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Veautiful daysとはよく言ったものだ。

V写真集 Veautiful dayの感想文です。
2022年 12月30日によせて。


もはやこの表紙から裏表紙に続く仄明るい水色の空が、今後常に彼の人生に広がっていることを祈るしかない。

それは明るい未来。
それはしあわせの色。
それは茫洋たるが故に掴みどころがなく、時として不安にとても似て、だけどただなかにあればいつしかそれは平穏になって、包まれていることすらもわすれるほどでいて欲しい。
思い出のような。
夢で見た記憶のような。
懐かしい香りのような。
新しいことをはじめるときのきもちのような。
ずっと好きなシャツを羽織るときのような。
ふと目覚めたときに肌で感じる天気のような。
さみしさが溶けたあと残ったやさしさのような。
小さな秘密のような。
温度のなくなったかなしみのような。
そしていつでも、ほのかな希望のような。
そんな色の中で、ずっと。

圧巻だよ。
こんなふうに才能はあらわれるんだ。
写真に撮られる才能は、演出力と編集力を伴うのだろうか。
想像力とその再現能力はたぶん桁違い。それから、選択の絶妙さ。小道具まで彼が選んだというではないか。
そしてここに収められたのは、彼が自ら選んだ写真であるということ。
わたしはただこの世界に没頭すればよく、なんと言っても幸運なことにその没頭を許されている。このフォトフォリオを入手したことによって。
耽溺。
唯一この世界観を壊したものが、セット内容の一部であるミニポスターの裏の防弾明朗運動会記念撮影のテヒョンイなのがまたよかった。

何から話そうか。
これは映画でストーリブックでパンフレットで絵本で写真集で美術書だから。
だからどこから話しても同じストーリーの話になるし、どこから話しても全部別の世界のことになったりする気がするんだけど。

最初に公開された数枚の写真とティザーを見たとき、この青年がたどる半生を思い描いた。
それは数枚の写真を見ただけで、そこにあるストーリー性と確固たるキャラクター性を感じたからだった。
でも、そうは問屋が卸さない。
そんな付け焼刃の後付けストーリーで御すことができるような彼ではなかった。キムテヒョンだから。
彼がこのフォトフォリオの中で、ずっと同じ人物としてカメラの前に存在して撮影されていたのかどうかはわからない。
どんなストーリーを設定していて、その詳細はどこまで決まっているのかがわからない。
もちろん世界観を演出するために設定はしただろうけれど、もしかしたらそのストーリーの部分は、あみにすっかり任せてくれたような気もする。
なのになんか、その光栄な機会をうまく活かせなかった。
だってなんだか、すごく知ってるひとにも、すごく知らないひとにも見えちゃったから。
彼は好きにしていいよ、考えたらその話教えて、とたぶん言ってくれそうな気はするけど、少なくとも衣装別、パート別で別のストーリーが浮かぶくらい、全部別人設定でも行けてしまうし、もちろん全部同じひとのストーリーを語ることもできる。ストーリーなんてまったくなくて、ただモーメントを並べただけにも見える。
こんなに明確に世界観をもちながら、何通りにも語れるくらい、多様だった。
把握した気になっていた自分を恥じる勢いで。

