バケモノの子の舞台美術と演出と転換と映像…好き…めっちゃ好き…この胸の中の世界で一番強い剣になって
東京楽も大阪初日も大阪楽も名古屋初日も間に合わなかった、タイトル読んで字の如くの語りです!
内容の半分くらい東京でツイートしてたことの再掲。
バケモノの子が好きで、見方が固まってキマった人の怖い意見なので話半分で聞いてください🙇♀️
全て勝手な憶測と妄想であり、裏付けるものは何も無い、素人の「だったらいいな」であることを前提として読んでください🙇♀️
挿絵に正確さはありません🙇♀️特に渋谷🙇♀️
あとアホ長いので暇な時に読んでください🙇♀️
あと当たり前のように全編の遠慮ないネタバレがあります🙇♀️
というか未見の人は今輝かしい未来が待っている最高の状態なので、こんな記事を開いていないで2月頭までに名古屋に行って、ついでに赤福ぜんざいを食べてください。
⚠️前提のため自分の趣味語り
Twitterにいるミュージカルオタクにありがち(※私の観測範囲内で、私の偏見込みで見ているTLに更に私の個人の感情による補正でそのように見えている、の意)なことで、映像演出あんまり好まれないのあるじゃないですか。
御多分に洩れず、私もそうなんですが…
映像のデメリットって、舞台の魅力である躍動する三次元的な空間をでかい面の二次元が抑え込むとこだと思うのです(個人調べ)
もっと言うなら「映像なんだからそれくらいできるでしょ」の補正がかかって評価が厳しくなるのもある。
多分、映像技術や3DCG技術が行くところまで行った今だからこそ、心理的なハードルが上がるんでしょうね…
映像に対して目が肥えた人々に、映像だけに留まらないその先の娯楽を見せる方法として、例えば
・「じゃあ映像技術行くところまで行ったらァ!!」の方向の追求(毛穴や透ける血管の話をし始める3DCGアニメや、4K8Kとかの画質の追求)
・視覚だけでない他の感覚に訴えたり、臨場感を添えたりしてエンターテイメントにする(チームラボとか4DXとか)
・日頃見慣れてるものに投影して全く違うように彩り、ギャップも含めた娯楽にする方向(天守へのプロジェクションマッピングとか、ディズニーシーのビリーブとか)
あたりがありますが、そういった+αの要素があまり感じ取れず、平面に投影しました!で止まってると感じる映像演出に、私は苦手があり…
ちなみに今上に例を出した+αたちの中には、「私は好きとは言ってないけど、意図は汲めるし心意気も買えるしそのこと自体に意義があるからNOとも言わないよ」も別に全然あります。天守へのプロジェクションマッピングのことですが…🏯
つまり逆に、「躍動する三次元的な空間を見に来ているというのにわざわざこんなペラの映像を!?」と感じなければ映像演出も全然好きなのです!
もしくは平面的な映像であることに意味があるとか。この辺はロッテ語りの時に語ったので略します🤘
⚠️ここまで自分の趣味語り
だから立体感を保ったまま、主役であるキャストさんたちの邪魔をしすぎず、「場所を取らずに場面を彩ることができる特性」だけを活かせてる映像演出見るとニコニコしてしまうわけですけれど…
バケモノの子は……………もう……………2024年現時点で、個人的に理想の、映像演出ありきの舞台!!!
まず投影面の増やし方の妙ですよね。
「スクリーンを三次元的に増やせばええわ!」の力技で立体感・奥行きを損なわないのすき!めっちゃすき。
導入から〜導入からうますぎます〜〜〜初見のあの日の猛り、一生忘れません。
事前情報で「プロジェクションマッピングとか映像すごくしたから!」っていう作風だっていうのは聞いてたから、最初の
「渋天街に住む諸君に告ぐ!」
\ボ…ボ…ボボ…/
のところで(あ〜最初から映像使ってくるねぇ!理解理解!)みたいな腕組み舐め腐り観客顔で見てたんですけど(カス観劇態度)
そしたら「心して聴くように!」でルントスクリーン側(手前側)に炎が灯り出して
(え!こんな奥行きの出る映像演出なのか!好き!)って思う間もなく祝祭のハイパー昂り間奏に合わせて実際の炎がバンバン灯って、
映像と現実の混在にノックアウトされる完璧な演出!!!!好きだな〜〜
これだけ導入で客の心を掴む演出ですが、配信だと演者アップドン‼️1カメ‼️1カメ‼️1カメ‼️で、ここの魅力は中の人が理解っててよぉ〜!😭だったのはさておき…
まあ、配信だとその良さが伝わりきらないから演者アップに振ったのかもしれない。
バケモノの映像演出って、「ああ、映像だねぇ」と我に返って距離を置く隙をほとんど与えないんですよね。
1幕の導入もですし、2幕導入も同じくらいさりげないかっこよさがあって好き!
