【エッセイ】「お人よし」とは今日限りでさよならだ。本当に「優しい人」になる。
卑怯な人を見ると、どうしようもない気持ちになる。
よっぽどわかりやすく悪い人の方がいい。
卑怯な人は、人のことを思い遣っているふりをして、実は自分のことしか考えていない、というものだ。
一番可愛いのが、「自分」なのだ。
それを堂々と言えばいいものを、あくまで他人のこと考えてますよ、大丈夫ですか、と言う素振りをしつつ、自分を慰めている。
だからタチが悪い。
で、大抵自覚をしていない。
本当の自分の「卑劣さ」に気づいていない。
表面上は優しいので、言われた方も無碍にできない。
だからやっかいだ。
そう言う人は、圧倒的に「自尊心」が低い。
本当に脆い。
脆弱だ。
そして自分の弱さととことん向き合っていない。
強いふりをしている。
わかる。
自分もそうだったから。
だからと言ってどうする?
そういう人に絡まれたら?
わかりやすく「拒絶」しようと思う。
そう、誰が見ても。
どんなに鈍感でも気づくくらいに。
どうするか。
「大変じゃない?」「まあなんとかやってますよ」
「すごいね」「どうも、じゃあちょっと忙しいので」
こんな感じでいいのかもしれない。
これを下手に気を遣って社交的感を演出して
「すごいね」「いえいえ、〇〇さんも・・・」なんていうものなら
向こうの怒涛のアピールが始まるわけだ。
だから自分の「お人よし」「聞き上手」これが時には仇となる。だからこそ狙われているわけなのだが。
しっかりと「嫌われる」必要がある。
「気に入らない」相手に「お人よし」になる必要など皆無なのだ。
だから自分の課題は
「空気を読めないような無能な人に、わかりやすく冷たくするクールさ」なのだ。
まだお人よしになりたいのか。
たしかに、人助け、と言えるのかもしれない。
私の根っこにあるものは「弱いものを助ける」で、この本能は中学生から根付いていた。だからこそ、色々と苦労を重ねてきた。
だが、考えてみてくれ。
自分が好きでもない人の話を「うんうん」と聞いてあげて何になる?
それは自分をいじめているだけなんだ。
自傷行為だ。
愚か者のすることだ。
そして自分を好きでいてくれる人、自分ともっと話したいけど、自分のことを気遣って見守ってくれている人に失礼千万な行為だ。
もっと自分に好意を持ってくれている人に目を向けよう。
太陽に目を向けよう。
その人たちのことを考えれば、自然とやることは見えてくる。
いや、もうお人よしはやめた。
宣言する。
私はお人よしはやめた。
自分が幸せにしたい人を幸せにする。
本当の愛情ある人になる。