第143話 意識体たちの日常生活
結局、途中だった夢日記の内容をきちんと整理し直せたのは、その日のお昼近くになってから。
ただ面白いことに、その記録を書くに当たって振り返っていたその間、なんとも心強い助っ人が私と一緒にいてくれた。彼女以上にこの世界の解説ができる適任者は、他にはいなかったことだろう。
『ウニヒピリ』によるとそのお爺さんの部屋は、私たち、つまり私とウニとの“感情”ではないとのこと。またその扉はいつも必ず閉まっていて、一度も中に入ったこともないのだと報告してくれた。だからその先が集合意識なのか、お爺さんとは誰なのか、会ったこともないのでわからないそう。
そして、猟銃の置いてあった踊り場のような場所に関しては、「いつも通れる。大丈夫。」とのことだけど、レーザーに狙われたことは今回が初めてだったらしく、ウニの中の『怖いちゃん』が「そこ怖かった。」と教えてくれた。
少しずつ読めてきた。
この日の夢の中で、私は様々な“統合された”自分自身の意識体となり、だからこそ建物内という“私の心の中”にいたのだとわかった。
感情が分離状態にある時、その子たちは必ず夜の屋外にいて、浄化されるに従って空が明るくなってくる。
ある時見えた浄化途中の状態のビジョンでは、朝日と共に、感情体たちの行くあぜ道の先に大きな建物が現れてきて、彼らがそこを目指して歩いている姿が映し出されたのがヒントになった。
また、途中から私が乗り移っていたのはやっぱり『淋しい』だったとのことで、“お母さん”とは私のこと。とはいえ、あれからさらに統合が進んだ彼女はそのことを示すため、当時のベリーショートの髪型から美しいロングヘアの持ち主へとなっていた。
ぬいぐるみを持っていたかまでは分からなかったけど、前回無かった、斜めがけのポシェットという持ち物が増えていた。もしかしたらあのぬいぐるみは、その鞄に収まっていたのかもしれない。
するとさらに段々と、色々なことが繋がってきた。
泥んこを落とした感情体たちが、屋外から建物内へと入ることが『自己統合』のまず一歩。そして旅館のような場所のことをよく思い返すと、そこはロビーのような公共の場だった。つまりは現実世界と同じように、おそらくある程度クリーンな状態の意識たちでないと敬遠されるだろうことは想像がついた。
そこから感情体は、それぞれのスペース……隠し扉を通り抜け、『私個人の“心の部屋”(宇宙)』へと移動していったことから、ロビーやモール内などは、他者の意識や集合意識との共有スペースなのではないかと思われた。
こうして“小説を書いている今”も、意識は絶えず移動しながら『意識体としての生活、営み』を続けている。きっとそこには多くの扉が存在していて、だからこそ人間の想念とは物理的距離を超え、思い浮かべた瞬間にテレパシー交流できるのだろうと思った。
それと、小さく細分化された意識体たちが、さらに複合的な“大人の”意識体にあたたかく見守られているということ。これを知れたことで、何ともいえない嬉しさが私の中に込み上げてきた。
すると同時に、その世界におけるあのお爺さんのことが急に気になってしまった。
「ねえウニちゃん。結局あのお爺さんて誰なんだろうね。あの扉は閉まってたけど、それでも感覚的には、私、そのお爺さんのこと知ってるんだよね。」
「誰なのかは、ウニ知らない。」
厳格そうで、怖そうで、公正で叡智溢れるお爺さん。その人の住まう重厚な扉は、しっかりと固く閉ざされていた。
written by ひみ
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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。
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さて。
なんか、『はた●く細胞』の世界みたいになってきましたが笑
あながち間違ってはいません。体の中も心の中も意識。意識は細部に宿る。
新月後に、けーこのガイドも体の芯をきちんと掴み、心身共にきちんと向き合う必要性を説いている通り(12/8掲載『集中せよ』。冬至来るけど気を引き締めてね)、体と心は繋がっています。
また、この「体」とは、見える部分の体と、それこそ細胞のような見えない体とどちらもあなたです。
体の軸と心の軸、やりやすい方からで結構です。ただし最後には、いずれ両方やることになります。
ちなみに人体(小宇宙)と外宇宙も一緒です。
本文中ではspace(宇宙)という言葉を使って表しました。
この動画(↓)をご存知ですか?画質も情報としても古いのですが、12〜3年前に見て感動しました。
(こちらも、全部じゃないけどたまに日本語字幕がつきます。字幕をオン!)
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