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「べらぼう」 第2話

今日は、昨日放送があった大河ドラマ「べらぼう」の第2話について書いていきます。

まだ、見ていない人もいると思いますので、ストーリーそのものについては、触れない様にします。

さて、第2話では、吉原細見、平賀源内、そして御三卿が中心的なものとなっています。

細見嗚呼御江戸

第2話の題名ともなっている「吉原細見」の各版の中で、蔦屋重三郎が編集者となって発行されたのが、「細見嗚呼御江戸」でした。

この吉原細見ですが、始まりは貞享年間(17世紀)頃といわれており、1738年(元文3年)以降は鱗形屋と山本の2版元が年2回刊行し、1758年までで山本は手を引き、後に蔦屋重三郎が鱗形屋に代わって刊行することとなります。

ドラマでは、鱗形屋がこの吉原細見を独占していた時代が描かれています。

では、なぜ、有名な版元である鱗形屋に代わって、蔦屋重三郎が「吉原細見」を作る様になったのか?

これは、蔦重にとっては非常に都合のいい事件が発生したからでした。

鱗形屋は、1775年、恋川春町(1744〜89)の『金々先生栄花夢』で大成功を収めます。この書籍は、「黄表紙」と呼ばれるもので、以後、鱗形屋は、この「黄表紙」を大量に出版します。

ところが、『金々先生栄花夢』の大ヒットの年、手代が大坂の出版社で海賊版を売り出してしまいます。手代の処罰だけでなく、鱗形屋も罰金刑となり、その事件の対応で鱗形屋は手一杯となり、その年に発行する『吉原細見』の出版が不能に陥ってしまいます。

本心としては、鱗形屋にとって売れ筋でない「吉原細見」は、お荷物以外のなにものでもありませんでした。その為に、無理をして出版する必要さえなかったのです。

これを好機と見た、蔦重は、「吉原細見」を鱗形屋の系列出版社として発行します。ここは、蔦重の才覚というか、無名の版元では、「細見」は見向きもされない事がよくわかっていました。

鱗形屋にとって、蔦重の申し出は渡の船であり、蔦重プロデュース(企画)の「吉原細見」が発行されることとなります。

蔦重は、この「吉原細見」が読まれるための細工を施します。

その当時の吉原は、別名「北里」とも呼ばれるほど、江戸の街から見ると北の端にあり、手間暇お金がかかった上に、独特なしきたりがあり、初心者にとっては、敷居の高い場所でした。

当然、安くて、気軽で、市中にあり便利な岡場所に客が流れるのは明らかです。つまり、この当時は、すでに武士の時代ではなく、商人や大衆の時代であり、すべてが「便利」で「わかりやすい」ことが求められていました。

蔦重は、この「わかりやすさ」に全ての努力を注ぎます。まず、紙面を大きくし、文字も大きくして店の名前が分かりやすくします。次に、現代でいうナビの画面の様に、中央の仲通りを紙面の中央にして、上下に横通りと店の名を書き、一目で目指す店が探せる様にします。

また、紙面を大きくしたことにより、ページ数を減らして、「吉原細見」の価格を下げることにも成功します。

しかしながら、いくら「わかりやすく」しても、吉原に行きたいと思わせなければ、「吉原細見」は必要のないものです。

と言うことで、蔦重は、見開きの「序」の部分に、当時、「嗽石香(そうせきこう)」という歯磨き粉発売の宣伝文で有名な平賀源内に、この「序」を書いてもらい、吉原に行きたいと思わせる様にします。

平賀源内 江戸時代の名コピーライター

平賀源内といえば、「エレキテル」等、江戸時代の発明王、又は、多部門で天才的な能力を持った多芸の人であり、「江戸のレオナルドダビンチ」として有名な人物です。

しかし、意外とこの平賀源内の私生活については、知られていません。

これもドラマで描かれていますが、当然、平賀源内は、文才にも恵まれており、当時、平賀源内は、贔屓にしていた歌舞伎役者・荻野八重桐(二代目瀬川菊之丞)の溺死事件をもとに書いたという男色小説『根南志倶佐(ねなしぐさ)』や、男娼が客を取るための「陰間茶屋」のガイドブック、絶世の美少年が登場する冒険小説……など、男色家ならではの作品を残しており、江戸では生粋の男色作家として有名でした。

この為に、男色である平賀源内が、吉原細見の序文を載せているという事も、さらに蔦重の「吉原細見」の評判を上げることとなります。

因みに、驚かれるとは思いますが、「奥の細道」で有名な江戸時代前期の俳諧師・松尾芭蕉もまた、男色の人と言われています。

この「芭蕉男色説」は、芥川龍之介も『芭蕉雑記』の「衆道」という章の中で、以下の通りに書いています。

「芭蕉もシエクスピイアやミケル・アンジエロのやうに衆道を好んだと云はれてゐる。この談は必しも架空ではない。元禄は井原西鶴の大鑑を生んだ時代である。

芭蕉も亦或は時代と共に分桃の契を愛したかも知れない。現に又「我も昔は衆道好きのひが耳にや」とは若い芭蕉の筆を執つた「貝おほひ」の中の言葉である。

その他芭蕉の作品の中には「前髪もまだ若草の匂かな」以下、美少年を歌つたものもない訳ではない。」

さて、蔦重の「吉原細見」の序文ですが、以下の様に書かれています。

題名は、「細見嗚呼(ああ)御江戸 序」です。
書き出しが、女衒(人買い業者)、女を見るに方法あり。一に目、二に鼻筋、三に口、四に生え際」で始まり、吉原の遊女は、選ばれた女性であることが示されます。

