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〜健太くんの自己紹介〜

はじめまして!わたしは潜在意識を活用し、人生を激変してきたよっしーです。

現在はマインドフルネスコーチ、量子力学、脳科学の分野から指導をさせていただき

「人が自立するための愛の溢れる空間を提供する」

を使命に生きております。


そして未だなお

潜在意識の可能性を人生の中で試している段階でもあります。

(これはもう人生の遊びのような感覚ですね😌)

それぐらい25歳にして潜在意識を知ることができた自分に感謝するくらい

潜在意識によって人生が変わりました。

その潜在意識と今後社会人として人生を歩むことになる

若いことたちに少しでも人生を明るいものにするべく

どんな考え方をしてどのように社会と向き合えばいいのか?

スーパーポジティブな(もちろんネガティブに考えることはあります)

自分だからこそ皆さんに伝えたいことを

発信していこうと思います。

ではまず自分が今までにどんな人生を歩んできたのか、

自己紹介も含めお話ししていきます。

私は広島県のとある田舎暮らしから人生がスタートしました。

先ほどスーパーポジティブとは伝えたものの、

昔はそうではなかったんです。

むしろ、めんど臭い、だるい、眠い、寒い、暑いなど否定的な言葉を

よく使うどちらかといえばクソネガティブだったんですね。

そんな僕は広島県で3歳の時に母親と父親の離婚により、

当時兄が2人いたにも関わらず、母親についていくことになり、

兄弟、そして父を若いうちに失った環境で育つことなりました。

その後広島にて母親が再婚後、弟、妹の順で兄弟ができましたが、

弟、妹の血を持った父とも破局。

その結果、当時の母親は子供3人を母親1人で育てることになりました。

行き場所を感じられなくなった母親は僕たちを連れて、

実家宮崎に帰ったわけです。

その後僕たちの貧乏生活が始まったわけですね。

宮崎での生活は今までの生活とガラッと変わりました。

母親の爺ちゃん、婆ちゃんの元に

転がり込み急に実家に住むことが決まった自分たちが準備してもらえたは

小さなもの置き場でした。

その生活はあまりにも周りが家を持った生活をしている友達に

紹介するのは当時の僕にはできませんでした。

自信を持って、自分の家を紹介できないのは恥かしかったですね。

そんな物置の家での住まいからストレスを抱え当時は

本当は可愛くて仕方なかった弟、妹をいじめてしまう


そんな兄として日々を暮らしていました。

正直なところ、妹、弟に限らず、

小学校3年生前半までは友達にもよくいじめをしていたほどです。

そんなある日、僕にとって
辛い出来事が起こりました。

それは小学校3年生後半のお話です。

自分で言うのもなんですが、

周りの子達よりも顔が整っていたことから


周りの子供よりも自然と目立つことができた自分に

男友達からのいじめが起こってきたんです。

当初の自分は体が非常に痩せ細っていたので


小学校4年生の時にはガリガリ君、骨粗しょう症、(FOP)進行性骨化性線維 異形成 症などあだ名をつけられ、

いじめを喰らっていました。

小学校4年生の当初の子供にはなかなか心に痛むあだ名ですよね。

逆にFOPなんて良く知っていたなと今では思います。
ただそんないじめを喰らってその時の自分は何を感じたのかと言うと、

いじめられることってこんなに辛いんだなと言うことでした。

先ほども伝えた通り、元々家庭のストレスを抱えていた自分が

他の子供にしていたことの痛みを

初めてそこで感じ取ることができたんです。
その思いを持つようになってから

人をいじめることよりも人を大切にして生きていこうと

決めるようになったんですね。

底から自分の人生は少しづつ変わってきたんですね。

中学校、高校生とスポーツでサッカーをしていたわたしは
周りの監督や、友人に恵まれ、
たくさんの人に慕われるようになりました。

いじられることも許せるようになり心を広く持てるようになりました。

(中には我慢できないこともありましたが)

昔は自分の過程を言い訳に、
周りのせいにし、荒れていた幼少期。

しかし本当にありがたいことに早い段階で
友人や出会う人のありがたみを知ることができるように
なってから
人生が変わるようになった。。。

こんな不思議な感覚を持った状態で社会人に出たわたしでした。

(この時はまだ潜在意識などの理解はもちろんしていませんでした)

社会人になり、ここでも人を大切にしていく在り方を
軸に目の前の仕事に明け暮れました。

飲食店社員として、周りよりも比較的早い段階で店長としての職にも
着かせてもらうこともでき、
それなりに成績がでて少し天狗のなっていた時の頃のことです。

当時ともに働いていた職場のバイトで
正直仕事も遅く、勤務態度もよろしくないバイトくんKくんがいました。

わたしはそのKくんに厳しくするようになりました。

そこからです。少しづつ自分の人生が
傾き出したのは。。。

そんな厳しい一面を見せる一方で、

基本は人に優しく接していた店長でいたわたしに

店舗内で批判的な人、賞賛してくれる人が別れるようになってきました。

正直ここまではよくある話ですよね。
これからが本番でした。

わたしはそんな賞賛し、称えてくれる人とともに
影で自分のことに批判的な人に対して
愚痴や、不平不満を言い出してしまったんですね。

今となってはこの世の原理原則を理解していれば、、、
とつくづく思わされますが、
愚痴や不平不満は周りに与える影響もそうですが、

自分に帰ってくることはもっとでかいことを思い知らされました。

紹介の冒頭の方でも

わたしは顔が整っていたとお伝えしましたが、

そんな自分に対して、嫉妬した批判的なバイトたちが
女性でもない男バイトにもかかわらず、
「あの店長は女に色目を使っている」などと

セクハラの訴えを会社の本部に投げかけたんですね。

そんな情報がわたしのもとに入るのも時間の問題で、
本部の人から連絡をいただき、


正直人を信用することができなくなりました。
自分自身は決して女性にそのような態度を
とっていたわけでもない。

ましてや女性でもないバイトからそんな訴えがあることにも
不思議でたまりませんでした。

ただそこでの学びはわたしの中で何かを変えました。
この世の中は自分が発しているものが
何かしらの形で帰ってきているのだと。

その気づきから

店長という多忙の仕事を行いながらも、
休憩時間や朝の時間を利用し、本を読むことになりました。

今でも覚えています。
一番最初に手を取った本。
小林正観さんの「ありがとうの奇跡」です。
その本で学んだこと

「この宇宙は自分の投げかけた言葉で作られる」

「少しでも現状を変えたいのであれば
 ありがとうを2万5000回言いなさいということでした。」

その言葉たちの意味を理解するのはこれまでの
経験からなんとなくすぐに腑に落ち
すぐに実践するようになりました。

底からの人生はこれまでの自分の経験から
嘘のようで嘘じゃない人生を作り上げる
人生のストーリーの一部となっていきます。

これから紹介する発信する内容に出会った人は
間違いなく人生が変わります。

ここではあえて良くも悪くもと伝えておきます。
この秘密を知ってこれからの人生をより楽しいもにしていきたい人は

今後の発信を楽しみにしていてください。

こんな物心がついた頃から周りの目線ばかり気にしていた貧乏生活から

自分が今では潜在意識により経済的にも、心の自由によって

本来のライフスタイルを手にした経験者として、
今後の人生をより良くするための考え方、思考、価値の捉え方

この世界の本質を発信していきますので
少しでもたくさんの人に知っていただければいいと思います。

長い文面をここまでお読み頂き本当にありがとうございます😌

最後に今回文面にて紹介させていただいたバイトの子や

わたしにとっていじめと判断した以前のこの経験を与えてくれた方々と

そんな苦しい時も支えてくれた仲間に今では本当に感謝しています。

そしてわたしの命を与えてくれた、母親、父親、先祖の皆さんにも

心より感謝いたします、心より愛しています。

ありがとうございます。



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