悪問の存在
こんばんは。今日はテストの話。
妹の共通テスト演習を見て、久しぶりに化学基礎の問題を解きました。謎の定義されていない言葉が出てきて、それを含む文について正誤判定する問題で、いまいち納得できなかったのでした(妹も納得していなかった)。
問題文を読んで、内容は理解したつもりだったけど、定義されていない言葉(教科書や資料集などには掲載されていなかった)を使うのはどうなのか、みたいなことを考えてしまい、ああ私も大学生の論理に染まってしまったなと思ったのです。
文学の用語にせよ文学ジャンルにせよ、きちんと定義した上で論文を進める必要があります。数学とかだとなおのことそうですよね。その辺をはっきりしないと突かれるし、検証しようがありません。
そう言う場所に四年もいると、気になってくるわけです。屁理屈みたいに聞こえるかもしれませんが、定義されていなくて何を指している言葉だかわからない状態でそれを使った問題が果たして問題として成立するのか気になるところでした。
親切じゃない問題や難問、とは別に絶対的な悪問はあると思います。問題文を読んでも指示がわからない問題とか、そもそも定義されていなかったり辞書的な意味から外れた言葉遣いで問題を作ったりとか(素材文に傍線を引いてここでの意味を答えよ、とかならわかりますが)、普通に読んだらそう言うことにはならないよね、って問題とか、絶対に完全解答ができない問題とか。
バイトで答案の添削をしたり、採点をしたりしていると、採点基準みたいなのをみる必要があります。でもそれがどう読んでも理解できないこともあって。そう言う時って大体問題がうまくないというか、「そうはならないでしょ」的なものがよくあるんです。実は過去に採点で採点基準にダメ出しをしたくなったことが複数回あります……。学校の採点はその辺が明確だったり納得できたりするものがほとんどですが、外部だと引っかかることも一度や二度ではありません。
自分が今後作問することになったときに、きちんと伝わる言葉で、明確な論理と採点基準で問題が作れるようにしなくてはいけないのだろうなと思います。これは将来に向けた自戒です。
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