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「瞳がほほえむから ~ ちょっと悲しい思い出」

  カラオケで歌う時は、70年代80年代の洋楽が多いが、日本語の歌の中にも好きな歌がある。今井美樹の『瞳がほほえむから』も、そんな中の1曲だ。この歌にはことさら思い入れが強い。ある個人的な思い出に繋がっているからだ。

 20年前まで住んでいた長野県上田市。そこから、車で20分ほどの町に行きつけのパブがあった。知り合いの絵描きさんから紹介してもらった店で、気さくで話し上手聞き上手なママさんと、気立ての良い女の子たちが揃っている感じの良い店だった。
 ママさんにはずいぶんお世話になった。大事なお客さんが来るからと、ピアノ演奏を頼まれたこともあったし、定休日の日曜日に店を借りて、シンセサイザーによるオリジナル曲のコンサートを開かせてもらったこともあった。その後、あるときから週に1度、ピアノのレッスン会場として、店を無料で提供してもらっていたこともあった。

 そんな具合に、単なるお店と客の関係以上のお付き合いをさせてもらっていたが、それもママさんの人徳ゆえのことで、世間で言うところの男女の関係は、残念ながら(?)100%無かった。

 今井美樹のヒット曲『瞳がほほえむから』を初めて聴いたのもそのパブだった。勤めていた女の子の中の1人の十八番で、個性的な声で魅力的に歌うので、1度聴いただけでその歌を気に入ってしまい、よくリクエストして歌ってもらった。
「めどうさんが聴いてると緊張する!」
 なんて言いながら、リクエストには必ず応えてくれた。初めて今井美樹のオリジナルを聴いたとき、澄んだ声で歌もうまいとは思ったが、なんだか少し味気なく聞こえたほど、僕にとってその子の歌声は魅力的だった。

 いつだったか、その歌を歌う彼女の声に、いつも以上に情感がこもっていたことがあって、歌い終えてから感じたことを伝えた。

「今日は、なんだかいつもより心がこもってたねぇ。なんだか幸せそうで、こっちも幸せになったよ」

「わかるの? わあい! そういってもらうと嬉しい! そうなんだぁ。幸せなんだよ」

 長い間遠方にいた彼と、しばらく振りに会えるのだと言っていた。恋する女の子の幸せそうな笑顔に、見ているこちらも心が和んだ。
 ところが、その時は知らなかったが、遠いところというのは、実は刑務所だったのだ。刑期を追えて出所する日が近かったのである。

 その日が来た途端、トラブルが続いた。付き合っていた相手は、いわゆる「堅気」ではかった。何があったのか具体的なことは知らないが、今回実刑をくらったことで、男は店を逆恨みしているらしかった。出所何度か店に現れ恐喝まがいの言動を繰り返し、その女の子も回りの信用を失ってしまった。とても店にいられる状況ではなくなってしまい、結局彼女は店から姿を消した。
 ざっとその程度のことしか知らない。知り合いの絵描きさんから聞いた話だと、その子がその後務め始めた店は、そのパブとは違い、性的なサービスを提供する店らしかった。そのことを不憫そうにぽつりと漏らした声が耳に残っている。

 その子が店を辞めてしばらく、深夜のコンビニで、仕事帰りにその女の子とばったり会った。
 姿を見たとき、住所は上田だと聞いたていたことを思い出した。
「おお、久しぶりじゃん! 元気?」
「あらぁ、めどうさん! ひさしぶり! うん。元気だよ。こんな時間に起きてるの?」
「うん、仕事帰りだよ。相変わらず苦労してるからね。でも元気だよ」
「これから帰って寝るの?」
「そうだよ。ゆりちゃんも?」(仮名です)
「うん。やっと寝られるんだよ。じゃ、気を付けてね」
「そっちもね」
 たったそうれだけの短い会話だった。レジ袋を下げて、屈託の無い笑顔を見せてくれたが、正面からこちらを向くことはなく、笑顔は最後まで肩越しのままだった。

 『瞳がほほえむから』。今でもこの曲を耳にするたびに、このことが思い出される。
 彼女が、この歌で特に好きだと言っていたのは、この部分だった。

 ― 迷った遥かな日々 涙じゃなく力にして
   あふれる想いを今こそ果てなく抱きしめて ―

 彼女が現在どうなっているかは知らないが、幸せに暮らしていることを祈っている。
                    (2023年 9月)



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