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カール・マルクス「資本論」

NHK の 100分de 名著 シリーズ、カールマルクス『資本論』

今まで、社会主義より資本主義でしょ、ってなんとなく思ってた。でも、学校の先生も、親や周りの大人もみんな、無意識レベルで「資本主義」の犠牲者になっていて、しかもそこに何の疑問も抱いてこなかったのかもしれない。私もまた、「資本主義」に巻き込まれている一国民だった。

-------以下、要約&本文抜粋です-----------------------

① 資本主義は、生活を貧しくしていた?!

資本主義は、モノを効率よく生産して、より高い利益を生み出すことで富を得ている。でも、資本主義によって、私たち誰もがアクセスできていたはずの資源がどんどん搾取され、私たちはお金がないと何も手に入れられなくなった。例えば、水道からタダで手に入るお水をペットボトルに入れて「商品」として売る、公園を更地にしてショッピングモールを建てるなど。今まで誰もが手にすることができた資源を奪い取り、「商品」にしていく。もはや私たちは、「商品」なしでは生きていけない。しかし、「お金」ですべてが手に入るようになったことで、これまで誰もがアクセスできる共有の財産だったものに貧しい人はアクセスできなくなり、貧富の差を生んでいるのだ。

② モノに支配されるわたしたち

資本主義では、モノが売れるかどうかは「価値」で決まる。この価値は、モノの有用性を表す「使用価値」ではなく、時と場合によって変わる、コントロールできないものだ。コロナ禍で「価値」が高まったマスクを例に挙げる。マスクの使用価値 (有用性)は、コロナ以前から変わっていないにも関わらず、コロナパンデミックによって、マスクの市場「価値」は上がり、人々はマスクを求めて右往左往。まさに、資本主義が生みだしたマスクの「価値」に振り回されている。「使用価値」によってモノを作っていた時代(必要なモノを必要な時に作っていた時代)は、人間がモノを使っていたが、「価値」のためにモノを作る資本主義のもとではそれが逆転し、人間がモノに振り回されるようになった。モノが「商品」となるや否や、それは人間には支配できない「価値」によって、人間の暮らしや行動をコントロールするようになる。「Go To キャンペーン」も、資本主義経済を象徴したものだった。どんなに旅行や外食によるリスクがあっても、経済を回していかなければ、社会を存続できない。だから何としてでも経済を「回していく」といっているが、本当は「回されている」という方が正しい。

③ 終わりのない金儲け

マルクスに言わせると、資本主義には限度がないらしい。資本主義社会では、元手となるお金でモノを作り、販売し、それにより手にしたお金でまたモノを作り、それが売れたら、さらに売れそうなモノに元手を投じる、といった運動の中で、お金を儲け、その儲けをどんどん大きくしていく。このように、お金儲けを延々と続けるのが「資本主義」なのらしい。これにより、たとえ一生かかっても使いきれないほど儲けたとしても、「もっと!」と思ってしまう。儲けたお金で何かをするわけでもなく、ただひたすらお金を儲けるのだ。

④ 自由までもを奪う資本主義

資本主義は、わたしたちが持っている「富」の一つである「労働」をも「商品」にしてしまう。資本主義経済では、自分の「労働力」を好きなところに売る「自由」がある。しかし、あらゆる資源を資本主義によって吸い取られたわたしたちは、何かを売ってお金を手に入れなければならない。けれども、普通の人が唯一、自分の生活のために売ることができるのは、自分自身の「労働力」だけなので、それを売らないという「自由」はないに等しい。労働力を売ってしまった後は、わたしたちは働き方の自由を失う。好き勝手に働けばクビになるからだ。資本家に「労働力」を売ってしまったわたしたちは、時間を労働に奪われ働き疲れて帰宅してから、趣味を楽しんだり、本を読んだり、人生について考える余力などない。忙しくて自炊をする時間が無くなれば、外食という「商品」が売れ、洗濯をしても干す時間がないとなれば洗濯乾燥機が売れ、家事をする時間がなければ家事代行が儲かる。労働により、どんどん「商品」の幅が広がり、資本家のビジネスチャンスも広がっていくのだ。さらにネット環境が整った現代では、わたしたちは24時間働くことができる。わたしたちが楽しみのために使うグーグルやフェイスブックは、使われることでそのデータが彼らに価値をもたらす「商品」となる。彼らはそのデータを売って儲けている。暇な時間にグーグルやフェイスブックを使うことは、彼らが必要としているデータという「商品」をタダで生産しているとも言える。

⑤ マルクスの目指す社会

マルクスが目指した社会は、ソ連や中国のような「社会主義」や「共産主義」ではなく、人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした社会なのだ。それは、誰か一人が資源を独占するのではなく、みんなで共有するということ。なぜなら、地球は誰のものでもないからだ。水や森林、地下資源といった根源的な富は、コモンとしてみんなで管理していく。例えば、みんなでリンゴを栽培するとして、収穫してみなに分配されたリンゴは個々の所有物であるが、リンゴ畑や栽培に必要な道具、また栽培方法といった知は、みんなの共有財産としていくというイメージだ。マルクスが思い描いていた社会は、「資本主義」でも「社会主義」でもなく、社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなでシェアして自治管理していく、平等で持続可能な経済社会なのだ。



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