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「べらぼう」 時代考証とフィクション
今日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」の第6話「鱗(うろこ)剥がれた『節用集』」の小ネタを中心に「時代考証とフィクション」と題して書きます。
個人的に、ドラマや映画の筋書きを全部書くことは、まだ見ていない人への配慮が足りないと思っています。従って、今回も、ストーリーそのものには触れずに、よりドラマが楽しめるようにドラマの背景(小ネタ)を紹介します。
今回のNHK大河ドラマは、江戸中期の天下泰平の時代、侍から商人へ国の中心が移っていく時代の中、出版業界の異端児と言われた「蔦屋重三郎」が、描かれています。
この江戸中期は、一般的に「時代劇」と言われる映画ドラマ等の背景として良く登場しています。例えば、映画で言えば黒澤明監督の「用心棒」「椿三十郎」、ドラマで言えば「遠山の金さん」「銭形平次」「剣客商売」など、どちらかと言えば娯楽性を重視した作品が多く作られています。
この例に漏れず、「べらぼう」には、この娯楽性がかなり重視されたものとなっています。これは、史実に基づいた歴史叙述が中心であった代々の大河ドラマに、この時代考証と共に娯楽性(フィクション)を取り入れてよりディフォルメされ、結果、非常にユニークな大河ドラマとなっています。
では、この大河ドラマ「べらぼう」において史実が、どの様にフィクション化されているのかを、第六話のストーリーと絡めて説明したいと思います。
鱗形屋孫兵衛と草双紙
片岡愛之助さんが演じる鱗形屋 孫兵衛(うろこがたや まごべえ)は、江戸時代の江戸の地本問屋・鱗形屋の三代目で、鶴鱗堂または鶴林堂と号していました。
鱗形屋 孫兵衛は、地本問屋、草双紙絵双紙屋仲間と書物問屋仲間に名を連ね、手広く活動しており、安永4年(1775年)に恋川春町『金々先生栄花夢』を刊行して黄表紙の出版の先駆けとなり、安永年間の江戸の出版界をリードしていました。
第6話でよく「赤本」とか「青本」とか言う言葉が登場しますが、これは、いずれも、江戸時代中頃から江戸で出版された絵入り娯楽本である草双紙(くさぞうし)の一種で、この草双紙には、その他にも蔦重が得意とした草双紙の発展形でもある黄表紙・合巻などがあります。
まず、「赤本」ですが、表紙が丹色(にいろ/赤土のような黄みがかった渋い赤色)であることから「赤本」と呼ばれ、正月の年玉として購買された子供向けの縁起物と言われており、内容は、桃太郎・さるかに合戦・舌切り雀、花咲か爺といった昔話、御伽草子や説話を継承したもの、歌謡・言葉遊び・武勇譚など、多様だったそうです。
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一方、「黒本」「青本」とは、表紙が黒い本を「黒本」、表紙が萌黄色の本を「青本」と呼ばれており、大人向けに作られた絵草紙で、内容は、人形浄瑠璃や歌舞伎といった演劇や浮世草子に取材したもの、勧化本や地誌、通俗演義ものや実録もの、一代記ものなどが中心でした。
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恋川春町の『金々先生栄花夢』は、一応、「青本」に分類されますが、この本が出版され好評となることにより、後の「黄本」が登場することとなります。
ドラマで描かれていましたが、この「赤本」「青本」のストーリーは、戯作者ではなく、版元の作ったストーリーをそのまま絵と文章にして販売する形式であり、ストーリー性が薄く読み物としては、あまり内容が深いものではなく、本好きにとっては物足りない物でした。
