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【読書】『積読こそが完全な読書術である』を読みながら考えていること。

「積読」の定義は、人によってそれぞれ違います。
一番狭い範囲での「積読」とは、本屋さんで買った本を、読まずに積んでいる状態です。
物理的に部屋のどこかに、積み木のように積んでいないとダメなのですが、一歩譲って、本棚に立てている本も「積読」と言ってもいいかもしれません。

もう少し範囲を広げると、電子書籍を購入したにも関わらず、読んでいないものも「積読」と言えます。
オーディオブックなんかも、電子書籍の一種だと考えても良いでしょう。
今度、買おうと思って「ほしい物リスト」に入れてある本も、まだお金は払っていませんが、ある意味「積読」と言えないこともありません。

本だけに限らず、登録しているのに読んでいないメールマガジンも、「積読」に入れてしまうとどうなるでしょうか。
ネットサーフィンをしていて、面白そうな記事を見つけたのだが、時間がないのでブックマークに登録をしておく。
しかし、いつまで経って読まれない記事というのも「積読」ということになります。

テキストだでなく、「後で見る」に登録して、まだ見ていない動画も「積読」と言えます。
こうなるともう、私の人生は「積読」だらけです。
「積読」に対して、少しでも後ろめたいという、ネガティブな感情があれば、正気で生活することは不可能です。
そこへ、「積読こそが完全な読書術である」と言われると、もう嬉しくて仕方がありません。
「積読」してきて良かった!と思います。

文字、音声、動画と、情報は形を変えて存在しています。
その全てを視覚や聴覚で取り入れることは不可能だし、一部を取り入れたとしても、記憶として残るのはその中でも、僅かな部分だけです。
1年間に100冊の本を読んだとしても、読んだという事実は残るかもしれませんが、殆どの部分は記憶には残らないし、教養として身につく事もありません。

私が考えるには、小学校低学年くらいに配られた教科書で学んだことが、最も「完全な読書術」に近かったのではないかと思うのです。


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