見出し画像

「好きなことを仕事にする」が生む分断

身近な人と決定的に考え方がちがう、とわかったときのことを思い出すと、いまでも動悸がしてしまう。

「好きなことを仕事にするなんて、そんな勇気ない。」
「そんなことできるならみんなやってるし、現実離れしてる。みんなができると思わないでほしいし、それを強要しないでほしい。今の私には無理」

その場の酸素が薄くなって息が詰まった。
強い意志を持って放たれた想定外の言葉に視界がくらくらする。


私だって、昔はそう思ってたよ。
私だって、今も半信半疑だけど、限りあるこの人生をより良く生きるために挑戦してるんだよ。
私だって、そう思っているあなたみたいな人に、一人でも多くの人にヒントをあげたくて、なにより昔の自分を救いたくて、がんばってるんだよ。

たくさんの「私だって」があふれてきたけれど、ぐっと飲みこんで「そっか、今はそう思ってるんだね」と返す。
自分が受け付けないものをさらに目の前に差し出されても迷惑なだけなのを知っているから。

同時に、もしかしたら今の私は視野が狭くなってしまっているのかもしれない、とヒヤリとした。

起業、転職、複業、フリーランス。好きなことをして生きていく。
そんな言葉が当たり前の世界にいる。

そういう人たちは意識が高くて行動力もあるように見える(そう見えるだけで、実際は劣等感を抱えていたり、ものすごく努力していたりする人もたくさんいる)。
それらの言葉に縁のない人にとっては「別世界」「手の届かない人たちの集まり」で、知らず知らずのうちにそのスタンダードを押しつけていたのかもしれない。私の言葉や行動の端々から感じ取っていたのかもしれない。

そして親しい人からそれをされるのは、とても苦痛だ。


いちばん力になりたい人に「あの人だからできたんだ」と思われては本末転倒だ。そんな人たちを「救いたい」「解決したい」と考えていた自分がいたことにも驚いた。

もちろん、全員が全員「好きなことを仕事にすべき」とは思っていない。けれど、今の環境に絶望している人、まだ希望を捨てていないけれどくすぶっている人の力に少しでもなれたらいいな。
そのために、「あの頃の私」の感覚も忘れずにポケットに入れておきたい。

やり場のなかった気持ちのメモ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集