失恋してフルマラソン完走した話
2017年の失恋は、私史上最大のショックだった。
社内恋愛だったし、なぜか社内じゅうに知れ渡ってたし、先輩だし。結婚かなぁ、結婚でしょ。
と思ってた24歳、入社2年目。
たったの5カ月でその恋は終わった。
きっかけは些細なことで(多分)
多忙を極める彼を気遣ってあげられなかったこと。休みが合わず当然すれ違ってたこと。今となってははっきりと思い出せない。
おかしなことに、そのことで思い出せるのは彼の好きだった所とか、思い出なんかよりも自分がどんなに憔悴したか、ということだ。食事に行っておしゃべりに夢中になり味を覚えていない、みたいなそんなかんじ。
恋を失った私は、日がな泣いて暮らした。
そうだ、登山をしよう
四六時中なみだをこらえていた。
もはや何が悲しいのかわからないぐらいに。
訳あって2DKの狭いアパートで同居する母に悟られたくなくて、仕事を終えるとレイトショーに駆け込み暗転と同時に大号泣していた。大通りでうわーんと泣いたこともある。何が涙のスイッチになるか分からなくて、怯えていた。
さすがにこれじゃいけない。
何もしたくなかった。でも何かしないと。
ぼろぼろの精神状態で思いついた脱却策は
「達成感を得ること」だった。
達成感=登山(ナゼ?)
思い立ったら吉日。私は百名山として名高い安達太良山に向かった。
安達太良山は標高1728mで初心者でも登りやすいと定評の山。さすがに山頂付近は岩を掴みながら登る場面もあったけれども。
ガスって霞んでいた景色が綺麗に晴れるとこんなにも美しい景色に出合える。
入山してから下山までだいたい3時間ほど。
ただひたすら何も考えず足を前に進むこと。目の前の道をどう行くか考えること。それはその頃の私に必要なことだったのかもしれない。
そこから1〜2カ月ほど、休みの日は安達太良山に通った。そのころはそれぐらいしかやることがなかった。
毎週同じルートを歩いた。
けれども見える景色は毎回違った。
山頂でおじさんが摘んで食べてた木の実をいただいた。渋みはなく遠くにすっぱさを感じる。
自然に癒されながら、徐々に落ち着きを取り戻して行きましたとさ。
とはなりません。それでもやっぱり、あのことを思い出すとじわっと涙が出る。特に飲酒したとき。そんな自分が大嫌いだった。
そんな中、新たな欲求が目を覚まします。
もっと達成感を得たい!と。
やるか、フルマラソン
その頃の私、
達成感=登山=フルマラソン
職場の先輩が過去にフルマラソン完走した話をきいて影響されたのもちょっとあった。
「今こそぶつけるべし‼︎」
なぜか当時は、それで奮い立つことができた。
決断したのは8月。目標は2月のいわきサンシャインマラソン。理由は海辺を走るなんて気持ちよさそう!というただそれだけ。
ちなみに私は子供のころから運動が苦手で、特に長距離走が大嫌いだった。なのに中学では、なぜかスタミナがものをいうソフトテニス部に入部。肺活量を鍛えた期間は短期集中2年ちょいのテニスと7年続けた合唱ぐらい。
準備したこと
①ジムに入会
そもそも筋力がなかったのでしょっぱなから地面を走ることが怖かった。筋トレしながらランニングマシンで早歩きよりちょっと早いくらいの速度で1時間ぐらい週3〜4日走った。
②Qちゃんの師匠・小出義雄さんの著書「マラソンは毎日走っても完走できない」を読む
これを読んでかなり楽になったし週3〜4楽しく走るという習慣ができた気がする。
③職場まで45分歩く
完走できればいいと思ってたけど、極端な話、制限時間の6時間を歩き続けられるかと言われればできない。まずは6時間歩き続けられる体力を目指した。
そんなことで着々と準備を進め、冬になった。
走ることに慣れてきて、10キロ走に挑戦しはじめ、2週間くらい経ったとき、右足の甲に違和感を感じた。
疲労骨折ですね!(ニコッ)
ジム内にある整骨院の兄ちゃんにそう言われて崩れ落ちた。原因はいきなり無理しすぎ。
疲労骨折って、、部活か!