舞台奥のホリゾントや奥の袖幕に投影されてる光の面、渋谷の装置が放つ光の面、ルントスクリーンに投影されている光の面が、フラットなのに空間に奥行きを出してさぁ…たまんねっす。
渋谷の美術を近未来的な光の面で構成された装置にしたからこその効果的な活かし方ですよね、かっこい〜好きだな〜😚
でですね
私実は、バケモノの映像演出と舞台装置のシンクロとして一番好きな場面この2つじゃなくて…
胸の中の剣が飛んでくるところはすみません、殿堂入りなのでちょっと別の話で…🖐️
実は1幕最後のここなんです。
ここ
ここの立体感がよォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これを見て、観客の頭は「背景幕、街並みの装置、袖幕」を併せて「ひとつの渋天街の風景」として見ているわけじゃないですか。まずこのシンクロがう↑〜〜〜〜↓まい↑ッ
3枚目の袖幕も街並みの絵差し込むかは一回検討すると思うんですよ、しらんけど。検討した上で、ここまであったら情報量が過密で街並みには見えない、緩急がない、差し込む旨みがないとか、そういう判断したりしてるかも思うと…良いですよね…しらんけど…。
で、これ単品で見ても、ごちゃごちゃとした小道の市場からのその奥の抜け、その向こうの丘陵地帯に乱雑に建てられた家々、そして空…一つの光景として満点ですが!!
満点の上でですね、
これが
こんななって
こんななって
こう
か〜〜〜〜〜っっこよ!!!!!!
堪忍してつかさい!!!!!!好きだーーーーっ!!!!!!めっちゃすき😭😭😭生きてて良かった😭😭😭
一つの風景だと思っていたものが、それぞれ別の動き、別の役割を果たしながら音楽に合わせて動き、躍動する三次元空間を作り出す…こんなん…総合芸術やないですか!!!!どうなってんですか!?!?責任者を出してください!!!!
大好きです応援してます サインください
舞台ってその形状ゆえ、横軸、縦軸、奥行き軸の中で奥行軸を広く見せるのが一番難しいじゃないですか。
横は袖があるし、縦は吊り物も奈落もあるから物理展開もできる!
何より客席に対してつく角度的に縦横は素直に見やすいけど、奥行きはかなり制限がある上に客席に対して垂直だからそもそも狭く見える。
シアターコクーンではここぞというシーンで舞台後方の搬入口を開けて奥行きを出す演出があるらしいとか、王道だと客席降りとか、その辺じゃないと奥行き軸って物理的に広げられないんですよね!
でも、バケモノはコロナの渦中で生まれた作品だから客席降り演出ができない。
(バケモノに客席降り演出が必要とは思ってないけど、その可能性さえ検討できなかった時代ですから…の意)
じゃあ限られた舞台上でどうやって豊かな奥行きを表現するか?の問いにお答えするのがこ〜〜〜の装置と映像‼️っていうことですよね🙏ホホホ(感涙)珠玉、珠玉…
物理的空間拡張も客席降りも無しで奥行きを見せる方法、舞台に限らずその見せ方の王道と言えば、手前の空間/街並みなどの遮蔽物で一回狭まる箇所/その奥の空間、の3エリアで区切って広がりを持たせるやつですが。
壁抜け男、ジョン万のフェアヘブンの港町だとか…SOMでもちょくちょく見ますよね!
これらは風景自体が動かなくても空間が豊かに見えますけれど、それがさらに動いたりなんかした日にはもっと躍動感・臨場感があって楽しいわけで☺️
だから、人猫の演出とか古典手法だけどとても効果的なんですよね〜
あとLKの峡谷とかも!LKはどこ取ったって神ですが。LKを崇めよ
で、バケモノの子はというと、「手前の空間/街並みなどの遮蔽物で一回狭まる箇所/その奥の空間、の3エリアで区切って広がりを持たせ、それを動かし、なんなら3エリアの区切り方や区切る回数が場面場面で変わる」ときたもんですから。
躍動する三次元空間すぎますってぇ!!!総合芸術!!!総合芸術!!!
客席側から現れる垂れ幕たちは、奥行き軸の広がりにかなり寄与してるし、なにより華やか!
「強くなる」では垂れ幕が奥から手前に向かって通過していくから、大ぶりの花籠/映像や装置全体の回転方向と合わせて渋天街への行く道来る道を印象的に描くという意味でも一役買ってて、画の美しさと持たせる意味、どっち取っても実においしい。
曲中で寒色(渋谷を象徴する色)に移り変わる垂れ幕も、基本徐々にグラデーションなんですが、花籠が出る時に一際目立つ鮮やかな赤の垂れ幕がバッ‼️と出て一気に寒色になるのが目を奪われて上手いッですねェ〜ッ
あの赤垂れ幕くん目で追ってると、下手→上手に消えたあと奥側の上手からススス…って出て来るんですよね。律儀に回転しており、かわいい。
でも私、垂れ幕くんは勿論、やっぱり装置自体のレリーフ的な処理の妙と背景の映像のシンクロの技巧がかなり好きなんです…
熊徹と九太の追いかけっこから先の装置の動き方好きすぎる!!
回転するところも、中央の盆(客席から遠い方の装置が乗ってる)がゆっくり回るのに対して、二枚目の盆(客席に近い方の装置が乗ってる)がそれより早く回るから、客席から見ると車窓のような…遠くの景色がゆっくり動いて近くの景色が早く動くのを見ているような体感になるから本当に奥行きがある!
てか、「この道を、歩き続けて良いのか、俺は…?」でドゥン………って動き出す装置好きすぎる……………キャア〜〜〜〜〜!!!!!!
