実数の私たちが僕たちに求める仕事内容がとても優しくて大変だった
ここ数日、難しい話が続いている。
数学の複素数と自分の気づきを組み合わせて「実数・虚数の私」を見出した。先日占い師の田所さんと話をして「実数と虚数、反対じゃないか」指摘があった。
僕の中で混乱が生じ、改めて定義しなおした。田所さんの話に納得できた部分もあれば「これは違うんじゃないか。自分のほうがいいな」思った部分もある。まずは定義の更新から始まる。
再定義:虚数の私/実数の私
数学の分野に複素数がある。高校数学で習う単元だ。
二次方程式aX^2+bX+c=0の解において、√(ルート)の中身で状況が分かれる。
√の中身が0以上であれば実数。中身が負なら解はない。
「いや、解はある。√-1をiと置けばいい。i^2=-1になる数があるんだ」
i^2=-1になる数を虚数という。
実数と虚数の合わさった数(例:2+3i)を複素数という。
虚数の私+と-
最初、虚数の私は「自分でもわからない、未知の部分。自分がまだ気づいていない可能性の部分」定義した。田所さんに伝えたところ
「実数と虚数の定義、違うよ。君が実数と定義してる不安は虚数の君だよ」
納得できる部分はあったが、同時に「なんか違うような」違和感があった。上記画像を書いているとき、やっと定義できた。
虚数の私には正負がある。
負は「不安や悩み・苦しみ」
正は「隠れた実力、現時点での自分はわからないけど、すごい何かを持っている」
プラスとマイナスをつけて、やっと虚数の私を定義できた。
虚数の私について、負の部分を「虚数の私-」、正の部分を「虚数の私+」とおく。
実数の私の再定義
実数は把握できてるすべてだ。自分が判断を下してる部分含めて、自分がわかっている部分を実数の私という。
虚数の私+が「ある」みなすと、自信度合が一気に高まる。
不安に陥れた犯人は虚数の私-だったのだ。
自分の頭で把握できる未来予想に基づき「ああ、このままではいけない。こんな選択を取ってはいけない」
ありとあらゆる不安が勝り、不安を消すための選択をとった結果、さらに裏切られる……。
虚数の私-は「現状わかっていること」だけで、未来も自分も何もかも判断を下す。
虚数の私+は「虚数の私-がわからないこと、思いつかないこと」をわかっている+つかんでいる。わからないことの中身として、情報や能力、人脈やお金など物品その他だ。
虚数の私+が「ある」信じて動く行為こそ実数の私+と置く。
実数の私+を広げると「実数の私たち」になる。
自分の中にはたくさん無数の「私たち」がいる。
自分が把握できないだけで、たくさんの私たち・みんながいる。
すると私の行動は犯罪や非道など悪行をのぞき、未来の私含む、みんなも得をする。あなたにとって得になる行動は、未来のあなたはもちろん、僕を含む周りの人も得をする。
虚数の私-のみ損失を被る。なので虚数の私が「それをするな」説得してくる。虚数の私-は「今、私だけが得をすればいい」余裕のない気持ちで、私に説得する。
虚数の私でなく、実数の私たちが得をするほうを選べば、未来の私もあなたも他人様も得をする。
利益とはなにかを確認しておこう。
実数の私たちがいかにして実際に利益を分かち合うのか?
先日、友人の佐々木君が僕にお土産を買ってきてくれた。
僕はうれしい。佐々木君も「よかった」述べている。
ここで損失を見ていくと、佐々木君が「お金を払った」部分のみだ。佐々木君の中にいる「虚数の私」はささやいたかもしれない。
「他人に土産を買うの、無駄じゃね?」
佐々木君は無視して、土産を買った後、僕に渡した。僕は土産品と「佐々木、ありがとう」感謝の念を抱いた。もちろん彼に伝えた。
佐々木君は「買ってよかった」確認と感謝を受け取った。
そして僕と佐々木君はお互い暖かな気持ちを抱いた。
実数の私たちが得た利益は「暖かな気持ち=豊かさ」だ。
実数の私が得た利益は土産品・感謝の気持ち・自分がまだ友(第三者)から「愛されている」実感その他もろもろだ。現時点で自分が言語化できない利益もある。
佐々木君における「実数の私」が得た利益は僕からの感謝の言葉や、僕の喜びがもたらす気持ちだ。
一方彼にとって虚数の私は「土産を購入する代金」を損した。
実数の私たち及び私が得た利益、虚数の私が抱いた損失を確認したところで、本題に入る。
実数の私たちは僕やあなたに何を求めているの?
「あなたに何を求めているの」とは、あなたがこの人生で果たす役割だ。
「役割なんて知らねえ、こちとら好き勝手に生きたいんだよ」
虚数の私(負)は思っている。
実数の私は「自分だけ」をすでに超えている。
実数の私たちが得る「温かさ」に比べたら、自分だけの利益(虚数の私が欲しいもの)など「どーでもいい」代物だ。
虚数の私が得るものがお金であれ売上であれ、人脈であれ異性であれ、名誉その他もろもろ…
実数の私たちは「気持ちの温かさ」を味わいたい。
実数の私たちは僕たち(僕やあなた)に「気持ちを温かくしてほしい」を求めている。気持ちを温かくするとは豊かさを味わうだ。
実数の私たちが求める利益=気持ちを温かくしたい。
何をしたら実数の私たちが満たされるのか?
