私は実家に帰ってから 1週間程眠り続けていたと思う だから、この頃の記憶は余りない だけど思いの外早くに仕事復帰した 多分10日も立たないうちに復帰したと思う 私は店長から言われた一言もODの引き金 だって冷たく怒りを感じてたから 店長にこういう言葉をかけられたのもあって 「自殺未遂をしました。」 そう告げた 本当に今考えると何とも残酷な話を ぶつけたのかと思うけど 元々強気な性格の店長の発言に 心を痛める同僚が沢山いたから なんか変な正義感を持っちゃって 分からせてやろ
翌日の朝旦那が帰宅した ベッドで動かない私を強く揺さぶり 私の名前を呼んでいた ほんの数秒意識には入ってきたけど 私の目は開かないまま 救急車で搬送された ぼやけた記憶の中で救急隊員が何の薬を何錠飲んだのかを数えていた 絶妙に薬の名称を間違えて読み上げていて (なんか違うんだけど)とか思いながら 再度意識を失い昏睡した 運ばれたのはICU(集中治療室)ODしたらみんなそこに入るのかはわからないけど 私はそこに運び込まれた よく聞くODした後の胃洗浄は苦しいって話があるけど
薬の相性があまり良くなかったんだろうなーと 今の私からは推測できる 怒りのコントロールをするために 滅茶苦茶強めの睡眠薬を頓服として出されていた 飲めば10分後には記憶を失うくらいの薬 でも、要するにその薬は一時的な逃げでしかなくて その後にまた何かのきっかけで苛立ちや悲しみで喧嘩をし ある日の私はいつも以上に様子がおかしかったようだ 私は子供の頃の経験から 自分の存在はこの世にとって不必要な人間だと思っていた 常に誰かから捨てられる思いを持っていた 喧嘩をし、次の日は
家に帰ってから沢山調べた 「双極性障害は」 ・うつと誤診される事が多く、正しい病名に辿り着くまでに何年かかかることもある ・治らない。治っても再発するため寛解という状態を目指す治療が行われる (つまり一生薬を飲み続けなければならない) ・鬱が苦しく躁は楽しそうでいいと思われがちだが、周りが見えなくなるため人に迷惑をかけ信用を失う 【躁転時】 ①気が大きくなりお金を沢山使い借金を抱える人もいる ②眠らなくなる ③気が高ぶり上司と喧嘩をし仕事をやめる ④③と同じように仕事
病院で診断を受ける前から 私の病名はわかっていた 症状が余りにも顕著だったから 前述したようにお出かけとなると 体調不良に悩まされる私は 出かける=ストレスだった どれだけ楽しそうな行事も セットで怖いが付きまとう 旦那とお出かけの計画を立てると 1週間ほど前からメンタルがブレまくり 不安になり落ち込んだり 変に元気になったり お出かけ当日は 行きに車の中できゃぁきゃぁ叫びまくって ずーーーーと元気に笑ってはしゃいで 何なら高速道路で渋滞になるようなもんなら 苛立つ
繰り返される脱毛と 色々なストレスがキャパオーバーになった私 毎日が地獄みたいに苦しくて 結婚して約一年後に藁にも縋る思いで 精神科に予約を入れるための電話を入れた 命を懸けた電話だった 今日病院に行かなきゃ私は死ぬと思う… 繋がった先の女性がこう言った 「今日は予約がいっぱいで、直近で予約が取れるのが…3週間後ですね」 頭がパニックになった 「死ね」って事? 世の中は思った以上に残酷で 病んだ人が必死に連絡をしても無下に断られる 正直これは今後、精神科、メンタルクリ
なんだか楽しくなさそうな高校を卒業し (親友が二人できたので良いことも勿論あったのだけど高校の記憶が薄い) 大人になった私は1度就職したものの、社長からのいびりと 社長の父からのセクハラに合い正社員を半年で辞める その後ほぼ正社員ではない雇用形態で 職を転々とする 父親が高卒、母親は中卒だった私は 女性が男性並みに働くという事を知らなかった 女性は結婚をして、子供を産んで、母親になって 外の仕事は基本しませんー。 みたいな古い考えでいたから 働く重要性なんてものは全く
早く良い話に移りたいのに暗い話が多すぎて 全然其処にたどり着けない事実に 絶望を感じ始めた 途中で嘘の良い話とかを挿入したくなるくらいだけど そうも行かないのでまだ綴るわ 中学生もお手洗い問題は続いていた話を書いたけど 高校生も絶賛同じ状況だった 周りと比べると背が高くてスラっとしてて 大人びていた私は 多分今の私よりも落ち着きがあって 周りに馴染む努力を欠かさなかったから いつも誰かの相談話に乗って 女の子を慰めていた きゃっきゃしている女の子をよそ眼に 「うるさ…
まだ前回の記事を投稿していないまま1週間が経った (実は2個目の投稿からずっと公開していなかったけど、昨年の10月から書いていて、ずっと下書きに入れていました。漸く自分の決心がついて、今日投稿し始めました。) 余りにも重い話で記事が終わるのは見かけた人も辛いだろうから 少しマシな記事まで投稿をとどめている 忘れていたはずの記憶は思い起こす度に 芋づる式に引きずり出されて 地上に出てきた其れと目を合わせた途端に ハッとする事が多い 少し他人事のように、あぁ…そう言えばそん
虐待されていた子ってこんな風になったりするよって話 辛くなったら読むのをやめて 読みたい人だけどうぞ↓ ①から時は少し戻りますが 幼稚園を卒園してすぐ引っ越しをした 引っ越しして新しい環境の変化に馴染めない私は 学校に着いては家に電話をしお腹が痛いから迎えに来てと 母に毎日伝えていた そんなある日電話をしていると 後ろから男性教師が現れ強制的に電話を切らされた そんな事をされるほど毎日電話をかけ続けていたのだ 今考えると私のSOSエピソード①って感じだったんだろうな…
タイトルをつけてわーめっちゃ重い。。。 と少し焦ったけど 必要な項目であるので気にしないで綴る💦 読むのが辛くなる人は 読むのをやめてくださいね~ 読みたい人だけどうぞ↓ 私の記憶では 物心ついた3歳頃はすごく活発で 多分無邪気でめちゃくちゃ明るい子だったんだと思う 3学年上(年齢的には約4歳離れていた)姉の発表会には 何故か勝手に舞台上に上がって自分に酔いしれながら 一緒に踊っていました #どれだけ自由なのか 幼稚園の頃から親からの虐待を受けていた 寝て起きたら家の
以前全く違ったnoteを書いていたけど リニューアル✨ 誰かがコメントをくれていたりと 思い出はあったけど ようやく人生の再起だなと思ったし 見守ってくれる人は見守ってくれるハズだと信じる それから 単純に… 新しいアカウントが何故か原因不明だけど作れなかったので 過去投稿は削除してしまいました そこはご愛敬って事でお願いします🌸 最近初めてLIVEをした お客さん、演者、スタッフ合わせて約250名の中でのLIVE 夢の一つでもあったLIVE諦めたけど掴めた だけどここ