メロンの王様のお話
私が初めてマスクメロンを口にしたのは、確か幼稚園の頃。家では毎日食べてたよ。そう言うと、きっと”えっお金持ちだったの?”と誰もが言うし、引くでしょう。誤解されやすいのでこの事を誰かに話してはいない。
実は実家が農家のため、子供の頃マスクメロンを栽培していた時期があった。若き父はまだ珍しく高級品だったメロンの王様にチャレンジしたのだろう。大人になって知る話なのだが、マスクメロンの栽培はとても難しく1つの苗に1個しか収穫できない。おまけに水耕栽培、父は莫大な投資をしたものの、徹底した温度、湿度管理のうえにあの綺麗な細かい編み目をが出るクオリティーの高い製品しか出荷出来ない。手入れも栽培もとても手がかかる王様と言うよりお嬢様の果物。きっと収入の何倍も投資の方が上まっていたのではないだろうか。よって私のマスクメロンの記憶は短期間である。
そんな事を知らない幼い私は、メロンが大嫌いだった。毎晩食後に家族でむさぼり食らう様に食べるメロンの匂い、あれがどうしても嫌で何だかカマキリを見ているような気分だった。メロンソーダ、ハイチュウメロン味等メロンの味がするのは全て苦手だった。今考えればとても贅沢な話だ。
その頃メロンハウスへ遊びに行くと、編み目の無いつるつるの表面のメロンがあって、そこに釘で傷を入れしばらくすると盛り上がって出て来るんだよ。と父は教えてくれ、メロンに”山口百恵”と書いて見せてくれた。余談だが真面目で堅物な父が〇〇ファンと語ったのはこれが最初で最後の事だった・・家族は各々自分の名前を書いて傷を付け、これは自分が食べるメロンとマーキングしていた。今考えると莫大な損失をしているのに何て呑気な家族なのだろう。時代は高度成長期、父もまだ若く、失敗してもまた次へ進めば良いと考えていたのだろうか?どういう気持ちで失敗作のメロンを毎晩口にしていたのかは分からないが、子供心に悲壮感を感じなかった。皆笑いながら楽しく食べていたからだ。その後メロンハウスは廃屋になるのだが、私達子供の恰好の遊び場となった。その綺麗な冬でも温かい温室の匂い、キラキラと反射する光の光景は今でもたまに思い出す。父にとっては苦い思い出となっていると思われるが・・食いしん坊&珍しい物好きの家族にとってはほろ苦いけれど美味しかった記憶になっているのではないだろうか。
色んな品種が出回わっているのにマスクメロンが未だに高級でデパートのショーケースに入れられていて、王様に君臨しているのか。我が家のエピソードを基に少し感じて頂けたらと思う。
つづく・・
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