見出し画像

2023年6月13日に思うことを書いておこう。

おととしのFESTAはその余韻を眺めた記憶がある。去年のFESTAは祭り感に駆り立てながらもなんだかものすごく胸が痛かった。
そして今年。

わたしは昨日、去年の会食を観たんだ。
確か、4回目の視聴。
去年のリアタイでは、全然足りてない英語力で字幕を必死に追いながら、常に更新されていくあみたちによる情報や日本語訳をツイッターでも必死に追って、それでも彼らが前に進もうとしているのはわかったし、それゆえに痛む心を、いわば成長痛を、自分たちが感じるだけならまだしもファンにも分かたなければならないことに泣いているんだと理解した。
だけどどんどん負の感情にTLが埋まっていくようだった。
それに追い打ちをかけるようなヘイタ―の身勝手な 思い出しても苦しいな……  罵詈雑言に等しい主張、彼らに詳しくない外野の事情を含まない直訳、無責任に搔い摘んだ記事。
少しでも肯定的な解釈をしている人を探してTwitterをさまよいながら、すぐに会いに来てくれたジョングクやナム、それからテヒョンに慰められて元気づけられてあたたかくしてもらって、ともだちと前向きさを確認しあって、だけどそうじゃん、こうなるからずっと言い出せなかったんだよねと痛感した。
それがつらくてなんだか静かに暮らしていたわたしに、1週間以上経ってからだったとおもうけどその時には既にホビペンを自覚しはじめていた配偶者が「何が起きたか教えてもらっていいですか」とやっと聞いてきた。
日本語訳がついたのはいつだったかな。
その間、有志の なるべくそのままを伝えようと努力してくれたことの伺える訳をいくつもいくつも読んで なんてありがたいファンダムだと思ったし、ヘイタ―の通報に励んだ。励むしかなかったんだよ、溢れてたから。
とにかく、公式の日本語訳がつくころにはだいぶ落ち着いたというか……それぞれが自分の心のありどころに見当をつけた頃だったと思う。
だから公式がつけてくれた訳で再度見ながらも、ほら、全然後ろ向きな話もわがままな話も誰もひとつもしていないのに、自分たちのことをまず心配してほしいのにそれでもあみのことばかり同時に考えていて、そうしなければならないことをそれでもこんなに大切に、誇っているのに、届かなかったどころか理解しようともせずに自分の考えだけ押し付けて罵った人のことを悔しく思いながら、怒りながら観てたのを覚えてる。
愛ゆえに自分の愛が重かったのかと沈んでしまった人にも、そうじゃないじゃんこんなに感謝してるのにとつよくおもった。
どんなに自分が前向きに捉えていても、人の負の感情に引っ張られるのが怖くてなんか必死だったし悲しい気持ちがずっと続いたのを忘れられない。
3度目はたぶん、去年の年末に。もう行ってしまったジンニムは、この5月末の時点ではどんな計画だったのかなと思いながら。
そして昨日。
1年全部、このとき話したことの答え合わせみたいに過ごしてくれたんだなと思いながら観た。

あの時言えなかったことが今どの程度言えてるのかなとおもうけど、少なくともあの時点よりは楽なんじゃないかなと思った。
常にあみとも予定や考えを共有したいのにそれができないもどかしさとくやしさとせつなさと申し訳なさでジミンが泣いてた。
そのおもいたちのいくつかやそれに付随するもののいくつかはきっと今年発売になったあの素晴らしい素晴らしいアルバムのうたに形を変えたのだろうけれど、この去年の時点ではまだ苦しみの中にいたんだよね。
今日0時を迎えてすぐに送ってくれたメッセージにゆるやかな解放を見られた気がしてすごくほっとした。
いつも必ず「みなさんに良い姿を見せたい」という彼からこんな親密な手紙が届くことは、なんて、なんてうれしいことなんだろう。
知らないうちに年月は過ぎて知らないうちに成長したり衰えたりして、それと並行して知らないうちに関係は深まるものだから、わたしは途中参加というにしてもほんとについ最近のことしか知らないけれどそれでも、この1年はかなり歩調を合わせられたような気がした。

この1年のことを思うと、パッケージされ切らないMemoriesというか、え、Memories出るのかな どうするんだろこれ、というくらいなんと思い出深いことかとおもう。