この「青本」を変えたのが、『金々先生栄花夢』でした。『金々先生栄花夢』は、初めて浮世絵と戯作を恋川春町が、一人で行います。
この恋川春町は、本名を倉橋 格(くらはし いたる)といい、駿河小島藩・滝脇松平家の江戸留守居役を務めるれっきとした武士でした。これはドラマに描かれているとおりです。
この『金々先生栄花夢』ですが、片田舎に住んでいた金村屋金兵衛という貧乏な若者がこの本の主人公となります。そして、金兵衛は江戸に出て立身しようと思い立ち目黒不動に至り、その門前の粟餅屋で粟餅を頼む所から物語は始まります。
金村屋金兵衛は、何かの偶然の成り行きで大店を継ぐこととなり、大金持ちになります。しかし、「金」に飲まれた金村屋金兵衛は、幇間の万八や手代の源四郎などを連れ吉原だの深川辰巳の岡場所だのといった遊里で大散財し「金々先生」と呼ばれる様になります。
しかし、「金」の切れ目が「縁」の切れ目と言うように、金兵衛の放蕩がいよいよ家を傾けそうになったので、その大店を追い出されるのですが・・・
さあ大変と思ったら、金兵衛は目が覚めて、これは全て夢の中の話であったと言う行(くだり)となります。たとえ人間栄華を極めたとしても、それも一時の夢のような儚いものだという落ちのストーリーとなっています。
第六話では、最初の「金々野郎」のシーンとその後に鱗形屋孫兵衛と蔦重が面白い青本づくりで、話のネタとした「源四郎」など、前半のストーリーは、全てこの『金々先生栄花夢』から作り出された完全なフィクションであると言えます。
因みに、ドラマの最後に、中村隼人さんが演じる後の「鬼平/カモ平」こと長谷川(平蔵)宣以が、「濡れ手に粟餅。『濡れ手に粟』と『棚からぼた餅』を一緒にしてみたぜ。とびきりうまい話に恵まれたってことさ。おめえにぴったりだろ」と粟餅を手渡すシーンがありますが、これも『金々先生栄花夢』の冒頭のシーンから拝借しています。
因みに、この長谷川(平蔵)宣以は、父である長谷川(平蔵)宣雄が京都西町奉行中に死亡したことから、23歳の時に家督を相続し、江戸に帰り本所で暮らします。
この江戸に戻った頃には、長谷川(平蔵)宣以の幼名が銕三郎(てつさぶろう)、あるいは銕次郎(てつじろう)だったことから、「本所の銕(てつ)」と呼ばれるほどの暴れん坊となり、遊廓へ通いつめて、父が貯めた金も使い果たしたほどであったと伝えられています。(ドラマでは、この史実通りに描かれています。)
長谷川(平蔵)宣以は、家督を継承した翌年の安永3年(1774年)には400石取りの旗本が、幕府の役職に初めて就く場合の一般的なコースである番方である両番(書院番・小姓組)への番入りを果たしています。第六話では、「鬼平」がまだ書院番の番士であった時代が描かれています。
この番士(番方)とは、武官を指して言う言葉で、一方、文官は役方と呼ばれていました。面白いことに、後に宣以が、「鬼平」として働く火付盗賊改方長官職(冬季限定の非常勤)は、番方(武官)ですが、何故か同じ警察機構の町奉行職(月別の常勤)は、役方(文官)となっています。
鱗形屋の没落
さて、話を本題に戻すと、第六話で描かれた鱗形屋の没落も、実は、鱗形屋に関連した二つの事件を、巧妙に組み合わせて作られたフィクションとなっています。
確かに、鱗形屋は、安永4年(1775年)5月に、大坂の柏原屋与左衛門・村上伊兵衛の板株(版権)であった『早引節用集』を、鱗形屋の手代の徳兵衛が重版して『新増節用集』と銘うって売出していたのが発覚し、同年の12月に行政処分を受けます。
しかし、この重板(盗作)事件では、手代の徳兵衛は、江戸所払いとなりますが、鱗形屋の店主である鱗形屋 孫兵衛は、「お叱り」を受けただけでした。
従って、ドラマの様に、この重板(盗作)が、鱗形屋の没落に繋がったわけではありません。
では、何故、鱗形屋が、没落してしまったのか?
