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プロットを立てるのをやめたらわかった、3つの真理
とあるオーディオメーカーのブランドブック制作の依頼が舞い降りた。(弊社にとってはお付き合いが長い会社さん。)
が、今回はいつも違えて、プロット(絵コンテ)なしで制作を進めることにした。
制作スケジュールは最初に立てたものから大幅なずれがあり、遅れに遅れたこともあり、ここにきて腹を括ったのだ。もうプロットを丁寧に組んでいる時間がない。
とあるアニメ監督が「みんな安心したいからプロット(絵コンテ)立てるんだ、それだと自分の頭で想像したもの以上のものが出てこない」と語っていたことにもろ影響された。
そういや最近自分を追い込んだり、冒険したりとかしていないよな・・・
プロット立てなくてよかったこと①
やはりどこか気持ちが自由になったのはよかったことだと思う。自分の想像以上に大胆にレイアウトやページ展開を考えることができた。
ありきたりな(保守的な、いわゆる綺麗に見えるやつ)画像構成にとらわれることは無くなった。
ここは商品俯瞰のカットを配置したら面白い ! とか(済みません、それまでオーディオ商品の俯瞰を写したカットは誰が使うんだよって思ってました・・・)商品のサウンドのことや独創的デザイン性を語るなら、トリッキーな半透明の部品画像のアップでもアリだよね! とかそれまでは守りに入るがために使わなっかったようなカットを駆使している自分がいた。
プロット立てなくてよかったこと②
すると周りの皆もついてきてくれる雰囲気が出てきた。
勢いというか、巻き込み力というのでしょうか。
また別の角度の提案や発想をしてくださる方もいて、やはりビジュアルの持つ力は大切なんだなと実感。
プロット立てなくてよかったこと③
改めてデザイン制作するということに関して「自由になる」ことが大事だと気づかされた。①で述べたように構成などに対して自由な態度になるとは、(注:トンマナやルールやブランド感を無視したり逸脱したりすることではない)私が「〜すべき」という固定概念から(と、思い込んでいる自分から)自由になったということ。
これはクリエイティブという概念にとっては一つのプラス現象として、もしかしたら大事なのかもしれない。それはデザイン制作に携わる者としての自分がありきではなく、
私は一人の自由人であるべきだと、ある意味で気楽になれた。
次回に続く
撮影や取材も終えて(専門職の方々の対談式インタビュー)ほっとしたのも束の間、今度は早めにカンプ出ししてとの連絡・・・
そして唐突のページ数増加命令にもめげず、ひたすらレイアウトをする・・・宇宙誕生の時を待つ・・・
ひたすらレイアウトをする・・・
ひたすらレイアウトをする・・・
ひたすらレイアウトをする・・・
するとこれまで荒野を彷徨っていた次元から今まで積み重ねてきたものが呼び水となって、蘇る瞬間がある。←これがコツ
次回に続く・・・