海外ルーツとともに生きる
みなさんこんにちは、今日のNOTEは少し個人的な話になります。
※大学での永住許可に関するスピーチをもとにしています。(次回以降に永住許可取消し法案に関して書ければいいなと思っています。)
永住許可に関する記事↓
私自身は、いわゆるハーフです。ですが、日本国籍で、人生のほとんどを日本で時間を過ごしています。そして私には、永住者として日本に暮らしている家族がいます。
https://note.com/me_mylife/n/n1111ce339dc9?sub_rt=share_b
ハーフというと、おそらく白人系のハーフが思い浮かべる人が多いと思いますが、ハーフにも多様な人たちがいます。
実は、日本には、アジアの国々とのハーフの人たちが一番多いです。また、ハーフであるから英語が必ずしも話せるというわけでもありません。そして、家庭内で話す言語が一つではない人も増えています。どの親と話すのかによって言語を変えたり、複数言語を混ぜて話したり、簡単な言葉を使ったりなど、家庭によって大きく異なります。
言葉という側面からもわかるように、今までの当たり前は大きく変化しています。そして、複数のルーツとともに生きる家族は増加していますし、こうした光景は、若い世代にとってますます当たり前になってきていると思います。
日本には差別はあるのか?日本には差別がないよく風に言う人もいます。ですが、残念ながら、日本にも差別はあるでしょう。その差別は根深く、そしてさまざまな形で存在しています。
私は、日本国籍を持っているにもかかわらず、いろんな人から「外人帰れ」「日本人らしくしろ」などと言われたことが、両手で数え切れないほどあります。
(外人という言葉に関して思うことを書いたnoteです…!)
こういった攻撃的なことを言われるたびに、「日本人なのに」という思いや、「日本国籍がなければ、まだ “外人”と言われることに納得できたのかもしれないのに」と思いを抱えて、長くアイデンティティについて苦しんだこともあります。日本にいれば日本人としてはみられない、しかし、もう一つのルーツのある国においても、その国の人とはみなされないことが多く、自分は何人なのか、自分の居場所はどこなのかということに関して悩んだ時期が長くあります。
自分のアイデンティティや文化・言語的には、日本ともう一つのルーツのある国とを分けて考えることに対して意味を感じでていないのに、自分のネイティブ言語である日本語について褒められ、また同時に英語も褒められ、「何人ですか?」と尋ねられ、そのたびに受け答えをしないといけない、というのは地味にストレスだったりするわけです。こんなことに遭遇するたびに、自分が日本人でもあることの正当性を日々、証明しつづけないといけないのは、感情的にも精神的にも疲れてしまいます。
私には永住者の親がいるということは、先ほど述べましたが、なんと、その親と出かけるとき、私たちは入店拒否をされることがあるんです。お店に行く時に入店拒否されないか、私たちはいつもビクビクしています。当たり前ですが、入店拒否をされたら、外国籍の親は怒りますし、傷ついています。こういうとき、私は日本語でお店の人に説明を試みるのですが、日本語を話している私に対してもお店の人は英語でNOとだけ返してきます。やっぱりハーフは日本人として見てもらえないのか、といういう拒絶感を感じますし、“外国人”という属性だけで否定されている家族を見るのも悲しいです。つまり私にとっては、こうした経験は日本人としても、外国籍の家族としても、二重に傷つく出来事なんです。複数のルーツを持ちながら、日本で生きていくというのは、日々こうした経験をするということでもあります。
皆さんの中には、大学に進学する際に奨学金を申請した人もいるかもしれません。私もそうでした。その際に、あの大量の書類を埋めるのを手伝ってくれた、あるいは全て代わりに書いてくれた大人が身近にいた人も多いんじゃないでしょうか。しかし、それが当たり前ではない人もいます。奨学金という制度を知っている 大人がいること、日本語の書類を埋めることのできるほどの日本語能力を持つ大人が身近にいること、そういう環境が身近にない人もいます。