大会は2月上旬、宣告(?)を受けたのは12月末。
終わったな、と思った。試合前に怪我しちゃうスポーツ選手の気持ちが初めてわかった気がした。おこがましいか。
もう思い出作りに行こう、今まで頑張ってきたけど、仕方ない…
その後治療に専念。
けがが分かって3キロ以上走ったのは大会前日だった。
本番に強いタイプです
レースが始まった。
全く寝られなかったけど、体調は悪くない。
出走は持ちタイム順になるのでタイムがない私は指定されたほぼ最後尾のエリアに並ぶ。
2月っていったら冬なのにパツパツの半袖半ズボンでタイムを狙う人たちなんかが先に行くのを待つ。
心がけたのは、あくまで自分のペースで走るということ。完走はできたらいいな。リミットは6時間だから42.195÷6=7で、少し余裕もって1時間に8キロ進めればいいか。無理なら仕方ない。
走り出してみると、めちゃくちゃ好調だった。
半分の24キロ時点で3時間。20キロなんて走ったことないのにこんなに予定通り行くとは。これがアドレナリンの力か。
海風が気持ちいい。
楽しくて楽しくて仕方なかった。
きつくなってきたのは30キロ通過ぐらいから。観光名所のアクアマリン福島手前でフラガールたちがハイタッチしてくれた。綺麗で、可愛くて、笑顔が素敵で、めちゃくちゃ元気になった。嬉しくて、楽しくて、調子に乗って、ペースが上がった。
人生で一番長い2.195キロ
なんやかんやで終盤に…というわけはない。
35キロぐらいから膝が限界に近づく。
信じられないぐらい上にも前にも上がらない。給水所のコールドスプレーは気休めでしかなかった。
でも止まったら、止まってしまったらもう前に進めなくなる。そんな気がしてガタガタでも前に進んだ。
だんだん6時間の制限時間が近くなる。
車道ではコース途中で回収された脱落者たちがバスに乗せられて私のことを追い抜いていく。
ここまできたら、必ず走る!
最後の2.195キロはほとんど覚えていない。
あんなに早かった1キロが、500メートルが、100メートルが、1メートルですら遠い。
「あと0.195キロ!」の看板すら「まだなの?」と思ってしまった。
そして完走した。ゴールのゲートをくぐると間抜けな音楽が出迎えてくれた。
5時間54分54秒が終わった。
失恋して、完走して見えた世界
「やっと終わったあああ」これが一番最初にでた感想でした。完走だけに。どうしようもなく辛かった。やっぱりちょっと泣いた。
自分の体とは思えないぐらい体中が痛かった。
代わりに欲しかったものは手に入れた。
でも、欲しかったものよりもっとすごいものを手に入れた気がする。
沿道で応援してくれた地域の人たち、大漁旗振ってくれた漁師さん、「アゲアゲホイホイ」エンドレスに踊ってくれたいわき海星高の野球部、なぜか流れでハイタッチしてくれた読売新聞の腕章付けたお兄さん、給水場で励ましてくれたボランティアのみなさん、ゴールで待っててくれた職場の先輩、仕事中にエントリー番号を調べて私が走る位置をチェックしてくれてた後輩たち。
今までの人生で一番「がんばれ」をもらった日だった。
なんだかやっと、自分のために頑張れたと思えた。そして応援で力が出た。応援されるほどがんばれた自分をちゃんと認められた。
月並みだけど、この先どんな辛いことがあっても乗り越えられる気がした。
事実、その半年後に挑んだ富士登山はこの日ほど辛くはなかった。
こんな体験につながるなら、失恋も悪くないと思っちゃった。