【読書】寺地はるな(著)『どうしてわたしはあの子じゃないの』|小説を読むという娯楽から学べること
寺地はるな(著)『どうしてわたしはあの子じゃないの』という小説を読んでいます。
第1章を読み終えて、いま、第2章を読み進めているところです。
第1章では、主人公の女性が30歳の視点で描かれていました。
第2章になると、主人公の女性が中学生のときの視点に切り替わります。
30歳の女性や、女子中学生の人格に入り込めてしまうのが、小説の面白いところです。
こんなことを書くと、「おじさん、気持ち悪〜い」って思われそうですが、楽しいのだから仕方がないのです。
今の世の中、そういうことはかなり自由になった気がします。
逆に、とやかく言う方が、ジェンダー差別でありエイジズムなのです。
そういえば今年、本屋大賞を受賞した『成瀬は天下をとりにいく』も、女子高生の視点で描かれた小説でした。
主人公である成瀬あかりのキャラクターは、ユニークでとてもインパクトがありました。
考えてみると小説の主人公というのは、大勢の人たちと群れることを好みません。
自分の生き方を貫いている主人公が多いです。
これは、読者の方が群れたくないと思っている人が多いからなのではないでしょうか。
本当は群れたくない、でも現実的には群れないで生きていくことは難しい。
だから我が道を行くような主人公がカッコ良く見えて、憧れてしまいます。
狩猟時代の人間は、集団でしか生きていくことはできませんでした。
孤立することは、死に直結したのです。
その名残で人間は、今も群れるたくなるのかも知れません。
小説を読むという娯楽を通じて、周りの人との調和の大事さと、個性の必要性を学ぶことができます。
女子中学生の人格に入り込むのは、「覗き見」的な興味ではないのです。