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深夜の雑記~日々の営みとデジタルデトックス~

特にわけもなく綴る。所詮、noteもSNSだ。駄文だろうが、散文だろうが、すべては自由律である。深夜のテンションでこんな文章を書くことを許してほしい。

最近、書く欲がわかない。というか、書くことを放棄しなければ生活が成り立たなかったのだ。一人暮らしゆえ、ネットで文章を書いている時間も必要だが家事の時間も必要なのだ。最近天気が良かった。だからふと、

「ああ、書くのやめよ」

と思った。不条理であるが、世界はそんなものである。洗濯物を干した。ゴミ袋3つ分の古くなった服を捨てた。スーツやコートをクリーニングに出しまくった。クリーニング代は合計で7000円近くしたが、年間契約の更新で5点まで50%オフだったらしく、5000円で済んだ。やったぜ。溜まりに溜まったペットボトル、缶、ビンを捨て去り、冷蔵庫の中で異臭を放つニラやネギを大量消費した。などなど、今まで溜め込んできたものを消費する期間にあてた。

ネットとおさらばして、リアルの世界を構築しなければ生きていけないのだ。当たり前だけれど。

えっ、じゃあもしかして、この文章を読んでいるあなたも、食材を買って、料理をして、ご飯を食べて、後片付けもしているんですか?お風呂掃除もしているんですか?ゴミ出しにもちゃんといっているんですか?えらい、えらすぎます……。

そう考えると、ああ、ちゃんと人間してるんだなあ、と思えてほほえましく思える。ネット上であんなにイキり散らしているあの人も、めっちゃ頑張っているアピールしているあの人も、コバエがわいたゴミ袋と格闘しているし、水垢のついた排水溝を歯ブラシでこすっている。急な夕立にあって洗濯物を濡らしているし、白シャツとか白ティーの襟の黄ばみをウタマロ石鹸でこすり落としている。ちゃんと生活しているんだ、と想像すると、頑張って生きてるんだなあ、と思う。


デジタルデトックス、という言葉があるくらい、我々はスマホとにらめっこである。特にnoteをはじめとしたSNSではカップ麺を作るよりも簡単に承認欲求が得られる。素晴らしいが、反面、自分のちっぽけさを意識せざるを得ない。自身の醜態しか映らない鏡のようなものでもある。それに嫌気が差していたのもある。

内容が面白いからフォロワーが増えるのではなく、発言者の存在自体が面白いからフォロワーが増えるのである。

なんてことを誰かが言っていた。つまり、そのSNS上でウケる肩書きや経歴があればそれだけでフォローされる。反対に、SNS受けしない堅さがあると歓迎されないのだ。私は堅く凝り固まった人間だし、その凝りをほぐせない。延々とネット上の1ビットを埋めるだけで時間が過ぎていることを自覚しなければならなかったのだ。

デジタル、というかSNSから離れ、自分の生活を見直すと、ちょっとだけ生活に余裕が出た気がする。SNSでは多くの人が生き急いでいるようにみえた。これだけ成果をあげたんだぞ!私はこう思っているんだぞ!評価しろ!共感しろ!だって、私は今、ここで生きているんだから!今しか発言できないことなのだから!今残すしかないのだから!と。

そんな人たちをみて、なんだか私も生き急がなきゃいけないような気がして、妙に焦ってしまっていた。「うわあ、なんかすごい人たちが頑張ってるし、私も何かしなきゃ」と思ってみても、空っぽの私からは屁のような空虚な音しか出なかった。

というか、生き急いでいたのはむしろ私のほうだったのだ。もう若くなく、やれることがどんどん限られてゆく。そんなふうに思って「やりたい」という妄想で頭をいっぱいにして、目の前のやらねばならないことを疎かにしていたのだった。

そのひとつが日々の営みだったのだ。今の世の中は便利だから、衣食住を多少疎かにしていてもなんとかなるようになった。それに甘えてほったらかした結果、家中がモノで溢れかえり、資金は枯れ、にっちもさっちもいかなくなってしまったのだ。これを読んでくださっている、心優しいあなたにはそんなふうになってほしくないのです。こうして書き残しているのはそのためである。


ベッドのうえでスマホをいじるのはやめましょう!睡眠の妨げになります!という記事をどこかで読んだなあ。もちろん、それが正しいと思うし、健康的な生活を送るなら床では寝ることだけをしたほうが良いのだろう。ただ、洗濯したてのシーツのいい香りをかぎながら、うとうとと執筆することの気持ち良さよ。

いくら生き急いでいても洗濯はまめにしたい、と眠気まなこに、そう思う。

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