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「ドーパミンをうまく活用して人生を思う通りにデザインできるか?」

好きなものがない。

だからオタクの人を見るとすごいと感じる。

一つのものを突き詰めている人。
よく飽きないな、と思うし、語れるものがあるってすごい。

自分の好きなものを考えてみると、一時的には好きになることはあるが、ずっとそのことを考えているわけではない。

好きなものがある人は、時間さえあればそのことを考えているはず。
私にはそれがない。

ギター演奏は好きで、一回演奏し始めるとずっと弾きたくなるが、一回気持ちが切れるとしばらくは弾かない。何かきっかけがないと再び弾かない。

これは好きだと言えるのだろうか。

好きの定義がわからない。

死ぬまでにこれに出会えてよかった、といえるものに出会いたいし、そして24時間そのことを考え続けられた素敵だと思う。

しかし一方でそれは「依存」ということにもなりかねない。
危険である。

幼少期、スーパーマリオブラザーズにはまった。

学校から帰って夜遅くまでやり続けた。

頭の中がゲーム一色だった。

変な汁が出ていた。

麻痺していた。
今思うとその正体はドーパミンだった。

ゲームの電源を入れればすぐに手に入るドーパミン。

勉強どころではなかった。もう飽きたと感じていてもドーパミン欲しさに手が伸びてしまう。

自分でこのままだと堕落してしまうと感じて、なんとか距離を取った。そんな経験がある。

自分から距離を取った自分を褒めたい。
しかし、その時の脳みその状態は後遺症として残り、いまだに時折ぼーっとすることがある。子供の時の依存は恐ろしいものだ。


果たして好きなものとはなんなのだろうか。
ドーパミンをくれるものなのだろうか。

ドーパミンをもたらせば、そのもの自体が好きでなくてもいいということ?

つまり、「好きの正体=ドーパミン」ということでは?

好きなものはドーパミンをくれるのだ。

思えば、「甘いもの」=ドーパミンをくれる。

だからお腹が減っているわけでもないのに、甘いものを食べたくなるわけだ。ドーパミンが欲しいだけだ。

そしてSNSやYouTube。
これもドーパミンをくれる。我々は新しい情報を知る時ドーパミンを手に入れるらしい。YouTubeでどんどん「あとで見る」にポチッとしてしまうのも、知りたい、という好奇心からだ。これもドーパミンを誘発しているのだ。

ゲーム。
ゲームは脳に刺激を与える。
脳への刺激はドーパミンを誘発するらしい。

恋愛やスポーツ、新しい経験もそう。
素敵な異性を見るのもドーパミンが出るらしい。生存本能が刺激されるのだろう。

そう考えると、ドーパミンによって我々の行動は決められているようだ。

このドーパミンさえコントロールすれば、自分の進めたい方向に人生を進めることができそうだ。

つまり、自分の人生に有益なものからドーパミンをもらえるようになれば、人生をデザインできるわけだ。

例えば勉強。勉強の際に脳を興奮させるためにはどうすればよいか。

自分はよく「甘いもの」を摂取しながら勉強していた。
自分にご褒美をあげながら勉強していたのだ。ドーパミンを活用していた。

それから、スタバなどのおしゃれなカフェで勉強していた。お洒落な空間にいる自分に酔っていたし、また可愛いスタッフや店内の子を意識することでやるきを出していた。

「モテたい」
これはやるきスイッチの大きな要素かもしれない。

モテることを考えれば、「勉強」「筋トレ」「仕事」あらゆるものを頑張るモチベーションになる。

これを頑張ればモテる・・・
妄想によってドーパミンが放出され頑張る発起剤になる。


ドーパミンをうまく活用していこう。






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