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教育と研究にはPDCAサイクルを持ち込むべきでない

日本独自のPDCAサイクルの呪縛

 文部科学省を含む中央省庁は、PDCAサイクルがお好みのようだ。政策評価という名のもとに、 PDCAサイクルの図がガッツリ出てくる。しかし皮肉なことに、PDCAサイクルほど長期的な政策評価に向いていない概念はない

PDCAサイクルとは

 PDCAサイクルの簡単な定義は以下の通り。

PDCAサイクル(PDCA cycle、plan-do-check-act cycle)とは品質管理など業務管理における継続的な改善方法(太字は筆者による)

Wikipediaより

 もととなる概念は、ウィリアム・エドワーズ・デミングによって、工場のラインにおける品質管理などの改善法として日本に紹介された。筆者の考えでは、PDCAサイクルとは、ほぼすべてが制御可能な状況で製品および業務について品質・効率を最大化するための戦略なのだ。しかし日本のトチ狂った誰かが、PDCAサイクルをビジネス方針や政策にも適用しようと言い出したのが不幸の始まりだった。

図1.PDCAサイクルの概念図

 図1は、よく見られるPDCAサイクルについての概念図であるが、この図を用いている場合は、PDCAサイクルを理解していないと考えてよい。この図には、サイクル毎に何かしらの改善があるという、PDCAサイクルの核心部分が抜け落ちている。この図では同じところをグルグルと回るだけである。また、サイクル数の概念も欠かけている。PDCAサイクルの正しい概念図は図2のようなものである。

図2.PDCAサイクルの正しい概念図

PDCAサイクルの正しい使い方

 筆者はPDCAサイクル自体は好ましく評価している(たとえ、元となった概念の提唱者であるデミングが批判していたとしても)。本来の適用である品質管理の方法としては優れているからだ。ただし、PDCAサイクルが本来の機能を果たすためには、いくつかの制約がある。

  1. 単純作業である

  2. 不確定要素がなくスモールステップに分解できる

  3. サイクルを高速に回すことができる(日〜週/サイクル)

 たとえば教育では、漢字ドリルや計算ドリルなどのレベルコントロールが容易で評価基準がはっきりとしている繰り返し作業、研究では、ルーティンな実験技術の習得や効率改善などには、PDCAサイクルは適している。単純で、簡潔で、時間〜日の単位で高速にサイクルを回せるからだ。一度に一つの要因についてスモールステップでサイクルを高速で回して漸進的に品質または効率を改善するところにポイントがある。原則的には、PDCAサイクルは、筋道がはっきりした、現在ある程度うまく動いているものを、より品質よく、より効率よく動かすための戦略なのだ。

教育と研究にはPDCAサイクルは適さない

 しかし、高等教育と研究にはPDCAサイクルは本質的に適さない。そう筆者が考える理由は3つある。

  1. 単純作業の繰り返しや積み重ねではない

  2. 条件分岐が多く、途中で方向性が変わることがある

  3. 1サイクルの期間が長い(半年〜数年/サイクル)

 問題の解決に対して、長期的なプランを立て、試行錯誤が必要であり、創造性を発揮しなければならない領域では、PDCAサイクルは、むしろ足枷だ。

 PDCAサイクルは、マネジメント側には非常に魅力的に映る。一見、計画と評価基準がはっきりしているからだ。しかし、比較的長期的な方策が必要となる教育や研究に適用しようとすると致命的な問題が生じる。マネジメントされる側は、できることが確実な計画を立て(P)、できることだけを実行し(D)、数値目標が達成できたと判断し(C)、ときに微々たる改善をし(A)、次回も達成可能な執行計画をたてる(P)ので、本来期待されたPDCAサイクルの実効性は、ほとんどないものとなる。しかし一見、PDCAサイクルは正しく回されているのである。

PDCAサイクルをこえて

 PDCAサイクルは、工業製品や商品、固定されたサービスなどの、柔軟性を必要としない制御可能な対象でしか効果を発揮しない。顧客ビジネスや教育、研究などの不確定要素が比較的多い領域には、そもそも適していない。

 では、最近はやりのOODAループ(観察(Observe)-  情勢への適応(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)- ループ)はどうか?

 残念ながら、OODAループは、中央省庁が求めるような政策評価には、もっと向いていない。OODAループは、観察によって方向性を臨機応変に変えることに本質があるからだ。OODAループには初期の計画から外れることが原理的に内包されている

 一つの解決策は、PDCAサイクルが適した部分と、それ以外の部分を分けることだ。例えば、DXによる業務効率の改善などはPDCAサイクルが適している。つまり、日々ルーティンで動いている業務の改善・効率化のみに適用を絞ることである。教育ならば、テスト問題作成や採点、書類作成、保護者への連絡などの機械的な事務作業である。研究であれば、試薬・物品の発注・納品・管理や出張手続きなど、誰が行っても同じ結果が期待されるものだ。一方、教育や研究の本質的な部分に関しては、決してPDCAサイクルを持ち込んではいけない。

 PDCAサイクル自体が問題なのではない。日本の、特に中央省庁における呪縛は、PDCAサイクルを全体的に画一的に適用しようとしたところにある。不確実なものに対しては、不確実性を許容する方針・政策を立てる必要がある。官僚組織における無謬性の呪縛から解き放たれてほしいものだ。

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