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第59話 弘法大師


『PTA成人教育委員会主催 日帰りバスツアー参加者募集のお知らせ』

子供が登校している時間帯を利用しての、保護者向けの工場見学ツアーのプリントが学校から配布された。
初めは全く興味もなかった。確かに大人になると社会見学の機会などほとんど無いので、知見は広がるのかなとチラッと思いはしたけれど、それでもどちらかといえば億劫さのほうが上回ってしまっていた。

せっかくだけど不参加で。
そう思って他の紙類と一緒に処分しようとした瞬間に、久しぶりに視界に光が跳ね上がり、心の中にも違和感が生じた。

なんだろう、これも何かのお知らせだってこと?
ええー?なんかこれ、また私が行かなきゃいけないやつなの?

「バスツアーに行ってこい」なんて指示が上から出されるわけなどないと疑いつつ、それでも奈良の時ほどではなくとも、自分の中に「怖い」という感情が出てきたことが引っかかった。
結局その「怖さ」を嫌々ながらも感じ尽くすと、見学施設を調べるくらいならやってみてもいいかなと、そんな気分になってきた。

……あー、なるほどそう来たのか。

今回のツアーでランチの場所に指定されている施設内には、空海像が勧請(※かんじょう)されていた。どうも、その弘法大師から何か用事があるらしかった。一人での参加は寂しかったので、小学校から付き合いのあったななみのママに声をかけると、是非行きたいとの返事をもらえた。

当日は時々小雨が降ってはいたが、飲料を生産している工場見学は興味深く、お昼のお店も写真で見ていた以上に満足で、いつかあきらを連れて来たいと思えるほどだった。このあと午後から予定されているショッピングも今となっては楽しみで、こういう企画をはなから欠席と決めつけようとした自分を少し恥じた。
そして今回「呼ばれた」本当の理由は、思わぬところに転がっていた。

このバスツアー企画では、毎年校長先生と、その年のPTA成人委員担当の先生が一人同行するのが恒例だそうで、お昼は偶然にも、その二人の先生方と同じテーブルに案内された。好奇心が強いななみのママは、普段は喋る機会がない校長先生に対して次々と質問をぶつけている。

学校がまだ荒れていた頃の話、校長先生が昔担当していた教科の話、外構整備の際、けたたましい工事の騒音の中で授業をしていた時の話……。
毎日学校に出入りしている身としては、改めて校長先生に何かを聞こうという発想すらなかったために、逆にどの話題もとても新鮮に感じられた。

「……今、部室棟がある辺り。昔はあの近くに正門があって、その横には立派な桜の木があったんですよ。それをどうしても切らなくちゃいけなくて。……お二人はお子さん2年生だからスサナル先生のこと、ね、知ってるかもしれないけど、その……。
その桜を切った時にね、スサナル先生が足を骨折しまして、あの先生が骨折となるとそういうね。なので慌てて、川崎市の端っこのほうにある川崎大師(※)までお祓いに行ってるんですよ。」

長い間、多くの子供たちの門出を見守り続けてきた桜の木が切られることは、その木にとってはさぞかし無念だっただろう。その苦しみを“霊媒”として受け止めたスサナル先生と、さらにその先生への“憑き物”を解放しようとした空海さんの話をここで聞くことになるとは……。

先日夜間の悪夢の出来事があった後、タイミング的にも今ここでそんな話を聞けたという中に、スサナル先生と空海からの、「どうか修羅に堕ちないで」という悲痛なメッセージを感じ取っていた。
あれから時々体内の剣(つるぎ)を取り出しては、ヤマタ先生の意識に向かって、幾度となく憎しみを乗せては突き刺すことを繰り返してきていた。

長く私を守護してくれている空海さんは、スサナル先生その人のガイドでもあったことが、桜の話からも判明した。高次元の存在とはいえ人間意識に近い場所にいるこの彼は、人の痛みを誰よりたくさん間近で見てきた孤高の僧侶である。それ故に、私自身の深い闇との「仲介の適任者」として、最近の私の目に余る暴挙を止めるために降りてきて、守ろうとしてくれているのが伝わった。

わかったよ。憎悪は全く消えてなんかないけど、せめて想念で斬ることは頑張ってやめるよ。

食事の後でご挨拶に行った空海像に手を合わせると、心の中でそう伝えた。




※勧請…この場合の勧請とは、この施設に新しく空海像が設置された時に、別のお寺の空海像から御魂分けがなされているということ。

※川崎大師(かわさきだいし)……弘法大師空海を祀る、真言宗のお寺。関東三大師のうちのひとつ。


written by ひみ

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。

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あきらが入院して絶望の折、私の悲しみがけーこの水晶に一極集中して、念で破壊してしまった話はかつてけーこが記事にしてくれました。それと同じように、この時の私からヤマタ先生への憎悪の影響もすごくてね。パンッと念が放出された瞬間に、「何かやっちゃったかも」って思ってたら、給湯器の弁の中の球を粉々に破壊してしまっていて、その夜お風呂にプラスチック片がワーっと出てきて交換してもらうはめになりました。
球体って、固定して上から押し潰すとかじゃない限り、圧が均一だから破壊が難しいのね。けど、それすら壊せてしまうの。
あのね、こないだも書いたけど、人の念ってすごいのよ。物が壊れる程度ならまだいいけど、自分や他人を破壊してしまうことも簡単にできるわけ。
そうなるとまた自分も同じく痛い目に遭って、気づければようやく刈り取ることができる。
気づかなければやり直し!

だからまず、自分がいかに分離しているかを自覚すること。「あの人闇深そう」とか言ってる自分の闇こそ深い。自覚する。そこが第一歩です。

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