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【内省】ひょっとしたら悩んでいる自分が好きなんじゃないか、という結論に至りました。
幸せってなんなのか、考えてみる。
一回自分の人生について考えてしまうと、途端に虚しくなる時がある。
今まで信じていたものが失われてしまったような感覚。
でもそれは本当はそこになかっただけなんだ。
あると思い込んでいただけのもので、今までが幻だった。
すがっていた。
将来の自分に。
気持ちよくなっていた。
将来を想像して。
それは悪いことではない、とは思う。
まだまだ可能性はある年齢だ。
だけど、本当に何者かに近づけているのだろうか。
仕事をしていると、目の前にどんどんやることが現れてきて、考える時間なんてなくなる。
あっという間に時間が過ぎる。
悩みもなくなる。
いい意味でも悪い意味でも。
一生懸命戦っていればいい。
でもそれはまるで雑魚キャラと戦っているようなものだ。
ポケモンで言うと、野生のコラッタと戦い続けているようなもの。
FFでいうとスライム?なのか?
とにかく自分の画期的なレベルアップにはならないんだ。
それがわかっているからこそ、無理やり時間をとって、一人で考えようとしている。
でも悲しいことに、考え始めると悲しくなってくる。
なんか違うんじゃないか、と思ってしまうからだ。
何かが違う、これは自分の望んでいた人生なのだろうか、と。
悶々とする。
映画や本を読んでいてもどこかぱっとしない。
自分なりの答えを見いださないかぎり、このもやもやが晴れることはないのだろう。
だが私みたいな人間は、どこにいっても考えたくなるのかもしれない。
たとえ、年収1000万円の仕事に就いたとしても、満足しないのではないだろうか。そこでもまた本当にやりたいことは?と考えてしまうのではないだろうか。
エンドレスなんじゃないか。
そしてそれこそ自分がしたいことなんじゃないか。
人生について考え続けること、それこそが自分のやりたいこと、なのかもしれない。
だからYouTubeやネットフリックスやアマプラやキンドルなどで、いくら人の人生を見たところで、飲み会やチームスポーツに参加したとて、どこか心は晴れないんじゃないか。
だってそれが本当にしたいことじゃないんだもん。
本当にしたいことは、こうやって悶々と考え込みながら、自分の内面を見つめ、そしてそれを誰かに読んでもらうことなんじゃないか。
今やっていることが、まさにやりたいことなんじゃないか。
そんな結論に至りつつある。
これが本当かどうかはわからない。
自分の内面が掘っても掘ってもどこまでも深く、突き当らない。
底なし沼のようだ。
これだけ自分に問いかけてもこれといった答えが返ってこず、そしてそれを望んでいるかのようで、どこかで切り上げないといけないのかと思いながら、いや終わらないでほしいと思っている。
この時間を確保するために、仕事を早く終わらせ、そして余計な人間関係から解放されようとしている。
だが仕事や人間関係で刺激的なことがあると、そこに囚われ、自分を見つ目ようと言う気にならず、まるで自分が優れているかのような錯覚に陥る。
だからいかに普段の生活で、波風を立てないようにするかがポイントなんだ。だが、人がたくさんいる社会において、何もしなくとも自然と自分の感情が揺れ動く。
揺れ動かしている。
興奮、愉悦、優越、劣等、嫉妬、憤慨・・・さまざまな感情が湧き起こる。
そんな気持ちになり、ぶつけることのできない感情が、行き場のない感情が、さまよっている。
苦しい。
出してくれ、と叫んでいる。
だけど、感情を出したところで、虚しさしか残らないのもどこかでわかっている。
感情はコントロールできる。
でもときどきわからなくなる。
この気持ちはなんだろうか、と。
自分の中で「嫉妬」「劣等」感情はとても深く根を張っている。
やつらは雑草のように、抜いても抜いても生えてくる。いや抜けていないのだろう。
いくら年齢を重ねようが、そして能力があがろうが、油断したときに床下から這い出てくる歪んだ感情。
頑張るためのモチベーションにならないではない。
だが頑張り続けた先に何があると言うのだろう。
そんな複雑な感情を抱きながら、そしてその感情さえもどこかで楽しんでいる自分もいて、なんだかなーと思ってしまう。
いっそのことこの感情を曝け出してみようか、と思う瞬間がある。
でも、面倒くさいことに巻き込まれそうで、結局スルーしておいた方が楽に終わるからといって、放っておいている。
放っておかれた感情はいつの間にか消えているのか、それとも自分の心の中で蠢いているのか定かではない。
甘いものが無性に食べたくなったり、眠りたくないのは、もしかしたら不満の現れなのかもしれない。
だからと言って、自分の感情を、当然のように周りに撒き散らすのは、何か違う。自分のやりたいことではない。
だから自分の感情を押し殺して、自分のやるべきことに集中している人がかっこいいと思うし、そうなりたいと思う。だが、自分の感情を出している人を羨ましいと思う自分もいる。
葛藤。
自分の感情をもう少し出してみてもいいのかもしれない。だが自分がそう言う感情を持っている、と思われるのも嫌な自分もいて、で、感情なんていっときのものだから、そのいっときのものに周りの印象を左右されるのも嫌で、感情は出さないに越したことがない、という自分の生きる指針みたいなものがあって、今更返る気もさらさらない。
なんて取り留めのないことを書き連ねていると、いつの間にか2000字まできてしまったので一旦この記事は終わりにする。