④ひろみん社長の普通はダメだと育てられた話
私の父は、21歳で設計事務所で独立し、28歳で裸一貫機械メーカーを興すような強烈な人だったので、私たちは「普通であってはならない!」という教えを受けていました。
まず私が小学生の時には家にテレビがありませんでした。もともとあったのに、壊れたので買わないという選択をしたのです。(実は壊れたのは嘘で、父が自分の部屋にもっていって好きなプロレスを見ていたら本当に壊れたというオチ)学校の話題には全くついていけませんでしたね。
その分、会話をするか本を読むしかありませんでした。「ドラえもん」だけはみたくて日曜日の朝は近くの近隣センターに兄弟で通いました。なんて健気な私たち。兄弟がいてよかったです。
それから鉛筆削りを買ってもらえなくて、毎日カッターで鉛筆を研いで学校にもっていきました。毎日研げば誰でもうまくなります。だからたいてい周りの子からは不思議そうな目やかわいそうにという目で見られていたんじゃないかな。おかげで変な目で見られるのに慣れたかも(笑)
でも私は無意識に普通を装っていました。でもカバーしきれなかったはずです。笑
今思うとだいぶ周りの風潮とはずれていた教えだったように思いますが、それは小さくてグラグラだった自分を相当鍛えてくれたような気がします。
他にも言い出したらキリがないくらい我が家は普通じゃないことにあふれていました。親の教育は重要ですね。いろんな意味で。
サラリーマン家庭が多い中で、我が家はあまりにも違いすぎて、サラリーマンになりたいと思っていました。近くに日立の社宅があって、そこの子たちは帰国子女だったりするのもうらやましかったな。その子たちから外国の話を聞くのが大好きでした。
また父は社交的で茶目っ気のある人なので、国籍とわず誰でも友達になるタイプでしたから、飲み屋さんにいって出会った近くの大学の留学生を山ほど連れて帰ってくることもありました。台湾人の○○さんとタイ人の△△さん。まだ小学生にも上がっていないときに、「たいわん」と「たい」は何が違うんだろうと疑問に思った記憶があります。
連れてくるのは外国人だけじゃなくて、浮浪者から学者から政治家まで分け隔てなく狭い我が家につれてきました。父はある意味全く偏見のない人なのだと思います。(学歴コンプレックスはありましたが)
物心つく前から多様性を叩き込まれたので、好き嫌いははっきりしていますが。私も偏見のないほうだと思います。
私も子供たちの教育方針としてたくさんのいろんなタイプの大人に会わせることを大事にしています。特に自分らしく自由に楽しく生きる大人に。それが一番のインパクトになると思うから。
つづく。。。