映画で言ったらリトルマーメイドの「必ず会いに行く、あなたに」で上がる波飛沫、あとはジョン万の「行って〜〜〜みたい〜、自由にどこまでも〜」の音が上がるところで波が高く上がるのとか、装置による情景描写で物語を盛り上げる瞬間!!!!たまりません委員会!!!!キャ↑キャ↑キャ↑(野生)
熊徹と九太の追いかけっこから先の装置の動き方の良さは、ひとえに情景描写的な良さに依るものなんですよね。
まず、「待て九太ぁ!」から先、回転とコロコロした音楽(バカ語彙)によるわちゃわちゃ感が好き☺️
ここの九太が熊徹を撒く時の撒き方、大阪からの変更本当に好き。テンポも、見栄えも、動きが持つ意味も格段に好き!!(熊徹と手合わせをするときはいつも「誘い込み、引っ掛けて、隙をつく」の手法を取る九太のクセがこんなとこでも出るんですねうふふの意)
わちゃわちゃのどさくさに紛れて、盆を回転させて装置を舞台前方に置く。
この転換と照明の明暗によって、小道に逃げ込んできた感と、九太にとっての閉塞感みたいなものが出る!
あとついでに、この手前の装置を目隠しにして奥の対の装置をス…って出してくるのも合理的で好き。
これがこう↓
そして、「この道を、歩き続けて良いのか、俺は」と自分に問いかけるところでドゥン………って装置が回り始め、舞台奥への道が開ける(キャア〜〜〜〜〜!!!!)
さらに、「この胸満たす何か追い求めて、地図にない道歩こう」の決意を固めるあたりで、舞台後方にいた渋天街の民はワゴンとともに捌け、舞台奥が完全に見えるようになりグッと奥行きが出る(キャア〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!)
広がった奥行きを強調するために九太が奥に一回駆け出すのも、心情ともマッチしていてサイコーっす!
間奏で渋天街の街並みは遠く離れ、九太の感情・願望に呼応するように風景は人間界と渋天街とを繋ぐ路地へと…
この流れの美しさ………………
くぅ〜〜〜〜〜〜〜っ夏はこれです‼️うまぁ〜〜〜〜〜〜〜いおかわり‼️‼️もう10月も終わりだ‼️⁉️いいもんねー年がら年中食べられるもんねーっ‼️‼️
この辺、実は原作映画ってスッと人間界にいて、次のカットではスッと図書館にいて白鯨読んでる、みたいな流れで「えっ急に人間界にいる!!どうしたどうした」の展開に対する理由づけはされてないんですよね。
その描写の補完的な役割も担っているというか…「新しい旅」の楽曲、歌詞、そして一連の場面転換を挟んだことで、九太の中にある悩みと違う世界への渇望が再び人間界への道を開いたように思わせるのがね〜良いよね〜良いですよね〜そうだろう、九太ァ〜
ラストや「修行の日々」は勿論、バケモノの子は突き抜けるような空を印象付けるのが本当に上手くて。
キービジュアル空ドーンの劇が、空の見せ方で手を抜くわけございませんでしょ?の強い意志を感じます。興奮します。
「い〜〜〜ま〜〜〜〜〜〜 ↑」
照明カーーーッ↑
パッパー ブーン ザワザワ
「あ、ここは…」
テレテレテーーーッ↑↑ ドゥン↓
も、空の見せ方良いですよね…良い…
あれだけ広々として鮮やかな渋天街の空を1幕かけて描いてきたからこその、あの味気なく白飛びした空😭
照明装置映像から演出から間の取り方から楽曲から、全てで『渋天街から渋谷に出た時の視界の変化』を表現していて最高に好きです。
観客の五感に負荷を与えるような強い演出を、場面を選んで一瞬だけ使うの、こだわりを感じて好き😭
どっしりとした渋天街の塗り壁に対して、光をよく反射する軽やかで直線的で無機質なビル、そんなビルだらけの光景がいきなり飛び込んできて目が眩む九太…の描写としてのあの強い目眩し!!!そして、それにより白飛びして見える空!!!
単純に、あの瞬間に渋天街の装置をちょっと後退させて「急に景色が一変した」と思わせるためにも、合理的な目眩しですよね🥰
「きっと〜〜〜↑」の楽曲がめちゃめちゃに盛り上がるところで、花籠と赤垂れ幕くんがバッて出るのも盛り上がる〜!
バケモノの子の楽曲…というか作曲家さんの持ち味なんだと思うんですが全体的に壮大で古典映えする楽曲で、それがハマる場面ハマらない場面とありますが…
壮大な音楽って、繋ぎ目のジャーン的な印象(バカ語彙)とかイントロのなんか豪華な印象(大バカ語彙)が強いから、壮大な場面転換・登場人物の強い心理描写には良い方向に作用する、ような気がします。音楽のこと何にも知らんけど…。
バケモノの子は装置、演者、照明、映像、音楽が極めて美しく噛み合って一つの劇を作り上げてるから、本当に見応えがあるんですよね!
音楽的にここぞ!って瞬間に、装置も演者も照明も映像もグッとくる瞬間をくれるというか。
例えば「胸の中の剣(熊徹蓮rep)」の「に〜ぎ〜れ〜」の最高に盛り上がる音楽の瞬間で、ルントスクリーンと両脇の紗幕が飛ぶやつ!!