そうだった。この会食のすぐ後にテテはパリに行ったね。それからすぐにホビが動いて、あああああ。華々しくめまぐるしい1年。
あの会食をしながらもうすでに予定されていたいくつものスケジュール。
会食で、Run BTSでは活動しない、今の気持ちではパフォーマンスできないというナムの話を聞きながらホビは涙を拭いていたけど、たぶんものすごく忙しく自分はソロの水面下の活動をしながら心はいつでもバンタンにもあったんだよね。何も変わらず。
テヒョンもそうだよ。テヒョンが会食で、今までぼくたちはあまりにもグループでいることにこだわりすぎた、自分のやりたいことを考えるのは悪い事だと思ってたと話し、これからは今までに見せたことのない姿をお見せしたいと言いながら、すぐに明らかになる個人の活動を思い浮かべて、間髪入れずに動くことであみをまた興奮させて喜ばせることができると思っていたのだろうし、なんせそう、去年の今日の夜はわたしたちテテと過ごしたじゃん。一緒にProofのライブを観たじゃん。
1年、いろんなことがあったね。

ボンボヤの4だったとおもうけどさ。
目的地に向かう途中昔好きだった音楽を聴いて盛り上がりながらユンギが、昔はこうだったよね、音楽聴くとほんとうにときめいて楽しかった、今そう言うのなくなったよね、みたいな話をしたよね?
わたしそれがすごいショックだったの。
なんそれBlack Swanじゃん。
Oh that would be my first deathじゃん。うそでしょ。
なのに あーねみたいだったじゃんメンバーも。そうかよマジかよ。と思ったのが、ずっと残ってた。
そしたら、会食でほぼ似たような話をしてたね。
そりゃそうだ。やりたかったことがやらなければならないことになって、前よりも素晴らしいものを そして新しいものを作るのが前提にすべてが進んで、期待に応えるのが当たり前で、言いたいことがうまく言えなくて悩んでいたはずが、言いたいことを探すのがたいへんになって、インプットする間も情報精査をする暇も自分の言葉に落とし込む間もなくアウトプットだけを迫られて、さらはその合間合間にやりたいことばっかりじゃないこともやったり 今かよ?みたいなタイミングでやらねばならぬことを差し込まれてつらくないわけがない。
ものすごく忙しいときにわたしでさえ目ではもの見て文字を読むけれどその何も自分に残らず通過して行くだけだということに気づいて唖然として焦ったことがある。焦燥にまたせっつかれて余計に焦るから、身体の内側が焦燥と疲れで満ちてて他のものが何も入ってこなくなるあの感じを、わたしの何倍も 想像もできないくらい忙しいのが何年も続いた彼らが、感じないわけがないんだ。
7人で助け合いながら自分の役割は当然全うして、求められることにいっぱいいっぱいで応えてるだけだとしても、どれだけの人のどれだけの期待に応えていたのかとおもうと気が遠くなるくらいなのに、休みたいと言うことに罪悪感を感じていたと泣く彼らを見て、やっぱり胸が傷んだ。
そんなことおもわなくていいのに。
もうほんとに彼らがどれだけあみを大事にしていて、あみと切っても切れないどころか切ること自体を思いつかないんだろうなくらいにバンタンとあみは一体化していて、一体化してるのに時差があるしそれぞれに事情があるし身動きがほんとうに取れなかったんだろうとわかる。身体の一部がくっついた双子のように別の人格を持っているのに離れられはしない、みたいな。
それは一部のひとたちが解釈してたような重荷や足枷という感覚とは違うんだよねたぶん。あえて言い換えちゃったらそうなるかもしれないけど感覚としてはたぶんそっち側じゃなくてさ、そうじゃなくて、だってかなり比重の多い目的のひとつなのにね、自分たちが幸せになることと比べて同等だとおもうんだよあみをしあわせにすること、自分たちの存在理由ですらあるあみなのに、いくらそのために必要な期間と活動だとしても自分たちが止まらなきゃいけないというか、止まったように見せてしまうこと、期待に応えられないこと、そして いつまでもこどものままでは ずっと同じところにはいられないことが、あみが大事だからゆえにほんとうに苦しかったんだよね。
だって、一心同体でありたいのに そうであることも実感したし だからそう過ごしたいのに、側面、一部だけが繋がっていて他は別々に動かざるを得ないんだよ。望んでるわけじゃないのに。
ただおもしろおかしく楽しいだけじゃなく、年月を重ねた分だけちゃんと成長していかないとだめだと、居心地のよさ優先してたわけでもないのに居たはずの場所が居づらくなって だけどなんとかやり過ごしてるうちにそこがほんとに居場所なのかも じゃあどこへ行くべきなのかもわからなくなって だったらもう違うやり方で違う所まで進まなきゃだめだと 大変でもつらくても悲しくても悲しまれても、今よりよくなることで答えにしなきゃだめだという、ものすごい覚悟。
だからわかってねと言いたいけど 大事すぎて故に押し付けられなくて 溢れ出した感情が涙になるんだよね。
そしてやっぱり、兵役のことも大いに 大いに関係あるしね。
だからずっとこのままいけるなんて思っていたわけではないんだろうから、その期間は 瞬間は来るとわかっていたのだろうから、もっとシステマティックに兵役の義務を果たすために個人活動期間に入ります、とだけ言うことだってできたのに、あのとき言える全部を可能な限り教えてくれたんだよ、スケジュールも気持ちも。
ほんとうに正直で誠実なひとたちなんだなとあらためておもった。
だってもうわたしはこれ以降、彼らがこの1年をどう過ごしてきたか知っているからね。
そういうことを昨日見返した会食にすごくすごく思った。

