袖パワー年代記 聖カタリナ
筆者は以下の文に、キリスト教徒の尊厳の否定・侮辱の意図を全くこめていないことをおことわり致します。
都内で稼働中の黄々泉がネクタイを締めたメンズスーツに濃い口紅をひいた姿で駅の階段からころげ落ちたとき、幻想暗美劇画の閨秀作家先生へと捧げるヒラメキを書き留めるメモに耽っていた右腕と左腕に、体ぜんぶの細胞活動が大集結していた事が、階段の真下に叩きつけられて気を失い病院へと搬送される大事故の、不幸中の幸いだった。
「両腕が完治すれば、すべて正常に恢復いたしますわ」知らせを聞いて半狂乱で病院に駆け付けた黄々泉の職場上司で幻想暗美劇画の隠れ巨匠は、おおきく胸をなでおろした。宇宙海賊船ドック並みに大仰な病室で密室窓のむこうに横たわるよゝみをみつめ、何事もなく眠るように目を閉じている完璧な横顔から、幻想暗美劇画のアシスタント業で仕事の何十倍もの熱意を振るう姿の健気さを思いつめていると、愛おしさのかたまりが、粘質的に熱く込みあがって堪らなくなる。懐から厚織りハンカチの包みをとりだし、包みをほどくと、美麗細工を凝らした片眼鏡を病院の電灯で独裁主義的に光輝させ左目に深々と嵌めこんだ。ガラスが巨匠上司の涙を吸った。
「クランケはみごとな調和のもちぬしですわよ」とマヌカン人形風の医師が頭部から、中世ヨーロッパ写本人物が空中へと吹き出す巻き物に手漉き紙の文字を躍らせ、柔らかく笑う。
ベッドの左右に、よゝみを蘇生させるガラス器が煙につつまれて一器ずつ。
ガラス器の天辺には有尾幻獣がヌルく火照ったしっぽを巻き付けて温めている。
第1部 聖カタリナ
黄々泉は、右のガラス器のなかで妄念の世界に浮遊している。 ガラス器をみたす液体の、住人たち。壊れた車輪、刑吏刀、とげ鞭、椰子の葉、ローマ哲学者を論破する奉献された処女、赤、緑、しろい羽毛。キリスト教の学童、陶芸家、少女、ジャンヌダルク、機械工、臨死体験者、職人藝が創り上げた車輪、「11月25日、聖カタリナの祝祭日。三島由紀夫の憂国忌と同じ日。」よゝみが独白する口の動きを巨匠上司の視神経が捕らえた。
巨匠は我が身を、ローマ皇帝の片眼鏡の端から垂れた金の鎖の先端の鷲のミニチュアが髭声で重々しく啼くの聴きながら16世紀泰西名画技法の神髄ふかく投げ込んでベルベットとレースの重厚装束を首からスッポリ、媚態から性衝動まで細かに知り抜いた愛玩動物とじゃれあうように纏った。ローマ皇帝は聖カタリナを饗応する。うたげをとりまくバロックリュートの楽団による八方からの弦奏は幻想織物の縦糸と横糸を綴り、聖カタリナのパダカを巻き取って衣裳のかたちをとる。「皇 帝が主役の音楽劇に、そなたを配役の重鎮にすえてやろう」聖カタリナは幻を見ていた。キリスト教に改宗したローマ皇帝の姿があった。リュート弾き達は天使の群れの幻を纏っていた。うたげの礼に、聖カタリナは右の袖をささげた。袖はベルベットの麻裏張りだった。
よゝみが着ていたスーツはパーツの分割を、一着につなぎ合わせていて、裏地がそれぞれ違っている怪異に巨匠帝は気づいた。ヨヨミの横顔が堕天使の輪郭で薄ら笑うのが見えた。ローマ皇帝の視界めがけて、円陣闘技場を水張りにした海戦で帆の絵姿のマルス神が焼き尽くされる姿がおしよせた。
聖カタリナはエジプトのアレクサンドリアに追放され(その終の棲家が聖カタリナ修道院となった)、皇帝にささげた「袖」が終身刑となった。袖は囚人用の監獄ではなく、帝国の秩序を壊乱させる事象を収監する牢獄に閉じ込められた。袖の独房の隣りにはおもおもしい樫扉が嵌め込まれ未知の香りの製法をつづった豆本が虫眼鏡とともに囚われていた。
袖は関節がうごくマヌカン人形の右うでに括りつけられた。収監されたその夜、人形は、関節を動かし始めた。動くだけではない。人形をかたどる女体がシットリ脈打ちはじめ、香りがただよう単語をちりばめた言葉を吐きだし始めた。牢の衛兵に鍵を開けてもらうとあちこちを自由に歩き回り、衛兵たちを未知の香りの海へと誘った。
人形は防毒面をつけた親衛隊によって捕えられると、そのまま牢獄の処刑苑(のちの時代には責苦の庭とも呼ばれた)へと連れていかれ、車裂きの刑が執行された。聖カタリナの袖にまつわる記述が、17世紀にロストフのディミトリーによって書かれた『聖人の生活』に記録されているのだが・・・
「1つの車軸にマヌカン人形を縛り付けると、上半身と下半身をつつみこむ2つの、マルス神の御影法師が乗りこむために作られた馬車用の巨大な車輪を嵌めこみます。車輪には槍の切っ先を無数に打ち付けるように命じ、刑がはじまると上半身を喰らう車輪を右に、下半身のを左に回してください。回転する車輪の勢いと槍の群れがマヌカンを破壊するでしょう。しかし、まずはじめに車輪刑具をカタリナの袖マヌカンに見せ、袖がそれを見て残酷な処刑を恐れ、ローマの意志に従うように仕向けねばなりません。しかし、そののちも頑固さが続くようなら、痛みを伴う死を受け入れさせなさい」
以上の、黄々泉による書き直しや書き足しが加わった記述がそのあと更に、こう続く。
「その日、夜光蟲の陰々滅滅たる海を一滴のこらず飲み干した大地はその亀裂から、煙を噴き上げたのです。煙は五本のゆびを持ちあわせた形をとって臓腑の血の匂いに溢れ、煙の持ちあわせる、ありったけの風速と鮮やかな香りにつつまれた白い羽毛のむれが命ある者の迷いのなさで飛翔し、聖カタリナの処刑苑に着地すると、ぞんぶんに荒れ狂ったではありませんか。けむりのゆびは、刑に立ち会った者も、刑を執行した者たちも、複雑な刑具機械の部品のひとつひとつに組みあわせ、端役はひとりもいない、全員が信心の誇りに自負をもったキリスト教徒たちになって、バロック様式の祭壇絵画劇の最高潮をえがいたのです。バロックは、調和を最大限まで拡大させたのです」
後篇に続く。
本領は後篇からです。
袖はより袖らしく、袖の限界を超えて、
読者ご同輩の目の前で狂喜乱舞いたします。