この転換は、勿論巨大白鯨と剣の演出の投影面の役割を終えたから紗幕が退場してると言えばそれまでで。
ただ、直前の静かな泡の投影もあって「一郎彦と心中を決意して闇(海中)に飲まれかけた九太の視界が開けていく様子」の演出としても完璧なんですよね。かっこよ…大好き…
このまとめ方の美しさ、全ての部門の強い繋がりは演出の力あればこそだな〜って。青木師匠の弟子にしてください、青木さんのように強くなりたいんです…あと恋におちたシェイクスピア再演してください…(無関係)
しみじみ思うんですが、これだけ劇団四季の培ってきたミュージカル激熱演出の総集編みたいな作品で、実は演出家は四季外部なのがすごすぎる。どうやってこんな…
「新しい旅」って私はこの装置、照明、映像、音楽、あと大鹿さん内蔵の送風機(新しい〜風に吹かれて〜の歌詞が、大鹿さんの演技と体の使い方によって補足されすぎる!の意)ありき…というかそこが好きな理由100%でめちゃくちゃ好きなナンバーとして認識してるので、ソンダンに曲単品使われたら突っ伏して泣いてしまうかもしれない😭
作品拗らせオタクがソンダンに一曲だけ引き抜かれて突っ伏して泣くの、風物詩ですね…
なんにせよ、バケモノの子の映像って別に控えめではなく、むしろ結構映像映像しい動きさせたり、存在感強かったりしますよね。
それでも私が映像アレルギー出ず、それどころか映像たまりませんって!!になりながら見られるのは、ひとえに「重量感も躍動感もある神装置」っていう最高大前提に支えられているものだと思ってて…
映像が強くても負けない…いや…補い合って2人で勝つ!強い…この演出、最強。
映像がそこそこの速さで動いても、巨大で重厚感あるはずの装置が同じ速さで動く(!?)から境界が分からなくなって、『映像だけが1人で突っ走る』が無いんですよね!
背景の映像、よく見るとドリドリ回転しながら競り上がってくるビルとかそういうやんちゃ3DCGな映像をしているにも関わらず、装置も割と似たような動きをしているので気にならない、そういうことです。しみじみすご
SHIBUYA2010の装置、映像、ステージングが実はめちゃめちゃ好き侍…
ずーっと良い構図で良い画で、目まぐるしく変わる渋谷の雑踏を見せてくれる!
蓮が最初登場して場面転換して熊徹とぶつかる間の、繋ぎの場面転換のズン ズン ズン ズン デッデデデッデデッデデデデッデーのところ(どこ?)、スローモーションになることに物語的な意味は別にないだろうけど、単純に見え方と緩急がめちゃめちゃめちゃめちゃかっこいいので大好き。
カンカン帽子?の人、あと「あと5分で着くー」の女の子って大阪から位置変わってますか?その二人の立ち位置は実は東京の方がバランス好きだなとかその辺は個人の好みに依るものですが…!
真ん中に何かが来そうなことを予感させる立ち位置で九太の再登場を印象付けてたであろうこととか…あと、渋天街の古き良き昭和感との対比のために、渋谷のアンサンブルは意図的に一人一人の個性を薄めて雑踏感を強くしてると思ってるので、全員がぼんやりとした人影に見えるような外周にいた方が好きだったとか…そのへん由来の感情です。
⚠️気持ち後ろ向きな方の思想語り
オーロラ(?)、燃える宗師候補のシルエット、花ドーン!チームラボ🌺🌸🌼宇宙バーン!流れ星💫の辺は私の中の映像アレルギーとのせめぎ合いがあったりなかったりもしますが…
チームラボが悪いって言うわけじゃなく、チームラボはあれを主役としてる見せ物だからあのくらい目立って良いけど、舞台の主役はあくまで人間だから映像が食っちゃうのはどうかなあ!?の意です!!
燃える宗師候補のシルエットは人も多くてセットもかっこいいのが出ててその後ろでボボボボ…ってなってるのでまだそこまで食わないけど、蓮のソロのところは子役の蓮よりでかい花を見よ!!みたいになってるのでやっぱり気になり。
でもいいの、他の映像が良すぎるから、全部気になりません!
って、初期の頃は思っていたんです。上の全部まんま過去レポコピペだし✌️
ただ、この辺東京の頃からずっと考えていることはあって。
例えば、Twitterにいるオタク(便宜上の巨大主語)の間では「全部盛り大騒ぎバラエティみたいな映画ポスターじゃないくて、海外みたいなきれいなポスター出してよ〜」って声が多いけど、実際きれーポスターだとTwitterにいない9割の一般層には映画の内容が伝わらないから売り上げが伸びないらしいとか。
Twitterにいるオタク(便宜上の巨大主語)の間では「キャラ全面押し出しみたいなグッズじゃなくてもっとさりげなかったり、作中でキャラが使ってる何気ないものと同じものだったりするグッズ出してよ〜」って声が多いけど、実際そういうグッズ出すとTwitterにいない9割の一般層にはウケが悪いから売り上げが伸びないらしいとか。
その辺と同じことで、「映像演出特盛です!!」って謳ってるのに演出の補佐的役割の映像ばっかりだと、Twitterにいるオタク(勝手な巨大主語と一人称)はニッコリだけど、一般層的には「映像言うほど使ってなかったよね、勿体な」ってなるのかもなぁ〜
チームラボみたいなシーンはそういう、「作中の描写の幅を出す」という意味で必要なんだろうな、と思います。
そればっかりで新しい旅の前みたいなシーンが無かったら泣いてるしこんなに好きになってないし、でもそういう目に見えて華やかなシーンが無かったらあまりにもミュージカルにしては土臭くなるし、どっちも良いバランスで取り入れてて、配分としてはちょうど良い落とし所なのかも
⚠️気持ち後ろ向きな方の思想語り
ついでに殺陣の話して良いですか?しますね。
バケモノの子の全ての画が、舞台全体で見て非常に完成度の高い画面となっていますが、殺陣もそうなんですよね。
殺陣に求めてること全部やってくれてるし、その一つ一つが画面に躍動感を持たせてる!
