パリオリンピック


多分、近年稀に見るほどの高温であった7月。お盆も過ぎ、朝が、ようやく涼しく感じられるようになりました。
今年は、オリンピックに熱狂した8月前半です。オリンピックでは、毎回ドラマがあり、今回も多くの感動を貰いました。

パリオリンピック開会式

さて、このパリオリンピックは、開会式が7月26日に行われ、17日間に渡り32競技329種目が行われました。そして、8月11日に無事、閉会式がおなわれれ終了しました。

オリンピックは、善きにしろ悪きにしろ、色々な面で注目を浴びます。
例えば、今回のパリオリンピックでは、オリンピック夏季競技大会史上初めて、開会式がスタジアムの外で行われました。パリの中心を動脈のように流れるセーヌ川を、選手が船に乗って登場し、ランドマークを活用して街そのものを競技場に見立て数々の催しが行われました。競技場で行う場合の約10倍にあたる60万人が、この式典を直に楽しんだと言われています。

しかし、運の悪いことに、途中から大雨となり、開会式に不吉な予感が漂います。

開会式のオープニングでは、セーヌ川に囲まれたサン・ルイ島の先端にあるバリエ広場で、レディ・ガガが、ディオールの衣装と「リド ドゥ パリ」のポンポンを身につけ、 1961年に発売されたジジ・ジャンメールの有名なヒット曲『Mon truc en plumes(羽飾りのトリック)』を披露します。
但し、舞台が階段であったことから安全が配慮され、急遽、前撮りした映像が使用されたそうです。(それでもダンサーの一人が転倒。幸い大きな怪我ではなかったようです。)

個人的ですが、なぜ、レディガガがパリの開会式に出てくるのか、レディガガは、アメリカの歌手であり、レディガガとパリが結びつかず、最初の部分から不自然さを感じていました。

開会式は、突然の雨のなか粛々と進行します。フランスの有名なクラブ「ムーラン・ルージュ」の踊り子によるフレンチ・カンカンやセーヌ川沿いの世界遺産に指定されている歴史ある建物を使ってパリらしさが十二分に楽しめました。

この歴史ある建物を、謎の怪人(恐らくオペラ座の怪人)が、聖火をメイン会場に向けてパルクールさながらのアクションで縦横に飛び回ります。

が、中盤以降に異変が起きます。最初の衝撃は、シテ島に建つコンシェルジュリーから始まりました。
このコンシェルジューは、フランス革命時に「死の牢獄」と呼ばれ、ルイ16世やマリーアントワネットが投獄されていたので有名であり、この建物で、赤いドレスを身にまとい、自分の首を小脇にかかえた女性が登場します。

これは、フランス革命時のギロチンで首をはねられたマリーアントワネットを模したものであることは、場所の設定からも一目瞭然でした。

あまりにシュールな情景に、今までの催し物のテーマが急に変わってきます。その後は、バレエやオーケストラなどのクラッシク風とメタルバンドによる演奏など近代風が混じり、ある意味、カオスの様相を呈するようになります。

そして、極めつけが、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の構図を模したものと思われる場面が登場します。そこには、ドラッグクイーンが跋扈(ばっこ)し、中央には青色に塗られた裸の男性が登場します。

流石に、これは一線を超えてしまい、各所から激しい苦情が寄せられるようになり、運営組織委員会も公式にこれを謝罪することとなります。
しかし、公式発表では、これは「最後の晩餐」ではなく、ギリシャの神々を表したものと言っていましたが、これは苦し紛れの言い訳だと思います。

何故なら、ダビンチの「最後の晩餐」はフランス語で「La sene」(ラセヌ)といい、一方、今回の開会式のテーマであるセーヌ川「La seine」(ラセーヌ)と発音がほぼ同じで、これが、親父ギャグであることは一目瞭然であると思います。

この他にも、ミニオンが登場したり、最近のオリンピックの定番である「イマジン」が演奏されていました。(このパリオリンピックでは、ピアノが雨に濡れ、このイマジンの演奏中は燃やされ、後でも説明しますが、閉会式では、吊り下げられるなど、ピアノに何か恨みでもあるのかと思わされる演出が行われています。)

此れまでは、カオス状態で何を言いたいのか分からない状態で進行しますが、式典の後半では、オリンピックの開会式らしい構成へと戻っていきます。

銀の馬に跨り、同じく銀の甲冑をつけ、五輪旗をマントにした謎の女性騎士がセーヌ川を滑走します。

この女性騎士は、恐らくジャンヌ・ダルクであろうと思いますが、最後には、エッフェル塔を背に、馬に跨り登場します。
この時に、背後の平和の象徴である鳩の羽のイルミネーションと重なり、騎士が、天使の様に見えるように演出されます。

そして、その五輪旗が、女性騎士により旗手に渡され掲陽されるのですが、ここで、旗を逆さまに揚げてしまうという大失態を犯してしまいます。

通常、この様な失敗をしないために、旗は開いた状態で運ばれ、上下を確認してから掲陽されるのですが、今回は旗が広げられることなく掲陽されたためにこの様な失敗が起こったと思われます。

とは言え、この旗を掲陽したのが軍人であったために、フランス軍は、世界中の笑いものとなる結果となります。(軍人にとって、旗とは命の次に大切に扱うものであり、この様な失敗はあってはならない事だからです。)

また、この五輪旗の掲陽時には、オリンピック賛歌が歌われるのですが、これも省略されることとなります。
その後は、開会宣言、バッハ会長の祝辞と通常のプロトコルに従い進み、一旦は、メイン会場に届けられた聖火が、オリンピックのレジェンド達により運ばれ川を上り、コンコルド広場のバルーンを模した聖火台へと点火されます。

その後は、エッフェル塔でのプロジェクトマッピングが行われます。プロジェクトマッピングのパイオニアといえば、やはり、ディズニーです。
ディズニーランドの催し物の中で、このプロジェクトマッピングが発達しました。このディズニーでのプロジェクトマッピングは、変化系と呼ばれるものです。

プロジェクトマッピングには、この変化系とは別に具体系とよばれる流れがあります。具体系とは、実際のものをそのまま別の空間に投射するというもので、その代表的なのが、日本のチームラボによる展示です。現在では、色々なテーマ別に各地にあるチームラボで、この具体系のプロジェクトマッピングを見ることができます。

開会式で行われたプロジェクトマッピングは、具体系でした。テレビ画面で見る限りでは中途半端なように見えましたが、エッフェル塔を少し離れた場所から見てみると光が広がる様子が見ることができ、その意図する事(パリのどこからでもこの光の演出が見ることができるといった開かれた開会式のコンセプト)がハッキリと分かるようになっています。

そして、大トリの演出が、世界中の視聴者を驚かせます。
大トリで登場したのが、病により休業中であった歌姫セリーヌ・ディオンによるエディット・ピアフの代表作である「愛の讃歌」の熱唱でした。

セリーヌは2022年に進行性の神経疾患、スティッフパーソン症候群(SPS)と診断されたことでコンサート活動を中止していました。

このスティッフパーソン症候群(SPS)とは、非常に稀な進行性の神経性疾患で、自己免疫疾患の一種。 筋肉を弛緩させるための神経系統がうまく働かず、痛みを伴う体の硬直や筋痙攣を起こし、音や接触などの体感によって症状が誘発、悪化すると言う病気であり、音を生業にしている歌手にとっては、致命的な病です。

この動画の前半部分は、ドキュメンタリー映画「アイ アム セリーヌ・ディオン ~病との戦いの中で~」の中のインタビューのハイライト動画が重ねられています。病に侵されながら、舞台に再び立つことへの執念を感じることができます。

セリーヌが、オリンピックに参加しているアスリートと同様に、オリンピックの開会式という華々しい舞台に立つために、病と戦い、リハビリを行い体調を整え、並々ならぬ努力の末に、本番に望んだことであろうことは、間違いのないことです。

パリオリンピックの開会式は、色々と言われていますが、セリーヌの歌声は、これら全てのネガティブな意見を、一掃するほどの素晴らしいものでした。かくして、セリーヌの歌声の余韻とともに、競技が開催されることとなりました。

日本の大躍進

オリンピックの父と呼ばれたクーベルタン男爵は、生前、オリンピックを一度解体して新しく作り直したいと言っていたそうです。
これは、オリンピックにナショナリズムを入れてしまったことを後悔してのことだと言われています。

しかし、ナショナリズムという煩悩を捨てきれない凡人としては、今回の日本のオリンピックでの大躍進は素直に嬉しく思っています。

結果としては、金20個、銀12個、銅13個で合計45個となり、海外でのメダル数では、過去最高のものとなり、東京大会から2年連続で堂々の世界第3位となりました。

柔道、体操、レスリングとお家芸とも言える競技では、日本の強さが目立ったのものとなりました。

更に、嬉しいことは、フェンシング、飛び込み、近代五種、槍投げ等、今まではマイナーな競技においてもメダルが取れたことです。

一方、柔道については、不明瞭な判定が問題となりました。これは、柔道のルール改正により、本来の武道としての柔道から、スポーツの柔道へとなり、より競技性が高められた事が、マイナスに働いたと言われています。