裏を返してみよう。
気持ちを温かくできない要因
実数の私たちが求めている世界は「気持ちの温かさ」だ。
しかし現時点で実数の私たちは温かさを得られてない状態にいる。
僕たちの言動によって、僕たちや実数の私たちが暖かな気持ちを得る。気持ちを温かくできない要因とは何か?
虚数の私-を優先する生き方にある。
虚数の私は「僕らが今も抱く不安や不足」を抱いている。実数の私たちは知っている。
虚数の私には絶対思いつかない・ありえない展開が「ある」事実を。
一方で虚数の私は己の頭で思い浮かばない出来事は「ない」捉えている。
実数の私は虚数の私に満たされた人たちに「未知を越えた世界があるんだよ」伝えたい。
伝え方は言葉なり行動なり姿勢なり背中なりと様々ある。
僕なら文章やイラスト、音楽で伝える。歌手なら歌で伝える。
職人なら仕事の姿勢で伝える。芸術家は作品で伝える。
僕たちがすべき仕事は
対象(=お客様):
虚数の私を優先し、実数の私が「ある」を知らない人
「ある」を知っているが怖くて手を出せない人
「自分が知らない自分の力」に身をゆだねたい人
仕事内容:
「ある」を伝えてほしい。伝え方は自由。言葉でもいいし音楽やイラストでもいいし、技術でもいい。
「ない」に凝り固まっている人に「自分で気づいていないだけで、実はある」を伝えてほしい。
利益:
「ある」が「あった」になって、みんなで「暖かな気持ち」を分かち合える
障害(試練):
虚数の自分が損をするため「失う恐怖」を伝え、実数の私たちを選ばせないように働く
僕やあなたが現時点で選ぶ道は二つ。
虚数の利益-が求めるものへ進むのか?
実数の私たちが求めるものへ進むのか?
虚数の私が欲しいものはわかっている。お金とか名誉とか、素晴らしい理想の人生など、形があって色々明らかだ。
一方実数の私たちが求める利益は「暖かな気持ち」であり、あいまいで形でわかりにくい。ただ「じんわりとした気持ちに満たされる」のみだ。
どちらかと言えば、どちらを求めるか?
たいていは虚数の私と考えている。余裕があってはじめて実数の私たちの利益を考えてあげてもいい。そんなことより私の手元にはお金も人も仕事もチャンスも「ない、ないない」だ。
でも、ここまで読んでいるあなたの心はわかってる。
「虚数の私の利益を追いかけても、求めるものはない。手につかんでも、必ず消えてなくなっていく」
実数の私たちの利益を目指したからと言って、私にお金が入ってくるわけではない。人脈も広がるとはいえない。広がるかもしれないし、広がらないかもしれない。
ただ「よかった(暖かな気持ちに満たされる)」のみだ。形がないうえにちっぽけな温かみを取るなら、形あるものを取ったほうが合理的判断だ。
ここで虚数の私+の考えがきいてくる。
「合理的判断を軽く超えた、自分が思っている以上、自分が全く考えられない展開が普通に起きる」
形あるものだけでの判断は実数の私を基に、虚数の私-が未来を勝手に判断してるに過ぎない。
虚数の私+はマイナスが抱く考えなど、軽く通り越している。
マイナスを通りこした道が「ある」前提で生きるかどうかだ。
「ある」に基づいて生きるさまを「自分を信じる」という。
僕の話について、あなたがどう思ってもいい。
「今の自分には考えもつかない、すごい実力・底力を持った私がいる」虚数の私+がある前提で生きると、虚数の私-が全く思い浮かばない展開で、あなたの悩みなど軽く解決し、みんなで豊かさを分かち合えると確信してる。
あなたは虚数の私と実数の私たち、どちらの利益を得るために仕事をするのか?
私にとっての実数の私たちが得る利益
あなたが何かを感じてくれれば、それで十分だな。
いいねとか引用、有料記事なら購入他は、僕にとっておまけでしかない。
いいねとか引用、何より記事購入で得る収入について、正直メチャクチャほしいよ。
ここらに固執すると、より大きな利益=実数の私たちが利益を得るを逃してしまうと、考えている。
こう書いていると「自分で自分を変な方向に洗脳させてないか。自分に無理をさせてないか」
不安と迷いが生まれる。実数の私たちの利益と概念を創る流れが具体的になるほど、やはり虚数の私の声(私だけが欲する利益)も強くなるね。
僕の精神内で起きてる戦争は「虚数の私vs私たち」どちらの道を進むのかだ。あなたはどうだろう?
実数の私たちの利益については、こちらも読み直してほしい。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます