マーケティングの定義と役割(副題・誤ったことを教えられる受講者は、かわいそうである〜実務家や社会人向けのセミナーなどでよく見る残念な光景)
今日の午後、とある社会人大学院による実務家向けのマーケティングセミナーに参加していた教え子(社会人)から、次のようなメッセージが入ってきた。
それで、その問題の内容というのが次のようなものだった。
上記のように教えられたのが本当なら、これは非常に誤解を招くだろう。
そもそも「マーケティングの目的は販売を不要にすること」のようなことを行ったのは、Kotler ではなく、Peter Drucker である。しかも Drucker についても、前後の文脈を読むと実は“不要にする”とは言ってない。
これについては、2019年に書いた以下の文章をぜひお読みいただきたい。
次に、Kotler によるマーケティングの定義について。
Kotler は多数の著書・論文があるので、全てを拾うのは大変だが、もっとも基本の書である、Marketing Management によると、彼はマーケティングの定義は以下のように書いている。
さて、これらの定義のどこに
と書いてあるだろうか?
先の巨人たちは、「営業という行為が過剰行為になるぐらいに顧客を理解する」(Drucker)だとか、「人間の社会を満たしつつ収益をあげる」(Kotler)ということを言っているのであり、それらを行う主体は企業や組織であるにせよ、焦点を合わせているのは顧客など自分たちの対象にある。
「売れる仕組み」という「売れる」「売る」といった言葉は、いわば営業やセールスの領域であり、むしろ「販促」がそれに当たる。しかし「マーケティング」は「売れる」という言葉を使うのはふさわしくない。もし同様の言葉を使うのであれば、
ということであり、「買われる」という、主語が顧客などの買い手に焦点をあわせた言葉を用いるべきだろう。
この「売れる」と「買われる」の言葉の違いは些細なもののように思えるかもしれないが、この2つの言葉のどちらを選ぶかで、マーケティングというものを適切に掴んでいるかどうかがわかる。
そういった意味では、私の教え子が送ってきたものは、
1)そもそも引用されてるものが間違っている
2)マーケティングの定義・本質について、教授する側として適切な理解をしていない
という2つの点で非常に残念なものであるし、しかも誤ったことを教えるというのは受講者にとって「悪」の行為である以外なにものでもない。
えてして、一般的なビジネスセミナーで登壇しているような登壇者はこうした定義に無頓着なことがあるが、社会人大学院における社会人向けのセミナーでもそれと同様なことが起きるというのは目も当てられない事態と思える。教えるということを放棄しているのに匹敵する話だ。人に教える資格はない。
まぁ、マーケティングの世界、特に実務家のマーケティング・コミュニティでは、「オレの考えた定義や定石」みたいなものがあちこちで見られる。中には大きくうなずけるようなものものあるが、玉石混交である。そうして話されている内容が果たして正しいのかどうか。玉石混交の中から「玉」を見つけられるかどうかなんでのは、「ふんふん」と登壇者の話を聞いて、それを何も考えずに頭に放り込むようじゃできない。できるようになるためには正しく適切な学びを得てないと駄目だ。
もう今のような世の中は、正しいものと胡散臭いもの、それらを目にしてしまう、耳にしてしまうのは避けられない。
そんな世界だからこそ、「正しく妥当なもの」を見分けるために求められるのが、正しい学びによって得られる聞き手側のリテラシーなのである。
そうしたリテラシーを身につけることができないと、常にバズワードに飛びつき、話題と言われる書に飛びつき、話題の人が登壇するセミナーに参加し、しかし頭の中に残るのは・・・なんてことになる。
騙されないために、誤ったことを誤ってると認識できるようになるために、もっともっと本質的な学びをしていかないと、きっと残念なことになるでしょうよ。
ちなみに私はこのような話を聞くと、いつも「怒り」をおぼえます。