しかし、これは仕方のないことです。金メダルを取った阿部一二三選手が、金メダル取った後のインタビューで、述べていたように、日本の柔道人口は、年々低下の一途を辿っており、今や危機的な状況にさえなっています。

柔道を創設した嘉納治五郎氏は当初から柔道を世界に普及させることを念願としていました。そのため柔道は世界中で競技者を増やし、今では約200カ国に愛好家がいると言われています。
例えば、開催国であるフランスでは、56万人。ドイツでも15万人、ブラジルでは、なんと200万人と世界的にもかなり人気の競技となっています。

一方、日本では、現在12万人であり2020年から約2万人少なくなっているそうです。これにより、柔道のルールを決める際に、その発言権が低下するという現象が起きているからです。

今回のオリンピックの柔道競技において、「ズルーレット」とか「メダルが審判により妨害された」などと言う声がありますが、その前に、単純にこの柔道人口の減少を問題視すべきではと思います。

そして、最後のレスリングにおいての金メダルラッシュには、本当に驚かせられます。開催地であった前回の東京オリンピックでさえも、金が5個だったのに、今回は金が8個であり、日本人が出場した13競技の内11競技においてメダルを奪取しています。

日程の最後に、より一層、熱くなったオリンピックとなりました。

閉会式

色々な感動と共に、熱戦が繰り広げられましたが、8月11日には全ての試合が無事に終了し、閉会式が挙行されました。
閉会式のオープニングは、聖火台のあるコンコルド広場で、フランスの有名歌手であるザホ・ド・サガザンによるシャンソン「パリの空の下」(Sous le ciel de Paris)のアカペラで始まりました。

この曲は、開会式のフィナーレで歌われた「愛の讃歌」と同様にエディット・ピアフが歌ったことにより、世界中で知られることとなりますが、現在では、パリのテーマ曲のように扱われています。

この曲は、元々は、1951年制作のフランス映画「巴里の空の下、セーヌは流れる」の挿入歌として創られました。ドレジャック(J. A. Dréjac)作詞、ユベール・ジロー(Hubert Giraud)作曲で作られ、原盤は、俳優兼歌手のリーヌ・ルノー(Line Renaud)により歌われました。(上の動画は、原盤ではなくシャンソン歌手、ジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)のバージョンです。)

オリジナル版を歌ったリーヌ・ルノーは、現在94歳。俳優としては未だに現役で活躍しており、2023年には映画「パリタクシー」で主演を演じています。
彼女は、80年代に既にエイズの活動をしていることでも有名な女性です。

この映画「パリタクシー」には、パリの街が多く登場しており、パリを味わいたければ最適な映画となっています。

恐らく、リーヌ・ルノーは、この閉会式のオープニングを見て喜んだのではと思います。

このシャンソン「パリの空の下」が歌い終わると、聖火がランタンに入れられ、メイン会場であるパリ郊外サン=ドニのスタッド・ド・フランスに移り会が進行します。

閉会式では、開会式の批判を受けて急遽作り変えられたのか、開会式ほどには独自性がなく、かなり微妙なものとなっていました。(東京オリンピックの閉会式をほぼコピーしたものになっていました。)

特に、アトラクションで登場した「サモトラケのニケ」は、かなり酷い作りで、ルーブル博物館に所蔵され、ミロのビーナスと双璧をなす本物のニケは泣いているのではと。

因みにこのニケは、勝利の女神ともよばれており、運動靴の有名なメーカーである「ナイキ」の命名の元となった女神で、この女神の羽が、ナイキのトレードマークとなっています。

オリンピックの開会式や閉会式など絶対に失敗できない舞台では、往々にして事前にスタジオで録音し編纂され完成された音源を使うのですが、閉会式での歌は、全てが、録音された音源ではなく、生で行われています。
その為か、スタジアムという広い空間では、音が広がってしまい、歌手の声が抜けてしまい、周りの楽器に声が消され、迫力が感じられませんでした。

その為か、次回開催地のカリフォルニア出身で27歳の米超人気歌手「H.E.R.(ハー)」がアメリカ国歌を独唱しますが、ハッキリと音を外している箇所が2箇所あり、お世辞にも上手い国歌独唱ではないと思います。