フォトフォリオは彼の旅からスタートする。
目的はわからないけど長旅だ、荷物がすごい。しかもたぶん旅慣れてもいる。だからこれがプライベートな旅なのか仕事のためなのかわからない。
何がいいってそうやって旅の合間に本を読んだり寝そべったり行く末を眺めたりただ風景を楽しんだりしてるところ。だってそれがテテだなって思うから。
それで次に自転車に乗るから、ねえもしかしてその旅、帰路だった?と思うわけ。
帰省かもね。いいね。実家。あーそうかもね。実家に帰ってきて、実家があの白いサンルームのある屋敷でね。久々帰ってきてもやることはすぐ尽きて暇でね。楽しみにしてた乗馬もして。馴染の愛馬、久しぶりにかわいがって。
で、ここまでは順調なストーリー制作なわけ。比較的。
でもさ。突然庭にベッドが出るんだよ。
夢か?
これのせいで妄想に拍車がかかって、あーなるほど両親がなくなってもう住む人がいなくなった家を処分しに来たんだな、みたいになっちゃったんだよね、ティザーのとき。
一冊通して見てもこの妄想は続けやすいんだけど。
売られる家具が次々運び出されて、懐かしいベッドは執事の矜持で今も新しく気持ちのいいベッドリネンで整えられていて。
昔なら叱ったのに、これが最後と花を散らして遊ぶ、もう大人になってしまった坊ちゃまに、幼き日のお姿を重ね眺める執事の気持ちで見るしかない。
取り壊されてしまう家屋敷の、かつて多くの人が集まったサロンの象徴的存在だった螺旋階段、たたずみ、座り、握りつぶすのは、飾られていた花瓶から抜き取ったもう朽ちる直前の花。
思い出を撫でるような目線で階段下からエントランスを眺めて、呼ぶ声に見上げたショットで物語が終わる。

その他、もっとなんか商業的に成功して一代を築くストーリーとかもあるんだけどさ。

急にね。
自転車を漕ぐ彼と、サンルームでお茶をする彼、同じ人かな?と思って。
セルリアンブルーのコートの彼が魅せるこのいたいけさとはかなさはなんだ?
誰か死んだ? この家から出たことない? 昼寝から覚めたらよく知った自宅の屋敷にいると思ったのに実は知らない世界にいた?
それなのにステッキもって微笑む彼に、テテを見てほっこりするやら混乱するやら。

ここで不安になる。
これは誰だ。

キムテヒョンとして見るのが正解なのか、この写真集における役柄として見るのが正解なのか。

判断は委ねられている。
好きに見てよと最終的に彼は言うのだろう。でも自分が作ったストーリーを楽しそうに教えてくれるかもしれない。いや、だけどそもそもそのストーリーがあるならここに載っているはずなのだ、文のない絵本のように。
いつもクイズのようにそっとヒントだけ置いておいてくれる、遠い先の楽しみの示唆。
楽しかった旅や仕事の記憶のおすそわけのような写真。
ちゃんといつも共有してくれる彼だから、この先何か補足があったとしてもきっと、もうある程度は見えるところに出揃っているんじゃないか。
だからここから正解を見出さないといけない気がしすぎていたように思う。
彼はこんなにも好きに見ていいよと、そのためにどうとでも取れる余白を残しておいてくれたんだろうに。
つまんねえな、自分。
突然の自省である。
なるほどこれが推しか。
推しのことはわかりたいと、わかっているとおもいたいものだと。
無駄。
無駄無駄無駄無駄。
だってぜんぜん教えてくれるけど、教えてくれないもんね?すべては。
ぜんぶそうなんだよ、ぜんぶさ、あまりにも上手に断片を見せてくれるから、すべてを知っている気になってしまう。いつも。
だけど、ぜんぶ知ってるのがいいもんでもない。
愛は並行線がよいものね。
どこまでも並んで行こうじゃないか。

でもこれね、ちょっと言わせてもらうけど、テテのせいだよ。
この人があまりにもこの格好をしていて違和感のかけらもないせいだ。
普段着は普段着に、礼装は礼装に見えるから、それは生活の中でシーンにあわせて必要に応じて着替えているだけで、この写真集の主人公の人生だと思ってしまった。キムテヒョン演じるところの。
もし。もしね、こんなふうに、まるで映画のパンフレットのように、名シーンを集めて本編を予想させる、ひとつの物語のモーメントを繋いだ写真集を作ろうと思ってくれたのであれば、お見事。すべては彼の思惑通り。

こんなにコンセプトがしっくりきていいの?
不自然さがなさすぎる。
これはもちろん彼の美貌や存在感も大いに関係して功を奏しすぎているけれど、勝因は、自分でこだわった衣装や小道具の詳細と、気概、なのではないかと思った。