複数のルーツを持つ家庭で育った子供たちには、こうした環境が用意されていない子たちが多いんです。私は、運良く、日本語を母語とする親が一人いたので、書類を大人と一緒に埋めることができました。 ですが、私と同じハーフの/ミックスルーツの友人には、親が日本語の書類を埋めるほどの日本語ができない子がいました。その子は、受験期のストレスに加え、学費のために必要な書類を一人で管理して書き込まなければならないことに相当のストレスを抱えていました。
親との関係に関して言えば、自分自身のハーフとしての経験を必ずしも親と共有できるわけではありません。ハーフであることを羨ましく思っているんだよ、気にしなくてもいい、と言われることもありました。同じように、私は、移民である永住許可当事者の家族の気持ちを全ては理解できないのだとも思っています。世代によっての苦労は異なります。親と同じ言語を話せるか、それで十分な意思疎通ができるのか、育った環境や国によって異なるライフステージをすすむため必ずしも、お互いの辛さや、感情を理解できません。家族の当たり前も大きく変化していると思います。
私たちのように、外国のルーツを持つ人、とくに親が日本語のネイティブではない人は、幼いころから親たちの通訳をする任務を担っている人が多くいます。
外食での注文という小さなことから、市役所などの行政の手続き、ある時は親の仕事に関係する書類の翻訳など、この通訳の任務は生活の中で多岐に及びます。
私もまた、小学校高学年の時から、市役所などで日本語を母語としない親のための通訳をしてきました。私自身も幼かったので、親が何を求めて市役所にいるのかよくわかっていない状態で、役所の職員と親の通訳をしたり、親の書類を代わりに書いたりなどしてきました。
日本語を母語としない親自身も、外国語が上手く話せないことへのもどかしい気持ちがあるため、うまく伝わらない苛立ちを隠せないときがありました。私は、そんな親を見たくなくて、ビクビクしていました。
外国籍の人たちや複数のルーツを持つ人たちにとって、書類の手続きという行為そのものが、日本国籍を持ち日本人の親を持っている人たちとはそのハードルの高さが異なるということが、こうした、奨学金や役所での手続きの事例からもわかっていただけると思います。
一言で、「書類の不備があった」とか、「何かしらの税の未納がある」と言っても、それはこうした多くのハードルを乗り越えてもなお残ってしまったミスの場合があるんです。
それは、子供が親の代わりに行った結果であったり、日本語を自由に使うことができない人が必死に取り組んだ結果であったりします。つまり、行政の手が届かなかった結果起きてしまったことです。行政的な書類というものは、外国籍の人や複数のルーツを持つ家庭にとって、今でも大きな壁です。今回成立してしまった永住許可取消し条項は、発達特性などで事務手続きが苦手な人にとっても厳しいものです。永住者の能力が「平均以上」であることを求め、「平均以下」の人たちを切り捨てようとしているように私には思えます。外国籍の人や、外国人とみなした相手に日本人以上に品行の良さを求めたり、属性や見た目を理由に排除するのは、差別的な行為です。
外国籍の人たちは、もうずっと日本で、皆さんと同じように普通に暮らしてきました。
日本国籍で選挙権を持つ、日本人の人たちの中にも、永住許可などの資格で日本に住んでいる外国籍者の家族がいる人が増えています。日本で暮らす外国籍は約350万人、外国にルーツをもつ日本国籍を含めると500万人以上が何かしらの形で外国に繋がっているのではないかと言われています。
永住者の人たちは、今後もここで生きていきたいと思い、あえて日本を選択し、日本を生活の基盤にしている人たちです。今後も増えていくであろう外国籍の人たちや、日本で生まれ育った外国籍の人たち、外国のルーツを持つ日本国籍の人たち、そして多国籍な家族ことを、忘れないでほしいと思います。
最後になりますが、最近、悲しいことに、こうした外国人へのヘイトを煽る言説が多くなっています。私と同世代の皆さんには、どうかそうしたヘイトに踊らされないでいてほしいです。一方的に分けられた境界で苦しんでいる人がいるかも知れないという視点を持って、すでにこの社会でともに生きている仲間を追い詰めるような法律ができてしまったことについて、一緒に考え、反対してほしいなと思っています。
また次回まで…☁️
【署名】「帰る国」のない若者の永住許可を取り消さないで!
https://www.change.org/eiju_kyoka