
科学の議論において指導者と学生は対等であるか
時と場合による。当たり前のことである。指導者と学生との間に、知識や経験や思考力に絶対的な開きがあるのに、常に対等になれるはずがない。プロボクサーが練習試合で学生ボクサーを一方的にボコボコにしても、大人気ないだけだ。指導者は学生を一方的に詰めるのではなく、レベルを合わせた議論をする必要がある。
指導者は決して驕ってはいけないが、学生を一人前の研究者扱いするのも不適切だ。学生がはじめから対等に議論できる能力を持っているならば、大学院での指導などいらないではないか。「科学の議論において指導者と学生は対等だ」という指導者は、学生に対してマウントをとっているか、自分の指導力の無さから目を逸らしているだけだ。
議論が白熱して真剣になるのは仕方ないが、彼我の差をわきまえずに、学生を「論破」したり「詰め」たりするのは、いかがなものか。そんなところが、研究者が世間から薄っすら嫌われている所かもしれない。私も「そういうとこやぞ」と思われない様に、日々自重している。