バケモノの子は私を殺陣の世界へ連れて行ってくれる。肉弾戦、足技、チャンバラ、市街戦、巨大化、ピンチに現れる究極の武器、なんでもあるわ!(ベル)
特撮で見たいこと、大体全部舞台上でやってくれてるんです😭
例えば、最初ギャラリーも大勢いる市街戦で始まって、場所を移して開けたところで大振りな戦闘へ…の流れ。
例えば、巨大化して襲い来る敵、もうダメかと思ったところで頼れるヒーローが遅れてやってきて究極の武器を手にして…の流れ。(頼れるヒーローと究極の武器が兼ねられてることはあんまり無いけど)
助かる〜〜〜〜見たかった〜〜〜〜
というか正直、「そういうのが心から好きだけど、四季で求めるものじゃないのはわかってるからそういうのが欲しくなったら別のところ(特撮や少年漫画)で摂取するね」と思っていたものを四季で浴びてびっくりした、が初見時感情でした。
市街戦から開けたところに展開する場面なんて2回もある!!!!良いんですか!?!?こんなに見せてもらって!?!?
バケモノの子ってとにかく画面に緩急つけたり、表現の幅を持たせたりのが上手い。
舞台上の空間が広く見えるだけでなく、躍動感があるのってきっとその辺なんですよね…
まず民衆でわちゃわちゃしてる舞台上を熊徹と猪王山が縦横無尽に戦う市場の場面。
使わないのに描いちゃったから賑やかしに貼っとこ🖼️
ここも大阪からの変更がだ〜〜〜いすき!!!
特撮で、「市街戦や屋内戦で、意図的に壁にぶつけて壁が大げさに崩壊する」とかってよくある手法じゃないですか。やっぱり画面が華やぐし躍動感も出るから好まれるんですよね!
でも、舞台上はなかなかそういうものができない。毎日上演するものだから消え物?との相性が悪いので…
だから、崩壊系演出は何気ないワンシーンとかじゃなくて、ここぞという場面で使うんですよね。
人猫の火事とか、マジョリンの魔法とか、嵐の中の遺跡崩落とか、ジョン万の難破とか。おめーんちの引き出しファミミュばっかか?って言われそうですが、実際ファミミュって多くない!?
…そういうことか…画面が華やぐし目を引くから、飽きやすい子供がメイン客層の劇ではよく取り入れられるんですね…MANAVI TIME💡私は飽きやすい子供時代から人間的に成長してないのでそういうのが大好きなのだ。
ジキハイって10年以上前に1回しか見てないんですがそういうシーン多めじゃありませんでしたっけ。あ〜〜こんな場面でごめんけどすごぉい!迫力!ヒャホホ〜イ!って思いながら見てた記憶。これは懺悔です、私の中のハイドがすみません…(?)
ただ、バケモノの子は躍動感を求めるバトルものの劇だから、ここぞという場面だけじゃなく、もっと特撮くらいの頻度でそういう演出をやりたいんではないでしょうか!?多分。しらんけど。
でも、高頻度での崩壊系演出は物理的にできない…
そこで、大阪からの変更ですよ‼️
渋天街の民衆をわちゃわちゃ集めることで、擬似的に壁を作る。
言い換えれば、人間でエフェクトを作る!
バケモノの子はアンサンブルさんの力量を信頼しているというか、そこのアドリブ性や勢いに委ねる場面が多くて、それもまた良く作用する場面と悪く作用する場面がありますよね。
私は本質的にはアドリブ苦手人間だから、初見客にとって下手するとノイズになるようなアドリブはその、あんまその、アレがアレですが…ヘヘヘ…
「あ、人間だ!人間がいる!」から「強くなる(rep)」の一騎打ちの場面においては良くしか作用しない‼️
ここの場面ずっと勢いがある!!!!躍動〜〜!!!!(IKKO)
大阪ここ初見の時「うわーー!!特撮で壁が壊れるやつだーー!!」って湧きましたよ、本当に😭💕
そして、ステゴロの戦いからビーストモードになる時。
吹っ飛ばされた熊徹を見て湧く観客が猪王山に群がることで、物語的に自然に、違和感なく壁を作る。
からの、「いおうぜぇん!!!!」でその壁を崩壊させ、その向こうにあの最高にかっこよくて最高に見栄えが良くて最高に華のあるビーストモードが現れる!
