帝政ロシアでは人は肌の色で判断されない。そして自分は、ほかのロシア人と同じように自由でーー不自由でもある。 2020/05/13
昨日読んだ大江千里『ブルックリンでジャズを耕す』の影響でハンバーガーが食べたい気持ちが抑えられなくて、デリバリーをしているハンバーガー屋さんに頼んだ。大変、美味しゅうございました。ご飯の満足度が高いと、生活の満足度がかなり高まる。
他にも、ご飯の支度とか作業している間に「100分de名著」を流しながらやるのが結構いい感じかもしれない。マキャベリの『君主論』で「決断できない人は間違った決断をする人よりも劣る」って話が出てきてビジネスあるあるだなぁ、と思ったり、アランの『幸福論』では幸福なんて気の持ちようだよねって言う話ではなくて不幸の原因をちゃんと見極める話とか、楽観主義は意志のような話とか、結構現代的なのねなどと思うなどした。他人からもらう幸福などない、ってのは含蓄が深い。「100分de名著」の面白いところは、よくできてる所以だと思うのだけど、じゃあ実際に読んでみようとあまり思わないところ。そもそも読めないよねってのを読んだ気にさせるのがコンセプトだから、そういうもんなのだと思うけど。
大江千里からのジャズつながりでウラジーミル・アレクサンドロフ『かくしてモスクワの夜はつくられ ジャズはトルコにもたらされた』を読み始めた。
サブタイトルは「二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯」で、長いタイトルそのものの内容。ミシシッピ生まれの黒人フレデリックが、差別に満ちたアメリカを離れ、ヨーロッパを転々とした後にロシアに辿り着き、興行師として大成功を収めるものの、革命によってロシア帝国は崩壊、はてさてどうなる、というところまで読んだ。
なかなか衝撃的なのは、フレデリックの父親ルイスが殺害されるシーン。南北戦争後に土地を手に入れて農場主として成功したのに、それが気に入らない白人に財産を騙し取られるのだが、騙されたことを知った父は泣き寝入りせずに訴訟を起こし、裁判による長い戦いが始まる。
十月二十七日、月曜の夜、ルイスはいつもどおり就寝した。午前三時頃、シェルトンがトートス 星に成人し、足音を忍ばせて階段をのぼり、こそりとも音を立てずに二階にある夫妻の寝室に入った。その手には研ぎ澄まされた斧が握られていた。そして暗い部屋のなかで、自分の標的がどちらかはっきりするまでダブルベッドの横に立っていたにちがいない。ルイスはインディアの隣で、仰向けになってぐっすりと眠っていた。シェルトンは斧を振り上げ、狙いをつけて、その斧をルイスの顔に力いっぱい振りおろした。
ウラジーミル・アレクサンドロフ『かくしてモスクワの夜はつくられ ジャズはトルコにもたらされた』P.53
ちょっと怖すぎるのですが、、、白人に煙たがられた末に殺されたのかと思いきやそうではなくて、シェルトンは黒人。ルイスの下宿人で家賃が払えず、立ち退きを命じられた上に、シェルトンが妻に暴行しているところをルイスが止めに入ったのを逆恨みしての犯行らしく、シェルトンは逃亡しようとしていたところを警官に撃たれ、蜂の巣になって死亡。なんというかこの時代の命の軽さがおっかない。それにしても、ベッドの脇に斧を持って獲物を見定めるために佇む男、怖すぎる。
そんな凄惨なシーンはそこくらいなのだけど、差別や同胞からの無理解や人の妬みなどはこの評伝に通奏低音のように流れていて、やや重い気持ちになるのだけど、そんな中で興味深いのは差別のお国事情が国によって全然違うところ。
だが、それとは別のもっと重要な点で、アメリカとイギリスには大きな違いがあった。その変化は船の暗い貨物置場からまばゆい光が降り注ぐ甲板に出たようなものだった。「ニグロ」「有色人種」「黒人」という言葉の意味が、イギリスとアメリカでは違った。フレデリックはロンドンで生まれてはじめて、故郷の同胞の圧倒的多数がけっして知ることのない体験をした。白人から、好奇、興味、 いや、愛情さえこもった眼差しを向けられたのだ。
ヴィクトリア時代のイギリスは、人種的偏見と無縁の地ではなかった。大英帝国は何世代にも渡って南アジアやアフリカ、その他世界各地の文明をまるごと支配し、搾取してきた。イギリス本国でも、アイルランド人やユダヤ人たちは公然と差別されていた。だが当時イギリスでは黒人が非常に少なく、アメリカ生まれの「ニグロ」はさらに珍しかったので、フレデリックのような人間に対する態度は驚くほど寛容でー一イギリスを訪れたアメリカ人をとくに「驚かせた」。
ウラジーミル・アレクサンドロフ『かくしてモスクワの夜はつくられ ジャズはトルコにもたらされた』P.65
肌の色による差別が存在しないために、ロシアは、同じアメリカ人でも黒人と白人にはまるで違う国に見えた。帝政ロシアでは人は肌の色で判断されない。そして自分は、ほかのロシア人と同じように自由でーー不自由でもある。その事実を知ってフレデリックは歓喜したことだろう。だが、自分の祖間はほかの国々を照らす一条の光であり、その国の市民権が世界にまたとない自由を自分に約束してくれているとかたくなに信じるアメリカの白人にとって、ロシアはまったく別のものー一無知蒙味な信仰にむしばまれた反動的な専制君主国家にほかならず、それをあざやかに凝縮しているのが、アジアを連想させるモスクワの外観と旧弊な宗教文化なのだった。
ウラジーミル・アレクサンドロフ『かくしてモスクワの夜はつくられ ジャズはトルコにもたらされた』P.92
イギリスでも、ロシアでも、フレデリックは差別の対象ではなかった。しかしそれは両国が差別の存在しない平等な国というわけでは決してないというのが興味深い。アメリカ生まれの黒人差別が無い国だった、ということ。逆にいうと息苦しい時は外に出ると驚くほど環境は変えられるというのは昔からなんだな、とも思ったり。世界は広い。
フレデリックはこの時代に驚くほどのコスモポリタンで、いく先々で言葉も覚え、フランス語もロシア語も話せて、ビジネスでも大成功する、でもアメリカから来た白人の客はフレデリックが黒人と知ると蔑むという構造は変わらない。この辺が根深すぎて、考え始めるとクラクラする。ジャズの話がまだ全然出てこない。
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