうスタンスが人生を豊かにする気がするなぁ。

あとがき

 カードダスはSDガンダムのシリーズを集めてた。SDガンダムのSDはスーパー・ディフォルメ、の略なんだよ。働いて多少のお金を持ち出した30代の財布を直撃しようと、今当時のものがたくさん復刻している。カードダスも調べてみたらセット売りとかしてるのね、えげつないわ〜。きっと買ったら懐かしさMAXなんだろうな。

 牛乳瓶のふた集めるのってどこの地域でも流行ってたのかな??今は紙パックだからそもそも流行らなそうだけど、違う地域の学校だと給食の牛乳のふたが違うからそういうのがレア物だったんだよね。あとコーヒー牛乳のふたとかもレアだった。瓶のヨーグルトのフタもね、あぁ懐かしい。スーパーで見つけてこの瓶のヨーグルトがいい、とか言い出すわけよ。

 本は出ていないみたいだけど、こんな記事見つけた。持ってたよ、未使用のふた! コレクションは捨てないでおくことが大切なんだなぁ、、、、でもやっぱり飽きると要らなくなっちゃうんだよねぇ。。。

  そしてMTG、25周年とか迎えてるんだね、未だにあるのか、すげーな。

 スマホゲームとの相性良さそうだけど、そう言うのないのね。ガチャで大人が廃課金とかしそうなのにな。PCのゲームが出たことあったけど、オンライン対戦は流行らなかったのかな。

 その後、JAZZにハマってCD買い漁ったりとかもしたなぁ。音楽も映画も、読書も、要するにたくさん、網羅的に体験したくなるタイプで、結局自分は物欲からは離れていって、コンテンツに触れることであったり、無駄な知識であったり、を蒐集するのを楽しみながらぼんやり暮らしてるんだな。なんか有名だけど、読んだことない作品、を埋めていく時期が高校〜大学の頃に確かにあって、そしたら普通に面白かったから今ここに至るって感じ。自分の読書好きもまた蒐集癖の現れのような気がするな、と思ったのでした。

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読書好きな会社員
自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。