かっっっっっっっっ
かっこいーーーーーーーー!!!!!すっげえ迫力!!!!!たまんねぇやぁ!!!!!(マジョリン)
同じように「壁を作り、壊し、その奥のものを印象的に見せる」演出、白鯨戦でも使われますけど、
これ系しみじみとかっこいいんですよね。こんなんポケモンやないですか。
そして!!ビーストモードでも敗れ、それでも食いついてチャンバラに持ち込む時。
ここ、ここここ、ここここここ
ここの空間の広げ方が本当ーーーーに好き💕💕💕
バケモノの子って全編通して屋台の使い方異常に上手い。上手くないですか?
ここ、吹っ飛ばされ周りの民衆にも笑い飛ばされ、それでも諦めずに立ち上がって剣を手にする(九太は熊徹のそういう強さに惹かれ憧れたんですよね、わかるよ、Forever Shitei-Love…)熊徹に釘付けになってるから、
「あれ!?舞台上の体感めちゃめちゃ広くない!?こんなだった!?…屋台いなくなってる!!いつ!?!?やられた〜〜‼️かなわ〜〜ん‼️渋天街の看板と垂れ幕も虹色のやつだけ残して他全部いなくなってる‼️‼️全く油断も隙もありゃしないよぉ‼️‼️(ニラミンコ)」ってなる。ちなみに今なお看板はいつ飛んでんのかわかってません。
楽曲に合わせてさりげな〜く転換するのが異常にうまいんですよね。気づいたら空間が爆広がりしてて、空がグッと大きく見えるようになってる!
てか単純に一騎打ちの終盤も終盤の\テーーテーーテテテーー/の部分、曲がめちゃめちゃかっこいいからぁ〜!
ここも大阪からの変更?東京だと音響の繋ぎにもっと違和感があったのが全然無くなってて、何の躓きも無くあの最高潮の盛り上がりに到達できるようになってたのがかなり好き😭
好きというか、企業努力(??)というか…?
「さあ、2人であいつの闇と戦おう」の時出てくるクジラたちの歩き方を変えることでぴょんぴょんした可愛い動きの印象だったのを直してたのとか、マジョリンで「ああ、アタシは今日も良い魔女だった」→結婚式の繋ぎが公演重ねるごとに自然になっていくのとか、ガンバのイカダから全然音がしなくなったのとかに似た感動がありますよね。プンバァ、おめえなんでもファミミュに結びつけちゃう…
楽曲がかなりかっこいいので、その直前、最高潮の盛り上がりの助走になるところにかっこいい踏切板役があると音として締まるじゃないですか。遠藤8枠さんの\アオーーーーン/が音としてかなり気持ちが良い、的な…。マジョリンで村の人たちが裁判に駆け込んでくる最高の盛り上がり場面で、神保ニラミンコさんが発する「~ァァアアア〜〜〜ッッッ…!!!!」が死ぬほど好き、的な。
東熊徹さんがここで「さーがーれェオラァーーーッ‼️」\テーーテーーテテテーー/的な雄叫びを入れるの大変好きです。これは装置照明演出語りとはあんまり関係ない好きなもの語りです。
民衆、屋台、舞台上にあるもの全て使って最高にかっこいい殺陣を無限に見せてくれる…エフェクトは人間で作れるってこと、舞台上の限られた空間で限りなく広い空間が作れるってことを教えてくれる!ありがとうバケモノの子に携わる全てのクリエイター…
そういえば、後にも先にも大阪で一回しか見たことないんですが、「腕っ節の強さ、それだけだ」で熊徹が地面を踏み締める瞬間、後ろを通過してたオオカミトリオが「わっ」て同時にちょっとジャンプして浮かび上がってたことがあって、それもかなり人間エフェクトで好きでしたね☺️
これは普通に東京からだけどビーストモード同士がぶつかり合う時の衝撃が民衆みんなを吹き飛ばすのとか、ガンバの投票でマンプクが着地した時にみんなが「わっ」てちょっと浮くのとか、私はとても好き。
とにかく大阪からの演出変更、基本大好きだし非常に効果的だと思うことばっかりでサイコーでした😭
得たものをいつも次の夢にかけ、壊しながら築き、築きながら壊すからこそ、幻の塔は果てしなく高く、月への道は果てしなく遠いを感じますね。九太も一郎彦も言ってたからね(言ってない)(言ってた)
あと百さんも言ってた気がする(言ってない)(それは本当に言ってない)
言うべくもないけど、白鯨戦の語り、良いですか…?しますね。
市街戦での剣戟、からの開けたところに出て巨大敵との戦い…もう王道も王道。助かりまくり!
で、肝心要の白鯨の見せ方ですよね。
造形と照明がこの世のものとは思えないほど美しく、その美しさと異質さが一郎彦の孤独をありありと映し出しているのは勿論のことですが…
マジで展開のさせ方がう↑〜〜〜〜↓まい↑ッ
まず登場で斜めに舞台を突っ切ることで全ての客に白鯨の美しい全貌を見せる。
「わあ〜!あの綺麗な白鯨がこれから舞台の平面上、横軸奥行き軸を縦横無尽に動き回るんだ〜」と思ったところに、「あ、すみません、縦軸も行けますんで…」の動き!!!
そして、「すごい!!縦横奥行き全部行けるんだ!!」にダメ押しで、奥のホリゾント幕への投影で「すみません、奥行き軸ももうちょっと奥から来れますんで…」の動き!!!!!!