とにかく会食はどれだけバンタンがバンタンとあみが好きで、どれだけ長くいい感じでバンタン続けられるか自分たちに期待してるけど不安で、うまくいくかもわかんないしどうなるかもわかんないし前向きだつったって色んなこと思われるだろうし自分たちも思ってるしもちろん申し訳なくもあるし、だけど今言えること全部言うからちょっと話聞いてみて、という会食だったんたよね。

さあ、そしてそれを経ての今年ですよ。
10年、本当におめでとうございます。

今年のFESTAはもっと寂しいとおもってた。
もちろん言うてジンニムもホビもたくさん準備してってくれたとはおもったけど、まあだいたい想像よりすごいんだわなんでも。わたしが見始めてからこっちだけでも。

すごろくみたいなスポ(告知っていいなよ)マップかわいかった。こんなにわくわくさせてくれるのかよと5/31の夜中に天を仰いだ瞬間から、あーまたなんか負けるやつだこれ、といううれしい覚悟をした。

いつも祝ってもらってうれしいからと自分たちのセンイル広告を自分たちでたくさん用意してさ。
子の誕生日は親が親になった日でもあるじゃん。あみのお誕生日別にあるけどそういうことじゃなく、バンタンなくしてあみは存在せず、あみなくしてバンタンは成立しないと彼らが言うならそうなんだろう。

