ゾンビっているんだ、と思った。
僕の言う「ゾンビ」って
考えることを放棄した人のことです。
それは一時帰国した時の
電車の中での出来事です。
「他の人の迷惑になりますので
リュックは前にするようご協力、ご理解ください」
と言う但し書きを目にしました。
僕は大きなスーツケースと、大きなリュックサックを担いでいた。
僕の荷物は
さぞかし電車内では目立ったことだろう。
もともとこんな大きな荷物を抱えた乗客は
日本の公共交通機関内ではあまり見かけない。
多分、最初からタクシーなどを使って移動するんだろう。
でも海外からの旅費だけでも結構な出費なので
タクシーなんて贅沢な乗り物なんて使わない。
多くの海外からの旅行客も
きっと同じ考えで電車やバスを利用するだろう。
でもパンデミックの今や
そんな海外バックパック組はどこにもいない。
僕の向かいにいた30代後半の男性、
奥さんとまだ小さな子供を連れて
きっと幸楽に向かう幸せな風景だ。
でも僕にはどうしても拭い去れない
違和感を感じていました。
僕よりも遥かにコンパクトなリュックを
そのお父さんは体の前にかけていた。
誰に迷惑をかけているわけでもないのに。
むしろ電車内では僕の方が遥かに迷惑無人な乗客だ。
車内は程々の混みようだったが
テレビで見るような鮨詰めの車内ではない。
それなりに他人との距離は保てていた。
僕はこんなふうに考えた。
もし自分の荷物が他人に迷惑をかけたなら
その時に詫びれば良い。
その事情を話したり、理解してあげたりすれば良い。
そう言う心の余裕を持てる社会であれば良いと願うのだけれど、
確かに余裕すら持てない社会、時代ではあるとは思う。
でも私たちは「言葉」を持ってして進化したホモサピエンスだよね。
五体満足に目と口と耳が揃っているなら
考える脳を持ち合わせているなら
人とコミュニケートすることは
勿論できるはずだ。
でも電車内の但し書きは
そんなコミュニケーションを煩わしいものとして
ルールを敷くことで無難に、ことなきを得ようとしている。
そして、その敷かれたルールに
従順に疑問を抱くことなくしたがっている大人がいるのだ。
僕にはその幸福そうな男性の薄ら笑いに
実はゾッとしていた。