【読書】『ドリフターズとその時代』〜ババンババンバーバン♪
先日、文化放送ラジオ「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」で、『ドリフターズとその時代(笹山敬輔 著)』が紹介されていて、面白そうだったたので、買って読みました。
私が小学生だった頃、土曜日の夜8時といえば「全員集合」でした。
6人家族だった我が家には、テレビは1台しかなく、パソコンもスマホもない時代です。
まさにテレビの前に「全員集合」だったのです。
当時の関西の子供は、東京の笑いを少し見下しているところがありました。
ドリフターズの全員集合は、東京の笑いだったのですが、舞台で繰り広げられるギャグは、どこか吉本新喜劇と共通点があって、関西の子供たちにも人気があったのではと、個人的に分析しています。
以下、私が小学生の頃そうだったように、この文章内でのドリフターズのメンバーの敬称は省略させていただきます。
私が物心がついた頃には、ドリフターズはすでに大活躍をしていて、メンバーの過去のことは、殆ど知りませんでした。
加藤茶の苦労話が、結構泣けてきます。
今の時代では、考えられないような苦労をされています。
いかりや長介も、加藤茶とは別の苦労をされています。
そいった苦労が、お笑い対しての厳しさにつながっていたのかも知れません。
志村けんにしても、荒井注がやめたから偶然加入できたのではないのです。
ドリフターズに正式に加入するまで、お笑いに対して、ものすごい勉強と努力をしてきた人なのです。
これは有名な話ですが、ドリフターズは、最初はお笑い芸人ではなかったのです。
ドリフターズはバンドだったのです。
後から加入した志村けんは別として、他のメンバーは、ミュージシャンを目指していたのです。
そう言われると、仲本工事や高木ブーを見ると、お笑いに対しては何処か素人っぽさがありました。
特に高木ブーは、そういうキャラクターを演じていたのかも知れませんが、自ら笑いを取ろうとはしていませんでした。
以外なことかもしれませんが、
YouTubeで「ドリフターズ 軍歌」で検索すると、「ドリフの軍歌だよ全員集合!!」という音源がヒットします。
いかりや長介は戦前の1931年生まれで、ドリフターズの全盛期と言える1970年代は、まだ戦争の記憶が新しい時代だったのです。
そういえば、「全員集合」でも戦争中の軍隊のコントをやっていたのを思出します。
『ドリフターズとその時代』を読んで、昭和50年代からの、テレビ番組の移り変わり、お笑いの変遷、そして知らなかったドリフターズの歴史を見ることができます。
昭和生まれのおじさんや、今やおじいさんになっている人たちにとっては、ドリフターズはいつまで経っても笑いを与えてくれる、大スターなのです。