何よりうれしかったのはやっぱり、7人揃った新曲が出たことだよ。
Take Two。
もうさあ ほんと、プレゼントなんだなって。もうそれだけなの。
けーぽでっせ!みたいなきらびやかさじゃなく、チャートねらってまっせ!みたいなんでもなく、だけど今っぽくて、それは今の彼らから出てきたからなんだなとわかる曲調というかさ。
ドラマティックをねらってないけどわりと人生っていろいろあるよね、みたいな曲調なの(インジョン?)
ふらっと歌いに来たよ、みたいな 話に来たよ、でもすごく大切なことなんだ、みたいな曲調なの。
そこで展開されるこの歌詞だよ。
Will you stay?だよ。
Yes………………!!!!!!!つってもう号泣じゃん。
ねえ。
ねえ。ほんとになんて正直なひとたちなんだろうね?
Take Twoってのは、テイク2だから、chapter2にも似たというか そういう…そんなかんじであってる?
ついでにばんたんとあみ、ニコイチ、みたいなことも噛んでる?
なんかさあ。
もう、全部言ってる。
大好きだよ、ずっと一緒だったけどこれからも一緒だね、君が僕の唯一の理由、最高の瞬間は今だし、これからだよと。
なんせさ、テイク2が見える?見えてない?って聞くの、最初のWill you stayとあわせてこれが、なんて正直なんだと思っちゃった、先を不安がるあみをちゃんとわかってるし、聞いてくるのは不安もあるからでしょ?
Will you stay?いてくれるの?テイク2が見えない?また君のためにページを捲る物語。
この先も君のためなんだけどな と。
永遠なんてないけど、永遠を願うとき、そして繰り返し思い出す花様年華(作品の方であってもよいですが本来の意味の方)が永遠を叶えるじゃん。だから一緒なら永遠も可能だと。
概念というか、そう、名詞が代名詞になるとナムは表現したけど、あみってほんともう概念みたいな側面があって、こうして彼らがあみと言うとき何をどんなふうに思い浮かべるんだろうと思うけど、なんていうか個人である場合もなくはないだろうけどあみという意識の存在の集合体というか、10年を共にできてるひとたちがどれだけいるかわからないけど、連綿と続く活動と意識の集合体みたいなもので、その紡がれていく様はまさに物語を編むようなんだろうなと想像する。
なのにそれは漠然としたものなんかじゃなくて間違いなく具体性のある愛として受け取られているんだよね。
だからその大きさに、僕にもらえる資格があるの?なんて言うんだ。
わたしはその大きな連綿と続く活動と意識の集合体、すなわちあみという名前のついた愛の中に潜り込める理由とチャンスを自分に探してるわけだけど、そんなこと言われたらもう出せるものぜんぶ差し出したくなるよ、足りますか?足しになりますかねこれ?
そんなことをさ、振り返りながらも先を見て、朦朧とするくらい必死だったねでも僕たちって最高だし一緒にいたら永遠だよってさ、そしてどうかこれからもしあわせになりましょうだなんて、7つのいい声が次々歌い継ぐんだよ。
ほんとうになんていい声なんだろう、7人7様に。
うたがほんとに上手なんだよこのひとたち。

シュチタでさ。ジン回ね。神回と書いてジン回って読むあれね。
すげーがんばって練習してここまで来たって話するじゃん。
飲むと昔の話ばっかりするの 仲間あるあるだと思うけど その昔の話の壮絶なことよ。
でも、それが今でも続いていて、練習するべきことがあったらそんなのするのは当たり前じゃない?と。あの綺麗な顔でソクジンが言うんだよ。迷いも疑いもない目でさ。
だからすごいじゃん、Take Twoのジンニムの歌唱。The Astronautと同じ頃かな、そう離れてないよね?そう、そして見るたび泣いてしまうアルゼンチンのステージも。
うまいのにまたうまくなるのはずっと続けてるからでしかないよね。
なのにその素晴らしいキャリアを休まざるを得ないのがほとほと悔しいしかなしいね……。

シュチタよすぎたよね。
ノーヘアセットノーメイクで出てきちゃうからさジン様。宿舎でこんなだったでしょみたいになる瞬間たくさんあってさ。最初の単なるまじの酒の話もちょうよかったよね。
ソクジンの裏表のなさがもう偉人。
何も考えてないというか、考えていると認識してないだけなんだよ、じゃなきゃあんなにすぐにしあわせの定義を語れないよ。
もともとの性格もあるだろうけど過ぎたことは忘れちゃおうとしてきてそうなったんじゃないかとおもう。何をどこまで考えたら思ったら考えてると言えるのか思ってると言えるのかなんてひとによって違うんだろうな。
とにかく自分の話されてるときの居心地よくはなさそうな、照れともちょっとちがうけどまあいいかみたいな顔、たまらなく好き。
2018年の頃の話、痺れたよね。
解散を考えた話なんてしたらネガティブに聞こえたかもしれないけど、彼にしたらもうクリアした単なる過去のことで、ポジティブな今こそを共有したかったからなんだと言う。
当時のことはわからないけど後追いでもその頃の映像の多さに、どんだけ忙しかったのよと思うけど、リアタイしてたあみたちにとってこのシュチタはどれだけの宝となり沁み方をしたのかとおもう。
それにしてもその考え方。素敵すぎるよ。
もう越えてしまった痛みは忘れてもいいことだよと。なんて鮮やか。
あとホビね。ホビはあのふたりにはこんな弟の顔をしてさ。ヒョンア。語る以上にただ食べてるときの顔とかが んもうほんとによかった、ふくらんだほっぺでなんかなんだろ串外してたのかな、そのときの顔とかさ。メイクしてないから余計垂れ目で。かわいいったらない。なのにちゃんと一緒に仕事をする人として対等な瞬間もたくさんあって。その無理のない自然な行ったり来たり感が、あの人たちが互いに共に居ることの特別じゃなさ、当然さを言外に語る。
ユンギがまた何度も言うからさ。兄弟だけど?家族だからと。
この人の深い覚悟。
なんかすごいじゃんもう、ソロツアーなのに確実に7人分背負ってやってる感じ。今みんなでワルツできないけど自分が繋いどくからさってかんじ。
そういうのがもうすべてこのひとの佇まいに普段からあるんだろうなと。MCとしての役割を果たしながらも話者でもあったのが、すごくよかった。
去年の12月9日の収録ですかね。
メンバーのお互いがお互いを好きで信頼している様をこんなにも見せてくれるのがありがたい贅沢だなとおもう。
だってそれは、彼らがまた一緒に集うだろうことへの信頼になるから。