これが世界のBTSのビジュアルを背負って立つ男の実力と気概。

ビジュ坦とは名誉なことではない、それどころか資本主義的な人間疎外の極致の言辞だと、最近友達が読んだという本にあったそうだ。
曰く、アーティストの容姿だけじゃなく、その背後の空間まで含めて、画面に存在するありとあらゆる形や色をビジュアル、と言い、人間を美しいと思ったときに、そこだけを切り離して商品として売ろうという考えにはまり込むだなんて、と。

でも。それを言うならこの写真集における彼は、キムテヒョンは、Vは、
その背後の空間まで含めて画面すべてのあらゆるものを網羅する形で、そこから切り離されることなく美しい、のではないか?
彼がビジュアルそのものなのではないか?
空気も光も風も影も、髪の一本、花の向き、花びらの形、馬の毛並みの色艶顔の角度、遠景の屋敷、森、枯れ穂、シーツのしわ、布の分量、衣装のデザインやスタイリングはもとよりその質感、重ね着して見えている布どうしの重なり具合、もう、もうほんとうにあらゆるすべて、すべてが正解だと、何度もエスキースを繰り返して最終的に描かれ名画と謳い継がれた絵画のように、そこにあるものすべてが完璧だと思わせる彼こそは、彼は、ビジュアル担当と言っても誇れる賛辞として、その人間性を阻害することなく評価できるのではないかとおもった。
だって、人の人生が見えるんだもの。

彼がどんなふうに自分の美貌を捉えているかわからない。
客観的に素材としての価値やその有効な利用方法は当然わかってるとおもう。プロだから。
そしてその使用方法、表現力と言い替えてもいい、それは本当に本当に、被写体となる身としては稀有なほどにプロなわけ。
でも、作品としての露出でないなら、角度も照明も距離も無配慮に撮られるセルカのとおり、え、別にご興味ないすか?みたいですらある。
いやどっからどう撮ってもハンサムで、あとありのままのどんな僕もあみは好きでいてくれる、というあれなのかもしれない。そのとおりだしさ。
だけど、今回まず間違いなく、気合いの入った思い入れのある仕事だったはずだ。
自分の得意分野で好きにしてよくてそうとうの裁量を任されて、時間をかけて準備して。
いくつもある好きで得意な分野の仕事のひとつ、かもしれない。だけど、VOGUEのときもおもったけれど、彼は撮られるということ、その成果物として残され作品となった自分に、自信と責任をちゃんと持っているんだとおもう。
よいものをみんなで作り上げるために、素材であり演出家である自分ができるすべてをする。
その経験と実績、そこで培った気概が、本当に彼に今回素晴らしい仕事をさせたんだとおもう。
さすが、というひと言に尽きるくらいの(ひと言って言いながら何千文字も喋るタイプなんですわたしすみません)。

や、でも別に、彼がバンタンのビジュアル担当だと会社やら彼らや彼自身が思ってるかどうかは知らない。何言ってんだビジュ坦はじんにょんだよ。はい。

ひとは生活する中でいくつもの顔を持つのが普通で、だからこの人が何通りもの人生を歩んでそうな顔をしてこの写真に収まっていてもなんの不思議はない。
だけどどうしてこんな、知っているようなはじめて見るような顔ばかりをするの?
なにがそんなにたのしくて、なにがそんなにかなしいの。

撮影が楽しかったのかな。
その楽しさがこの、最近見ていた彼よりずっと幼いような顔に見せてるの?
かと思えば憂いすれすれの色気や、透明感をともなうはかなさを見せるでしょ。
曲のパフォーマンス中に瞬間瞬間表情を変えるテヒョンには見慣れてるはずなのにね。
けっきょくまだまだ見慣れずに、まだまだいくらでも新しい顔を見れてしまうんだ。
わたしが知らないというだけではなく、彼がまた見せてくれてるんだとおもう。新たに。
じゃなきゃこんなに戸惑うほどに新鮮なわけがない。