そしてルントスクリーンへの投影で上から降ってきて、
ルントスクリーン全体に映し出される全貌で、太刀打ちできない圧倒的な大きさを演出する。
ハァッ……………ハァッ……………
勝てない…………………………
こんな……………白鯨さん……………ファンサ手厚すぎます……………
これは…考えたのは演出家ですか?振付?トビーさん?映像?課金しなきゃ…
…この場合の課金ってバケモノに通うことか…通お。
通ってましたわ。
舞台上をふんだんに使って白鯨ファンサタイムが終わってからも、とにかく見せ方が豊か!
最終決戦に相応しい、あまりに美しく迫力があり見る者を飽きさせない戦闘、こんなんもう何百回でも見られます
ついでに構図、立ち位置の話しても良いですか?しますね。
バケモノの子ってステージングや構図が画としてとても良いのもありますが、「客が誰に感情移入するように作られているか」もすごく明白だと思うんですよね。
一騎討ちで負けそうになる熊徹。白鯨戦で繰り返し繰り返し描かれるこの構図。
手前に主人公、奥に強大な存在を配置することで、熊徹と九太を感情移入すべき主人公として設定してるのが分かりやすく、ついでにめちゃめちゃ画面映えもする良〜〜い構図!!たまりませんって!!ボイリングブラッド、ダンシングミート🔥🩸🔥 ₍₍🍖⁾⁾
そして、ここも大阪からの変更点ですが!
「SHIBUYA2010」終盤で雑踏の中一人取り残される蓮や、「ハロウィン・ナイト!」での九太の描き方にその「構図による主人公性の演出」が取り入れられるようになったのもかな〜り好きです!
積極的に九太をセンターに立たせるようになりましたよね。
そして、上の文を打ちながら「そういえばよく巷で言われる上手下手が持たせる意味って取り入れられてたりするのかな」→「するんだ〜〜」となったり。
よく、「下手は敵や不安や劣勢を、上手は味方や安心感や優勢を表す」って言われてるやつ、印象的な場面ではきっちり抑えて使われてるんすねぇ!
王道やね、とことん、王道すぎるほどに…。
この白鯨登場場面とか、
下手←敵 主人公→上手
の典型的な構図ですよね。
これは、前上手最前列に座った時この構図がはちゃめちゃかっこよくて描いた絵をなんか理由つけて再掲したかったんですが、意外とタイミングがなくて無理矢理ねじ込んでいる様子
ここから下はぶつ切り箇条書きで好きなシーン語るパートです。ほぼTwitterの再掲。
見返すための自分用メモ記事ですので、お許しを、お許しを…
↓
「強くなる」の壮大な終奏に合わせて渋天街の鮮やかな市場が紗幕の向こうに見えて、
嘘ッ…美…!?
→(屋台に点る灯り、上がる紗幕)
→美〜↑↑‼️‼️
ってなるのも超好き😘
渋天街の異国情緒溢れる街並みの美しさを印象付けるため、また特産品が乱雑にかけられてる市街地の印象が闘技場に合致しないのもあり、「その日が来る」の闘技場には垂れ幕を出さずに温存するのも好き。
「強くなる」のあの路地でバラバラと垂れ幕が現れ始め、市場に辿り着くシーンで一番大きくて美しい布地をバーンと初出にしてる!
蓮が初めて色鮮やかな渋天街に迷い込んだシーンを印象的に描く工夫、好きピオニクス🦕
九太が迷い込む路地の象徴的な色として超常的な蛍光グリーンを使って印象づけ、その後も人間界とバケモノの世界の境界が舞台上にあるシーンは境界が蛍光グリーンに光るのが視覚的にわかりやすくて好き。
中でも、クリスマスの背景が熊徹庵になってる場面、熊徹と猪兄弟の移動のために緑の境界が内円と外円行ったり来たりしてあげててやさしい…
「宗師様、一郎彦は」「闇に飲み込まれ、自分を見失い、どこかを彷徨っておる」の場面で境界が蛍光グリーンじゃないのはなんでなんだろうってずっと思ってたんですが、あれは純粋に見た目のバランスを重視したのかなと思っている。一郎彦の闇と孤独を表現する場面においては、通しで使われるグリーンよりも白の方が良いだろうと思ったのかな、的な…サラビの意見はどうかしら。ご意見募集中です
私「九太の闇が発現するシーン、地面じゃないけど壁面が緑なのは、そういう『超常的なもの』の表現なんだろうな…」
公式「あれはファミマです」
私「ファミマ」
熊徹庵ですやすや寝てる熊徹の横を九太がそっと荷物を取りに来るシーン、他の場面ではかかってない各種洗濯物があのお洒落梁にかかってて生活感出してくるのめちゃ好き…
「品格のカケラもねぇな」の後、袖幕フチのLEDが「修行の日々」BGMに合わせて
チカ…チカ…チカ…(1→2→3袖の順に💡)
チカ…チカ…チカ…(1→2→3袖の順にOFF)
ってして冬から夏への時間経過を表現するのも、漫画の空白のコマを並べる手法みたいで、原作アニメ作品のニュアンスが良い塩梅に出てて好き!
