「終末のフール」:エンタメコンテンツ偏愛シャッフル
エンタメコンテンツ大好き、暇さえあれば読書に映画にドラマに音楽にを貪欲に鑑賞しています。
ただただ大好きなものをゴリゴリ人に勧めたい。
そんな欲求を満たすために紹介していきます。
「小説:終末のフール/伊坂幸太郎」
3夜連続伊坂さん第二段です。
平穏な日常で突然、8年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡すると言われたら。
きっと、想像もできないくらいに人類は荒れに荒れるだろう。
この小説の舞台は、そんな荒れに荒れている真っ最中でも、まさに隕石がぶつかって、それでも人類がもがきながら生きようとするときでもない。
滅亡予告から5年が過ぎ、小康状態となった世界。
誰もが余命3年という中で、生き残ったひとびとはそれぞれの"普通"の生活をしている。
滅亡するとわかってからの一連の騒動の影響はそれぞれに色濃く刻まれているけれど、それでも、ひとりひとりが自分の人生を見つめて、その日をしっかりと生きている。
伊坂幸太郎の連作短編集。
劇的な展開はないけれど、いつ読んでもこころがあったかくなる。
好きなのは「天体のヨール」
二ノ宮がいい味出している。
本当に星が好きで、小惑星が近づいてくるときには間近で観測ができると心底喜んでいる。この状況では、天体好きで幸運だったと。
科学者ってほんとにそんな感じそうで、すごく、安心する。
スミソニアンが不全ながらもまだ機能していそうなのもいい。
フィクションなのに、せめて最期の日は晴れで、夜でありますように、と祈ってしまう。
この本の中での小惑星の衝突=地球の滅亡に対するひとびとの反応はさまざま。
例えば、どうせ八年後に滅亡するならばと絶望して自殺するひとが多発した。
気持ちもわかる。特にまだまだ寿命が程遠い人ほど、これからあったであろうたくさんの幸せを思い、自暴自棄になってしまうんだろう。
でも、ちょっと待てよ。死ぬくらいなら死ぬってなんか変かも。とも思う。
たとえば今日を生きたのは、明日を生きるのは、10年後の自分が必ず存在していると意識してのことではない。
ただ、毎日を楽しく、ありきたりだけど実りあると実感できるように、生活していった延長に10年後の自分があるだけなのに。
人間は、想像力を持ちすぎてしまったっていうことなのか。。。
死は難しい。
誰もその先を戻ってきて教えてはくれないから。
いつか、身体が死んでも記憶は取り出せるようになったら、死の概念は相当変わるのかもしれない。
自分だったらどうするのかな、と思ったけど、多分めちゃくちゃに動揺して自暴自棄になって諦めてでも死ぬ勇気もなくてとりあえず死ぬまで生きるかってなるのかなあ。
でも一つだけいいことを見つけた。
愛する愛する飼い猫に先立たれる悲しみを味わわなくていいこと。
本の中で障害を持つ息子をおいていくことがなくなったお父さんと同じです。
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