でも、もしかしてね。
笑ってるからかな、とおもった。
みんなが愛してやまない彼の笑顔。だけどそれは、オフィシャルなアーティスト写真ではそんなには見られない。
彼の彫刻のようなCGのようなと表現される美貌はきっと、笑っていないときにより際立つから。
端正さの中に潜む非対称さが、ただ整然と美しいだけではないごく微量の危うさを生むから、知らずに足を取られる軽微な傾斜を歩いたときの目眩のように、気づかないうちにたっぷりと酔いしれているのだ、彼の美貌に。
だから彼は笑顔でない表情を求められることも多いのではないかと思う。
そして彼自身もまた使命感を持っているかのように写真の中で笑わないことが多い。でもこれはただ、彼の真顔があまりにもシリアスであるということが最大の問題なんだ。機嫌の善し悪しに関わらず、思考の内容に関わらず、場の雰囲気に左右されることもなく、彼の真顔はただ深刻だ。
だけど。
ねえええええ
笑ってんのおおおおおお……………………。

はー
かわいい。

このnoteこれで終わったらどうする?

もうちょっと書くけど。

自然な笑顔。
それを、時代も国もわからなくさせるような格好で浮かべるから。
なんでだろう。別に、クラシカルな衣装なんて今までも見たでしょ?
なのにこんなに新鮮に映るのは……。ロケ?外だから、なのかな。
スタジオで照明を浴び浴びに浴びて撮ってるんじゃなく、自然光に見える中で彼がそんな恰好で笑うから、現代じゃなくて古い時代の、そのまま19世紀の青年のように見えてしまうのか。
普段見ているテヒョンの方が大人に見える。
だからその乖離にやられてしまった。突然、こころの一部がこのテヒョン専用スペースとして持っていかれてしまった。

少年性の話はVOGEのときもしたね。
個人的には本来あまりそこに重きを置いていない。
だって、痛むから。
少年性と言えば花様年華。あのヒリつく取り返しのつかなさ。かけがえのないものを差し出す代わりに得るものが行く末だとして、そこに行きつくまでの所在なさを持て余すようなあの時期を、ずっと愛でていられるような寛容さも包容力も、わたしは持ち合わせていないから。
その時代を越え、もしかしてここが自分の居場所かも、ここにいるならこんな格好でこんな振る舞いでこんなものを好きでいながらもっと好きなものを探せばいいのかも、みたいな彼になってから出会えたことはわたしには幸運でしかない。
だけど、そんな彼が今見せてくれるこの幼さによく似た表情。
自転車に乗っているときや、ステッキを持つときのね。
ああでも、26歳ってそうなのかもしれないね、とも思う。
目まぐるしい毎日を世界で生きて、考えられないような経験をして、想像もつかないおもいを抱えて生きている彼が、今キムテヒョンとして存在している顔。
それがこんなふうにいっそはつらつとした微笑みを浮かべられるなら、笑ってと言われてではなく笑みの浮かぶような感情を経てこの表情に至ったのなら、こんなにうれしいことはない。
もしこれさえ演出で、演技で表現で、作ろうと思って作った表情なのだとしたら、彼のプロフェショナルっぷりにひれ伏すばかりだ。
このいたいけなほどにかわいい笑顔のまた一方でとんでもない少年性を感じるのは、まるでアリスのようなサンルームのアフタヌーンティ。
無垢なのではない。何か傷ついた経験のある顔だから。
何かに傷ついてだけど越えなきゃいけないとわかって、越えたふりして諦めてしまってそんな自分に慣れたのにどこか嫌悪もして寂しんでいるみたいな顔。諦観と寂しさが根底にあるポーカーフェイスなんて、自分で思ってるほどポーカーフェイスじゃないのよ。
そんな顔をしないでよ。それがあなたの本質なのかと低俗な空想をしちゃうじゃないか。
そして、ベッドに頭をあずけた写真のこの笑顔。
なんですかそれ。
屈託がなくて甘くてオープンで、だけどやっぱり香るように孤独だ。
そしてそれはそのままどうしてか、色気につながるんだ。
ひとが生きている以上一生逃れられない孤独を本質的にわかった上であなたはそれでもと夢を見るかのように、受け入れるためのスペースをつくる。その隙がセクシーに見えるようにおもう。

