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AI翻訳とディスコミュニケーション

 神林長平の作品には、会話や文章作成を支援するAIが出てくることが多い。それは、現実を創造し支配しているのは「言葉」だ、という世界観に基づいているからだ。2005 年出版の『太陽の汗』という作品では、超高性能な自動翻訳機が普及した世界を描いている。

 この作品中では、他者とのコミュニケーションは、常に母国語で自動翻訳機を介して行われる。互いの肉声の言葉は理解できていないが、イヤホンを介してリアルタイムで通訳されるので問題ない。あまりにも自動翻訳機の性能が高いので、外国語を習得するインセンティブがまったく働かない。超高性能のポケトークが普及したような世界である(ちなみに、ポケトークの登場は2017年12月)。

「USマークが付いている」
 ソール・グレンが私に言った。
「どこから手に入れたんだろう」
 と私は言った。
 グレンは英語で言い、私は日本語を使った。私達の会話は、左耳につけた骨伝導イヤホン・マイクで行われた。マイクで声を拾い、その信号はワイヤレスで自動翻訳機に入り、翻訳された音は相手の翻訳機に無線で伝えられて耳に伝わった。

神林長平. 太陽の汗. 早川書房.

 しかし、主人公の「私」が出張でトラブルに巻き込まれた際、自動翻訳機を介したバーバル(言語)コミュニケーションと表情やジャスチャーなどのノンバーバル(非言語)コミュニケーションとのズレを意識しはじめた時から、自動翻訳機の出力結果に疑いを持ちはじめる。しだいに、生身で認識する世界と機械を介して認識する世界が乖離していく。

 筆者は、日常的にAI翻訳を使用しているが、こちらの意図でないような翻訳となることも多い。しかし、それはたいてい翻訳前の日本語のクオリティーの問題だ。AIに正しく翻訳してもらうためには、こちらが正しい日本語を使う必要がある。翻訳前と翻訳後の言語を両方とも理解しているからこそ、翻訳が間違っていることが認識できる。AI翻訳が急激に高性能化している現在、『太陽の汗』の世界と同様のことが起きようとしているのではないか。このままAI翻訳の性能が高くなっていくとどうなるか。便利にはなるが、外国語を習得するインセンティブがまったく働かなくなり、この作品のように自動翻訳機を介してしかコミュニケーションが取れなくなる。そうなった時、正しく翻訳されていることが担保されるのか。

 例えば、現時点では、AIは皮肉を理解できない(人間でも理解できない人もいる)。「良い仕事をしましたね」と言われたときに、字面だけでは、本当に良い仕事をしたと思っているのか、皮肉を込めて「とんでもないことをしてくれた」という意味で言ったのか、判別がつかない。相手の表情、声のトーン、会話のコンテクストから判断するしかない。そういう点では、作品に出てきたような、また、現実に出回っているような音声のみのタイプの自動翻訳機には、原理的に性能上の限界がある。

 リアルタイム自動翻訳AIの未来は、従来の言語処理に加え画像処理と音声処理とを融合したものとなるだろう。相手の表情と声のトーンを識別して言語処理で翻訳を行い、翻訳結果に反映させ、さらに、会話のコンテクストから判断し、最適な翻訳を行えるようになる。そうなると、リアルタイム自動翻訳AIの可能性は、単に外国語翻訳・通訳にはとどまらなくなるだろう。例えば、嘘発見器として使用できるようになるかもしれない。また一方で、発達障害を持つ人々のコミュニケーション改善に貢献する可能性がある。一般に、発達障害を持つ人々は社会的コミュニケーションに困難を持っており、会話や表情から他人の気持ちを推し量ることが難しい。もし、AIの補助によって対話相手の表情、目の動き、声のトーンなどから相手の真意を判断できれば、社会的コミュニケーション能力が改善するだろう。ちょうど、近視の人々がメガネやコンタクトで視力を補正して、物の見え方が改善されるように。

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