続いて書かれているのが「知恵のある者は不器量で、美しい者は馬鹿が多い。静かな者は張りがなく、にぎやかな者はお転婆だ」と、完全無欠の天女の様な女性は居無いと否定します。

そして、最後に「ところが引け四つ(午前零時頃)に木戸が閉まる頃になると、あぶれた女は一人もおらず、みな誰かのいい人になっているのだから不思議なもの。こういう幅の広いところが、嗚呼(ああ)御江戸なのだ」と吉原には多彩な遊女がおり、全ての人が満足できる場所であると逆説的で秀逸なサゲ(落ち)が付けられています。

「嗽石香(そうせきこう)」という歯磨き粉発売の宣伝文や「土用の丑の日」などの様に、平賀源内のキャッチコピーは、江戸っ子の琴線に触れる「粋」なものとなっています。

御三卿とは

今回の大河ドラマは、主人公が市井の人であり、織田信長や徳川家康などと比べてあまり有名でない人となっています。

また、内容的にも、前回の「光る君へ」に引き続き30代から40代女性をターゲットにしたようなものとなっていますが、同時に今までの大河ファンをも惹きつける為に、田沼意次を中心とした江戸幕府の権力闘争についても並行して描かれています。

そして、第2話で登場したのが、この「御三卿」です。

この「御三卿」は、あまり馴染みのない用語ですので、詳しく説明したいと思います。

下の図は、江戸幕府初代の徳川家康の家系図です。


徳川家家系図

上を見てわかる様に、初代将軍・家康は、11男5女をもうけます。
大河ドラマ「どうする家康」を見た人であれば分かると思いますが、長男の松平信康は切腹、次男の結城秀康は、何故か認知されず、結局、三男の秀忠が、第二代将軍に就任し、この秀忠の血筋が、本家となります。

その他に、側室・於亀の子である松平義直、側室・陰山殿の子である松平頼宣、松平頼房が、庶流となりそれぞれ徳川家の家紋である葵紋をつける事を許されます。この庶流の三家が「御三家」と呼ばれるものです。

江戸幕府将軍家家系図

御三家のうち松平義直は、「尾張徳川家」と、松平頼宣は、「紀州徳川家」と、松平頼房は、「水戸徳川家」と名乗る様になり、本家の徳川家の子孫が絶えた時に、将軍後継者を出す家と初代の将軍である家康により定められます。

家康の予見どおり、本家の血筋は、第七代将軍・家継の代で消え去ります。
そして、次の将軍には、有名な吉宗がなり、本家が紀州徳川家へと移ります。

この時に、序列的に最も将軍に近かったのは尾張徳川家ですが、何故か、将軍候補者は、次々に逝去していきます。恐らくは、激しい権力闘争により暗殺されたのではと言われています。

NHKドラマ10「大奥」を見た人であれば、この辺の事情は説明する必要がないと思います。

次に、紀州徳川家の血筋を絶やさない様にする為に、第八代将軍である吉宗の次男が「田安徳川家」、三男が「一橋徳川家」、吉宗の長男である家重の次男が「清水徳川家」の当主となり「御三卿」を構成します。

この「御三卿」は、当初の「御三家」と同様に本家の血筋が絶えた時に次に血筋を伝えるもので、この「御三卿」の中から次期将軍を選出するものと定められています。

ただ、御三家の当主と違うところは、その身分が、領地を与えられ藩主となるのではなく、無役の部屋住みであり、ドラマでも言っている様に、唯一の役目は、子をなすことでした。

ドラマで登場したのは、この御三卿の徳川重好、一橋治済、田安賢丸(後の松平定信)、そして第11代将軍となる豊千代(家斉)でした。

この第2話では、すでに後の将軍後継者争いの序章とも言えるシーンが登場しています。

本ドラマの脚本家である森下佳子さんは、NHKドラマ10「大奥」ですでに、この将軍後継者争いについて脚本を書き下ろしていますが、「大奥」では、仲間由紀恵さんが、この一橋治済を「怪物」として演じていますが、今回はどの様に描かれるかが楽しみです。

また、第2話では、花の井が、瀬川つながりで平賀源内の前に「おぶしゃれざんすな」と言って現れる場面がありますが、この「おぶしゃれざんすな」を聞いた時、はっきり言って意味がわかりませんでした。

NHK公式プログによると、この「御不洒落れる(おしゃぶれる)」とは、へたなシャレを言う・悪ふざけをするという意味で、「〜ざんす」は“廓(くるわ)言葉”特有の語尾。「おぶしゃれざんすな」は、現代でいう「ふざけるな!」のニュアンスで女郎たちが使っていたそうです。(べらぼうブログより)

また、吉原の途中にある日本堤で、平賀源内が蔦重に、南鐐二朱銀について説明する件(くだり)がありますが、これは、田沼意次が、当時の江戸幕府の貨幣制度が「上方の銀使い、江戸の金使い」と2種類あったのを統一するための方策と説明しており、今回の公式ブログでは、オフショットも含めて非常に面白いものともなっており、ドラマを見る上で色々と役にたつ説明がされています。

本ドラマを楽しむ為にも、この公式ブログをみてはいかがですか。参考になります。

来週の第3話では、本格的に蔦重が、版元として動き出す様です、まだまだプロローグ部分では、明るく活気のあるものとなっています。
しかし、中盤以降は、史実によると心を抉られる暗い話にもなるようですが。

P.S.(追記)
今回の大河ドラマは、既婚者が眉を剃り、前帯姿など時代考証が完璧であり、安心して見ることができます。









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