ああそうだ。
キーワードは孤独。
相容れなさと諦観。押し殺した期待。そういうものを奥底に沈めてしまったから、見えてるところは透明なんだ。沈殿した憂いの上澄み。
時間が経てば経つほど、表層と深層は離れて、凝り固まる深層に反して透明度を増す表層。
だからあなたはとても美しい。

でも、そんなのまじで顔だけでいいんだ。その美しすぎるがゆえに深刻にシリアスな容貌がそう見せてるだけで、そうかもと思わせてしまうだけで、実はもうほんとめちゃめちゃハッピーで孤独って何?って感じで。
そうあって欲しいわけだからねほんとは。騙されてるんでいい。
けど。
そうじゃないんじゃないかなと、おもわせてしまうのが彼………の、魅力、の、色。

そっか。
それならやはりこれは、キムテヒョンその人でしかない写真集だ。
とてもとてもとてもうまく、この上なく彼が表現されている。

Veautiful days.

だいたいこの衣装と背景で耽美に走らなかったのがセンスよすぎでしょう。
まるで19世紀当時の世界観で描き出された彼の物語もまた(当然シリーズ外だと理解してますので大丈夫ですよ、本来の言葉の意味でね、)間違いなく花様年華で、その咲いては散るような美しさとはかなさに目が眩んでしまった。

清澄な空の色が透明すぎてさみしささえ帯びる。

今回多用された痕跡を可能な限り残さないメイクが彼をより彼らしく見せて、照明に見せない色彩がまるでそういう世界があるかのように見せた。

みなさんのお気に入りはどの1枚ですか?
わたしは悩みに悩んだわけでもなくわりとあの、帽子をかぶって本を持ってこちらを見ている、あれです。このnoteの表紙にした。

どういった気持ちでこの表情になるのかわからないけど。
ぜんぶあるなとおもうので。
これがVだなとおもうので。
これがいいです。

ぜんぶと言ったらあれですよ、ぜんぶです。
妙ないたいけさも沈殿した憂いもそれなのにない屈託も微笑もかなしみも諦観も希望も欲も無も希望も。
繊細で傍若無人で。思慮深くて快楽主義で。はかなくてしたたかで。楽しいことが好きで、さみしさを知ってる。
そういうものをぜんぶ混ざったら色がなくなってしまったかのように透明に見える。
光の三原色が交わったときにそうなるように。
彼は光。
なんでもあるように、なにもないように。
見るものに解釈を任せる余裕と、圧倒的で絶対的な存在感。

なんだか、ここにはじまりここに終わるような、見事な着地を見せるこの1枚が、この写真集を語っている気がする。

あなたはなんて美しいのか。

キムテヒョンさん。新しい年はかなしみたくないと言ったあなたの1年はどうでしたか。
お誕生日おめでとうございます。

このフォトフォリオにあなたが込めたものがわたしに正しく伝わったのかちょっと自信がないんだけれど、それでもわたしはこの写真集を見たことであなたをより好きになり、愛し、尊敬し、大切におもうから、
あなたにとってもこの本が、あなたがあなた自身を愛する理由のひとつになったらいいなとおもいます。

生まれてきてくれてありがとう。

この表紙の空の色が、なんだかあなたが描くしあわせの色に似てる気がするので、全然ちがう別の色がそうであってもいいんですけど、とにかくそんな中で生きていてほしいなとまた新たに願って、今日という日と、また新しい今日からの1年をはじめたいとおもいます。

あなたが関わるすべてに感謝します。
Veautiful daysをともに過ごさせてくれてありがとう。



ところで。
ベッドの上で飛び跳ねる写真がなかったよね。
あれ映像用スペシャルシーンじゃん。
映画化が必要。

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