
『源氏物語』の翻訳で知られる女流作家〜円地文子〜
10月2日は、昭和を代表する女流作家、円地文子が生まれた日。(1905年10月2日 - 1986年11月14日)
『源氏物語』の翻訳でも知られる。芸術院会員。文化功労者、文化勲章受章。

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
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東京府東京市浅草区向柳原2-3(現・台東区浅草橋)出身。父は上田万年、母鶴子の二女として生まれる。
父、万年は東京帝国大学文科大学(後の文学部)国語学教授で、後に現代国語学の第一人者。兄弟の他に女中、書生、兄の乳母、抱え車夫の夫婦などがいた裕福な環境で育った。
父母共に、歌舞伎や浄瑠璃を好み、幼少期から影響を受けて育つ。
祖母いねからも『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』、『偐紫田舎源氏』、浄瑠璃、歌舞伎の台詞などを繰り返し聞かされて育ち、小学5、6年生の頃には『源氏物語』などの古典や谷崎潤一郎の小説を読み始めた。
10代後半から演劇に興味を持ち戯曲を書き始め、23歳の時に劇作家としてデビューを果たした。
その後小説に転じたもののなかなか世間に認められず苦しい日々が続いた。そして30代に片方の乳房を切除、40代には子宮摘出という大病を患ってしまう。
しかし円地はこの辛い経験を通じて女性を鋭く見る目を養い、作家としての才能を開花させる。
家や夫に縛られ過ごした女の一生を、坂を登り続ける苦しみにたとえて描いた代表作「女坂」など、女の心の奥に潜む業や執念を追求した作家である。
転機は、1953年、「ひもじい月日」で女流文学者賞を受賞。
源氏物語、伊勢物語、更級日記、上田秋成もの、あるいは能面などを素材に、古典への深い造詣に裏付けられた円熟の筆致で、女の業や執念、老醜、人生の妖性や神秘性を描いて高い評価を得ていった。
その後も次々と襲う病魔と闘いながら意欲作を発表し続けた。創作へのあくなく情熱を持ち続けた。
心不全で死去。享年81歳。
『小さな幸福、つつましい調和・・・結局人間が力限り根限り、叫び、狂い、泣きわめいて求めるものはこれ以上の何ものであろうか。』と生前よく言っていたそう。
昭和真っ盛りの高校時代に買った「源氏物語」。やっと最近読めました。。。

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