史実では、この重板を取り調べている時に、旗本某家の用人が遊興のために主家の重宝を質入れしたのを、鱗形屋 孫兵衛が仲介したことが発覚し、孫兵衛は江戸所払い(追放刑と店財産の没収)に処せられ、安永10年(1781年)頃まで江戸に戻ることができなくなり、これにより鱗形屋は没落することとなります。
少し話がくどくなりますが、「時代劇」で良く流刑(追放刑)が登場します。
この追放刑は、中世には追却(ついきゃく)、近世には払(はらい)などとも称され、中世・近世にわたって広く行われてきた刑罰の1つです。
江戸時代の刑罰体系では流刑として、離島に流す「遠島」と一定地域外に放逐する「追放」がありました。しかし、刑罰として体系化されたのが吉宗の時代でした。(『公事方御定書』)
この体系化された『公事方御定書』によると、追放刑は6等級および1つに整理され、御構場所(立入禁止区域)と闕所(けっしょ/財産没収の付加刑)の範疇によって軽重が定められます。
その中でも、鱗形屋 孫兵衛が処せられたのが「江戸所払い」であり、ドラマの当時に、この「江戸所払い」となった罪人が、立ち入りが禁じられた地域は、北は板橋宿・千住宿、東は本所・深川、西は四谷大木戸、南は品川宿となっています。現在で言うところの、ほぼJR山手線の内側に江東区と墨田区の一部などを加えた地域となります。
この追放刑ですが、殆どが住む所及び生活の基盤を没収されるために、次の日の食べることさえも困難になります。従って、これら犯罪者の更生を主な目的とした収容施設である「加役方人足寄場」が作られるようになります。現在の「罪を憎んで人を憎まず」の精神に似通ったものであり、当時としては画期的な試みでした。
そして、この「加役方人足寄場」を作ることを提案したのが、本ドラマに登場する長谷川平蔵宣以その人でした。「カモ平」とドラマでは呼ばれますが、人情味溢れた粋な性格がこの件からも読み取れます。
さて、この鱗形屋の没落により、蔦重が単独で「籬(まがき)の花」と題した新しい吉原細見を発行し、地本屋・耕書堂を立ち上げるきっかけとなります。
ドラマでは、この没落に至った事件の説明が不十分だった為か、ドラマを見た人は、重板をそそのかしたのが、旗本某家の用人で、この用人の主が罪を逃れるために、鱗形屋 孫兵衛を奉行所に売ったとなっています。
しかしながら、この様に改変されたのは、恐らくは第六話以降のストーリーが絡んでいるのではと思います。(伏線が張られてのでは)
悲劇のフラグ立つ
第六話の中盤頃に、吉原遊女のうつせみが、蔦重に新之助宛の文を託します。この手紙には「花のさわり無きようにいたす」(自分の揚代を自分で払ってでもあなたに会いたい)ことが書かれていました。
実は、これ、吉原で遊女がしてはいけない行為であると言われています。何故なら、自腹を切ってまで会いたいということは、遊女が本気で客に惚れてしまったからに他ならないからです。(本気でなく、ただの営業だとしても、これは禁止されています。他にも、起請文を乱発すること、他の遊女の客を取ることも同様に禁止されています。)
つまり、間夫(愛人)を持つということは、その先の運命には、遊女の足抜けか心中と相場が決まっており、悲劇しか待っていません。
足抜けが発覚すると、店の男衆が必死で捜し回るため、たいていの遊女は3日とたたないうちに遊郭に連れ戻され、罰としてひどい折檻を受けます。
従って、客と駆け落ちした遊女は、追っ手に見つかる前に、恋人と心中(情死)を企てることも多々あったそうです。それでも、死ねればいいのですが、万が一生き残った場合には、更なる悲劇が待っています。
心中は幕府によって禁止されていたため、法を犯した者として3日の間、日本橋のたもとに縛り上げられたまま晒されます。その後、客は出入り禁止程度ですみますが、遊女は吉原に送り返され、さらに凄惨な仕置きを受けたと言われています。
この仕置には、色々ありましたが、その中でも最悪なのが、両手足を縄で縛りあげて天井から吊すもので、通称「りつりつ」と呼ばれていました。この仕置によって死に至った遊女の数は、数え切れないほどいたとも言われています。
以上のように、第六話は、もう一人の主人公でもある田沼意次においても、伏線が張られた回となっています。まるで、「嵐の前の静けさ」を感じる回ともなっています。
さて、第七話では、とうとう蔦重が、地本屋として独り立ちする過程が描かれるようです。同時に、花の井が中心となるストーリーともなっているようです。次回が楽しみです。