そもそも『熱狂』って何よ
こんにちは。へんじんもっこの渡辺省吾です。
へんじんもっことは新潟県佐渡ヶ島でサラミやハム・ソーセージなどの食肉加工品を作っている会社で、「へんじんもっこ」の”へんじん”は変わった人、”もっこ”は佐渡の方言で”頑固者”という意味です。
#へんじんもっこ
今日は「そもそも『熱狂』って何よ」というテーマで書いてみたいと思います。
前回の「鬼太鼓は『熱狂』しろ!」が意外と好評でしたので鬼太鼓に関与したものを書いてみようと思います。
↓前回の記事
私が先輩に注意されたのは、鬼太鼓本番の奉納の舞では声が出ておらず、若手に裏打ちの順番を譲り、腕を組んで見ていた、と。
アレッ!?自分は、なんて高慢な態度とってるんだろ・・・。
#恥ずかしい #消えたい #反省
また先輩からは、鬼太鼓本番の”空気の厚みがない”ということも合わせてアドバイスいただきました。
『諏訪町の鬼太鼓』、つまり他団体の鬼太鼓の祭りに参加したときに、そこには確かに”空気の厚み”みたいなのがあって、それを作り出していかなければならない、ということでした。
前回の記事ではその”空気の厚み”の正体は『熱狂』と結論づけたんですが、この『熱狂』を作り出すにはどうしたらいいの?再現性はあるの?ということです。
#熱狂じゃない可能性もあるけどね笑
先輩の話を振り返って思い出してみると、現場の『熱』が重要だというふうに私は感じとっていました。
そのまず一つは、そもそも声を出さないと空気があったまらないって事。これはわかる。
でも空気があったまるってなんだ?
新穂の鬼太鼓で言ったら鬼と獅子が対峙した時に「行けー!!」というような。
湊の鬼太鼓で2対の鬼の攻防を見て「どっちも負けるなー!!」という様な感じ。
お客さんもつい声が出てしまうような”空気感”。
#これは『熱狂』なんではないかと思う
もう一つは、魂の込もった裏打ち。
#抽象的すぎる
こちらは「音」も大事だが、太鼓の音の大きさというよりは『鬼気迫る感』。
太鼓の音が大きければ、聞いている人は「おっ!」となるが、打ち手の表情や交代した後”叩き切った様子”も見ているお客さんには良い評価ということらしい。
#こちらは”打ち手側”の『熱狂』なのか?
以上の2点は、やはり抽象的だし、明確に言語化ができていない。どこか足りない気がする。
お客さん側と演者側とでは、分けて考えた方が良いのだろうか?
でも、鬼太鼓では”ステージ”と”客席”というような仕切り方はない。
演劇や舞台を観に行ったりすれば、ヒントがあったりするのだろうか?
そもそも、鬼太鼓を始める前から準備が必要とか。
そういえば、今回、太鼓の位置を決定したのに「今の場所では境内に近い」とか”物言い”がついて、太鼓の位置を修正したけど、そういうのが現場の空気を盛り下げているのでは?
そういう意味では、太鼓の位置が初めから決まっていないことって、準備不足としか言いようがない。
まとめると、
①鬼太鼓が始まる直前までの空気作りが大事なんではないか?
(せっかくお客さんが鬼太鼓を見る体勢ができているのに、白けさせない)
②私たち演者の熱意(全身全霊)
③お客さんが自然に声が出せるような空気作り
これらを気をつけて、6月24日・25日の天神祭に臨みたいと思います!
以上、「そもそも『熱狂』って何よ」でした。