あと「真実」の猪王山宅の椅子、そして映像の竹藪が残ってることで回想シーン性を際立たせてるんだなと…これも漫画で言う「枠の外が黒い」みたいなニュアンスとして視覚的にわかりやすくしてるんだな〜とか、漫画表現的な説明技法もちょこちょこ入ってきて面白いですよね。
ルントスクリーン前で演技する時って上手サイドスポットから下手を、下手サイドスポットから上手を照らして、立ち位置が逆転するとすれ違う時にスポットも律儀に交換すると思うんですけど(多分)、
「本当の私」の「何故か信じられた、あなたになら隠さないで大丈夫だと」ですれ違う時、九太に当たってた上手からのスポットは楓に移るけど、楓に当たってた下手のスポットは消えるんですよね…(多分)
それが、本当の自分を隠した九太の後ろめたさと、九太から見た楓の眩しさを演出しててメチャスキ😘
「誰かが決めた人生」から先の激アツ盛り上がりで楓に当たってる照明がワッ!と増えて(多分)キラッキラに眩しく見えるのも大好き!なんですけど照明側ジロジロ見るのガチ迷惑不審者すぎてそういうの見やすい席に座った時しかできないから定かでない。
「真実」で紗幕に映る手前の雨は正面から見てるのに奥の雨がアオリ構図なの、捨てられて地面に置かれた赤子一郎彦ビューを多分表していて、
背景そのままに渋谷に移り、
そして直後の「父の想い」でも背景のぐるぐる住宅街がアオリなの、迷子の子供のように路地を彷徨う九太を対比させてるんですよね…多分…
他の人間界の背景映像はパースついてるにしてもここまでじゃないし、「真実」「父の想い」は意図的に繋げられてたので、美術と映像による「お前たち2人は同じなんだ」ですよね。な。ビュッといってバーン。な。
「闇に飲み込まれ、自分を見失い、どこかを彷徨っておる」の場面の背景、渋谷を彷徨う一郎彦の場面でも、足元にはあの日と同じ雨降りしきる照明投射があるのも好き。
最後の決戦、鯨と炎を纏った剣との戦いなのと同じように、ここでも雨と夕焼けで水属性と火属性なのとかね…私は精神がキッズのままなので、水属性と火属性の対決は当たり前のように好きです。
一郎彦が水属性なので、「俺と一緒に消えてなくなれ!」の場面は一郎彦と心中を決意して海中に沈んでいくように見えるんですよね。それを助けにいく熊徹は燃える剣であり、背中に背負うように太陽そのものであり、な…な?ビュッといってバーン。な。
名古屋からの変更は実は好き半分、アレ?が半分なんですが、付喪神に転生した熊徹が九太の危機に飛んでくるところの照明変更好きすぎて狂ってしまい、あれ以来ずっとその話をしています。
下手から微かに当たる赤い照明、煌々と燃える剣の光を受けていることの表現、好きすぎて………好、好きすぎて………
先人の思いや道標としての意味のある光がまず死ぬほど好き(LKや南十字星の星々、夢醒めでピコに集まる光、GALのランプとか)な上、その光を受けた顔面がね!?水に映るシンバの顔を照らす星々の反射光がねェ!好きなんですよッ!!ウウウ…好き……………大好きなんですよ、ウウウ…ウ…
強いて言うなら、人のいる上方フロントサイドでなく(上からになって発光元が剣に見えないから?)、袖でもなく(後ろすぎるのか?)、人のいない下方のフロントサイドなので九太を追う機能が無く、上手から歩き出すと同時に消えちゃうのは惜しいですが…!
でも歩き出すまで結構あるから、その間に堪能します。
ここ、赤い照明が増えたのと久々のバケモノの子で正常でなかったので今までずっと気づかなかったんですけど、この間「うひょ〜!!この↓
一連の流れかっこよすギルティ〜!!」って思ってて、ようやくアレ?ってなったんですけど、
ス…スモーク…めちゃ増えてない?
東京と大阪こんなかっこいい煙突き抜けエフェクトあったっけ?アレ?
慌てて画像フォルダひっくり返して東京大阪の該当シーンの写真見返したんですけど、こ…こんなに…こんなにスモーク無い!!!!!!
かっこよすぎる!!!!!!たすけてー!!!!!!名古屋ありがとー!!!!!!!!!
バケモノの子の舞台美術と演出と転換と映像…好き…めっちゃ好き!!!!!!!!!!!!!!
四季で舞台美術と演出が好きな作品、南十字星、LK、思い出を売る男(に、オペラ座、JCSジャポ、壁抜け男、ウィキッド、アイーダ、鐘、ユタ、MMが都度足される)(多いな…)なんですが、最初の3つに並ぶ…かも…しれない…
とか言う割に挿絵が全然違ったり屋台足りなかったりド失礼で最悪なので、余力のある時にこっそり絵を直したり足したりしていきたいな
バケモノの子…現代版LKとして定期的に上演いたしませんか…?(LKは時代設定無いし、過去でも現代でも未来でも王座に居続ける大名作なので現代版も何も無いですが…)(思想すなって)
8年後でも…17年後でも良いんで…伊達に四季オタやってませんから気は長いし、待つのは得意なので…ね…ね…
名古屋は『初演シリーズ』のフィナーレですもんね。お蔵入りしたりしないで、行かないで…ひとりにしないで…お願い…
勿論、これからは何ほざこうと観客の胸の中から離れませんが!大町に行ってもバケモノの子はバケモノの子なので。
でも…物理的に…ね…
ね……
ね…