5「仏教を否定される」byバイリンガルの先生
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Meeです(^^)/
あるときM氏がふと
「Meeさんは?仏教徒?
何か信じているものないですか?」
ときかれ、
「う~ん。無宗教だよ。
でもお寺に行ったり、お墓参りしたりするから
どちらかというと、仏教かなぁ」と
テキトーに応えたところ
「仏教は生まれ変わりあり、と言いますね。
生まれ変わりはありませんよ」と
思いっきり否定され
「君は何も知らないのですね」的な
お言葉を
浴びたような氣がしたけれど
当時、
仏教はおろかキリスト教、その他あらゆる宗教について
まったく何の知識もないMeeさんは
言い返すこともできないのでした。
(悔しい~~~!でも、無知だから仕方なし( ;∀;)
↑
心の声。
※その後
シャーリー・マクレーン著の
「アウト・オン・ア・リム」や
エドガー・ケイシーの本を読みあさっていく( ´∀` )
いまだにワタクシは無宗教ですが、
これがきっかけで
「日本人なのに
寺とかお墓参りとかしているのに
仏教に関する知識がないと反論もできない。
このままではイカン」と
仏教にまつわる本を読み始めるのです。
(もともとお寺の雰囲氣とか好きだったし)
そしてしばらくして、
社会人向けに仏教学概論を受講できる大学があることを
知って(ネットで調べたら会社の目と鼻の先にあった)
そこに通い始めるのでした。
(お坊さん見習いの方々も受講されてておもしろかった)
人生というのは
本当におもしろい(興味深い)もので
あのとき、あれが起きたからこそ
※ほとんどのケースでは、
「一見すると不愉快なできごと」である場合が多い。
Meeさんの場合でいうと
「あんた、宗教に関して何も知らんのね」という
扱いを受けたからこそ
今の自分がいる。
(この世の仕組み、心と体と魂の仕組みをお伝えしていますので(;^_^A)
すべてはつながっている。
すべては必然。
だと
感じずにはいられないのです。
氣づいて、
動いて(行動すれば)みると
意味ある偶然(シンクロニシティ)が起きて
運命(人生)の方から
「こっちこっち~!」という
情報や出会いを
持ってきてくれて
「しかるべき道へと」歩むように
なっているんですね(^^)/
その後、いろいろ学ぶうちに
仏教(ほかの宗教も)て、
宇宙の法則を語っているんだね。
と、知ることになったのです
(Meeさんの解釈です)
そして
それも「活用」することで人生がとても
生きやすくなることを知るのでした。
今振り返ると、あのときM氏に
「仏教て、生まれ変わりあるとか言ってるじゃないですか~
ないですよ~」
と、言われて
「本当に良かった」と思います。
あれが起きてくれたおかげで
ワタクシは
宇宙の仕組み、この世の仕組み
それらを知るための
壮大なテーマの扉が開いたのでした
(すべて必然(^^♪)
いつだって
大きなギフト(贈り物)は
大変なこと、一見不愉快なことの裏に
ちゃんと隠れて「いる」んですよね。
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宗教も仕事も
恋愛もなんでもそうですが
はまらず、のめり込まず、
否定せず、拒絶せず、
俯瞰してみる(客観的にみる)
と「自分にとって必要か必要じゃないか」が
見えてきます。
のめり込んでいると
没頭していると
寄りかかっていると
見えません。
人間は、自分が「信じていること」しか
見えないんです。
あるのに、「ない」んです(;^_^A
※心理的「盲点」。
軸は常に、自分。
起きるすべての出来事は
「自分がコントロールできます」
むしろ
自分以外の「誰か、や何か」に
コントロール権をゆだねると
自分以外の「誰か、や何か」の
人生になってしまいます。
自分が
自分のハンドルを握っている限りは
何が起きても、大丈夫。
自分が「大丈夫」と
思っている限りは、
大丈夫なんです(^^♪
思考(考え方のクセ)が変わると
嗜好(味などの好み)も変わります。
思考(考え方のクセ)が変わると
志向(志す方向)も変わります。
起きるできごとに対する
解釈が変わるので
発する言葉も自然に変わります。
個人セッションを重ねていくと
今まで
「上司が」「会社が」
「嫁が」「こどもが」と言っていた相談者が
「私は将来・・・」
「僕的には、これから・・・」
といった風に、
主語が「I(自分)愛」になり
そして
「未来」のことを語り始めるんですね(^^)
そんな
相談者の方の「思考の変化」を目撃するたびに
とてもワクワクします。
「動き始めているな」と
感じて嬉しくなります。
モノの見方が変わると、
「人生」が変わります。
見える景色が変わるんです。
そして
思ってもみないことが
人生の方からやって来ます(^^♪
「こっちこっち~!
はやく、おいでよ~!!」ってね。
つづく
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