ねーこれ書き忘れちゃったから追記したいんだけど
じんにょんが髪を切るときにユンギはちゃんと付き添って なんとジョングクもいたじゃん
ユンギ収録時ヒョンの髪を刈るなんてしたくないなといいながらものすごくものすごく大切に思ってたんだとおもうんだよ
なんかユンギのじんにょんへのおもいってやっぱ深くて 冷房の温度下げてって言えないほどで
なんせね あのね じんにょんのお見送りの際にみんなが愛しさと名残惜しさにじんにょんの頭をなでこなでこし続けて そりゃもうマンネの遠慮のない撫で回しっぷりとか愛なんだけどさ
ユンギ じんにょんに促されてやっと触るんだよね
あれすごい泣けたの 年長者の頭になんて触れないと そういう彼の心持ち
だってスキンシップは別にさ まあはじまーっていうけど手は繋いだりさ 自分からはいいわけじゃん
でもじんにょんの頭におずおずと そっと手を伸ばすユンギを見て ああこのひとの長兄へのおもいはまたほんとうにとてもとても敬愛であることよ
と思ったんだよね
全く遠慮なく触れるマンネもすごくいい
それがバンタンなんだよね
(6/14追記)

ジョングクの寝つきWラもFESTAの一環かよだったね。
このひとはなんかすごいよ。
テヒョンはあみをともだちと言ってそのように接してくれるけど、ジョングクはなんて言うんだろな、たぶん彼に言わせたらあみはあみなんだろうけど、もう気持ちが裸。課せられていて自覚的な言えないことと見せられないこと以外はぜんぶどうぞ。トレーサビリティの徹底。
たぶん何十年後かにアイドルやアーティストとファンの形を振り返るに、このジョングクの透明性は研究材料になるとおもう。
でもいつもそうだよね、知ってるだけでも。
なるべく正直で、なるべく前向きに。理解と尊重と配慮。もはや人生の手本だよジョングク。
できる中で最大限。できればそれ以上。やってみたらできるかも。そしてまあめんどくさいときもあるよね。みたいな。
会食のときもそうだった。ひとりだけもうとっくに前に進んじゃってるみたいな顔してさ。だけどヒョンが泣くと泣いちゃうんだ。気持ちはわかりにわかってしまうからね。

さっきTake Twoのチッケム観たら、ジョングクの仕事の多さよ。
そしてこのFESTAでたんまり見た過去の彼らを見てもシュチタを見てもとにかくマンネのことがみんなかわいいんだな。
ていうかこんなに立派な子がいちばん下で、お兄ちゃんたちすごいよ。このマンネの素晴らしさは持って生まれたものもたくさんあるだろうけど、ヒョンたちが育てた要素もたくさんあるにちがいないんだから。

今日が終わろうとしています。
彼らの10年のほんのさわりだけだけど、一緒に過ごせてほんとうに光栄です。
ナムが今日のはじまりの瞬間届けてくれた手紙が素敵すぎたね。
このひとの並行線の愛、別々でも一緒でも近くても遠くてもともにいましょうと言ってくれる誠実さがいつも泣ける。
この手紙の中にもあるように、この10年で作り上げたもうバンタンとあみにしかわからない世界 というものの片鱗 一端を 理解して そこに立てていられることがしあわせだから また次のFESTAに向けわたしもがんばります。愛を。
아포방포も보라해も おっもい永遠を誓う言葉で、そりゃバンタンとあみは軽くはいかないなとおもう、2023年6月13日 23:51です。
10年、おめでとうございます。
これからもよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?