最も、このアメリカ国歌独唱については、口パクをすると非難される場合が多いのですが。

例えば、これに関連したものには、ビヨンセの伝説の記者会見があります。

これは、ビヨンセがアメリカンフットボールのスーパーボウルの国歌独唱が、口パクではないかとの疑惑が生じます。
これに対して、ビヨンセが、急遽、釈明会見を開くのですが、この時に、ビヨンセは口パクと記事を載せた記者やマスコミの前でアカペラで国家斉唱を歌います。ビヨンセの最後のany questions?(何か質問でも?)はあまりにもかっこよくマスコミを撃沈させた見事な会見となっています。
ビヨンセの歌唱力と歌手としてのプライドが垣間見える素晴らしい会見でした。(動画については、NFLが著作権を手放しておらず貼り付けることができません。「ビヨンセ 記者会見」とyoutubeで検索すると見ることができるので、関心のある人はyoutubeで見てください)

この様に閉会式が、間の抜けた音楽プログラムの様相を帯びますが、五輪旗のハンドオーバーでは、トム・クルーズが登場し、ミッションインポッシブルシリーズのイーサン・ホークさながらに、スタジアムの天井からワイヤーアクションで降りてきます。この時に、足から星条旗を出す予定だったらしいのですが、どうやら失敗してようです。

とは言っても、トム・クルーズは、既に還暦超えということを考えると、素晴らしいの一言です。

その後は、オーバイに乗って会場外へそして、ロサンジェルス郊外の有名な海岸であるロングビーチでの映像に切り替えられ、音楽番組かとツッコミを入れたくなるような有名歌手による歌が続きますが、ここでも音源があまり良くなく、歌手の声が不明瞭であり、次回のロサンジェルスでの開会式や閉会式は、あまり期待できないのではと感じました。

しかし、開会式と同様に最後に、また、見せ場を持ってきています。

バッハ会長が、閉会を宣言した後に、会場に持ち込まれた聖火が消されます。
そして、フィナーレは、フランスの歌手イズルトさんの「マイ・ウェイ」により閉会式が終了します。

実は、この「マイウェイ」は、1967年のクロード・フランソワのフランス語の歌「Comme d'habitude」(いつものように)が原曲で、この曲にポール・アンカが新たに英語の詞を書き、1969年にシナトラのシングルおよび同名のアルバムとして発売され有名になります。

パリオリンピックの閉会式に相応しいように、原曲のフランス語版バージョンと次にオリンピックが開催されるアメリカカバー版の英語バージョンで、式の最後を飾っています。

歌が終盤になると、花火が打ち上げられ、世界的な祭りが終わったという、何とも物悲しい様な気分となりました。

オリンピック日本開催を再び

最後に、国際オリンピック委員会(IOC)のデュビ五輪統括部長が8月3日(現地時間)、パリ市内で日本メディアの取材に応じた際、パリ五輪には2021年東京大会のレガシーが生かされているとして「日本が開催を検討するかは分からないが、近い将来、また冬季大会などの開催地になるだろう」と述べたそうです。

この報道の背景としては、2030年の冬季オリンピックは、IOCでは、内々に「札幌」にほぼ決まっていたという事実がありました。

しかし、札幌市と日本オリンピック委員会(JOC)は2023年10月11日、2030年冬季五輪・パラリンピック招致を断念すると正式に発表。
これは、21年東京大会の汚職・談合事件の影響などで地元の支持が伸びず、開催経費増大への不安も払拭できなかったのが理由と言われています。

非常に勿体ない話であると思います。IOJ(日本オリンピック協会)の調整力不足というか、交渉ベタがもろに出てしまった結果であろうと思います。

現在のIOJ会長である山下泰裕会長及び自民党の橋本聖子副会長が、バッハ会長に本部でこの中止を報告に行った時に、バッハ会長は、怒りのために話半ばで退出したと言われています。
それだけ、今季でIOC会長を降りるバッハ会長は、日本にオリンピックの未来を期待していたのか、落胆も大きかったようです。

個人的に言うと、大阪の万博は、百害あって一利なしであり、単に、大阪市長の無理押しであると思っています。この時代に、万博博覧会などが本当に必要なのか?かなり疑問に思っています。

それよりも、オリンピック開催の方が、開催都市及び開催国に数十年に渡って大きな遺産を残すことができます。
札幌でもそして、広島・長崎でもオリンピックをという計画があり招致活動をしていましたが、結局は、金銭的な理由で断念している状態です。
しかし、よく考えてみると、日本は、経済的には衰えたとはいわれますが、日本全国民の貯蓄額は、数百兆円ともいわれており、その中の1兆円くらいであれば、十分寄付で賄えることができます。

日本の未来のためにも、そして、日本の子供たちの教育及び生きる目標の為にもオリンピックを開催すべきであると思っています。



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